引き合い?
どこにあったんだ、そんなもん
楽譜どおりに演奏するのは、無責任とか、表現者に表現するなということか?とか、
着メロを聴きたいわけではないとか、ソッポなこと言う奴がいるが、
フォルテやフォルテッシモの指示一つでも、どのくらいの音で表現するかは演奏者で違うし、
そこが工夫の余地でもある。
フェルマータひとつでも、どのくらい音を伸ばすかは演奏者のさじ加減で微妙に変わってくるしな。
楽譜どおりに練習したってこういう細かい違いが出てくる。
それが演奏者の表現になる。
その表現の意図を自分の心に対しても隠してしまう必要がある。
楽譜どおりに練習し、ひとつの工夫をおこなったら、それを徹底的に練習して、もう自分でも新工夫だなどと
意識しなくなるほど完全に消化し、自分の意図や作意を忘れてしまうまで練習すべきだよ。
そこまでやって、観客の前で演奏すれば、あたかも自然の花が咲いたように見事で、
しかも抵抗感のない表現が生れてくる。
表現のつつしみの音楽ってのはそういうもんだと思うな。
とくにベートーヴェンのピアノソナタは自己主張ではなく、表現のつつしみが大切なんだよ。
>フォルテやフォルテッシモの指示一つでも、どのくらいの音で表現するかは演奏者で違うし
強弱は人によりけりと、OKOK
では、お前が聴いた演奏が楽譜通りの演奏かどうかはどうやって判断するの?
メトロノームもって聴くのか?
だから、楽譜通りって一言で言ってのけているけど、
人によってそれぞれなんだよ
つつしんでいるかどうか、お前はどうやって判断するんだ?
ちなみに誰の演奏がつつしんだ表現なんだ?
まとめると
所詮は好みの問題
ってことですね
メトロノームについては、テンポの話な
つつしんで話は短くしてくれ
技術が必要なのは、
リスト、ラヴェル、ラフマニノフなど。
ベートーヴェンは、音楽をどう感じるか、本当の意味で理性的な解釈と
インスピレーションが必要な音楽なのである。
当然、CDと生は恐ろしいほど違う音楽になる。
前投稿に見られるように、技術の高い演奏家が失敗し、
技術の低い演奏家が大きな結果を出す、ということが起きる。
精神的に特徴のある演奏家が、神がかった演奏をするケースが多いのは、
経験上、事実といえる。
安全運転が即失敗に終わることは、感情が肉体とリンクしていることから、
理性的に考えて当然といえる。肉体的負荷が必要なのである。
ただ、過去の演奏家はある程度CDでもわかる。
バックハウスは決して技術レベルが高いわけではない。
その楽曲全体の解釈、厳しさに明確な特徴がみられる。
楽譜通りにって安易に言うやつほど楽譜を知らない
楽譜を見ても何も考えられないからな
技術
技巧
技能
技量(技倆)
よ〜く考えて言葉を使いなさい
また君か壊れるなあ
お前も楽譜について書いてけ
書けないもんだから最近はチャチャ入ればかりだなw
964 :
名無しの笛の踊り:2013/09/12(木) 23:31:35.05 ID:03NaqP0h
>当然、CDと生は恐ろしいほど違う音楽になる。
>ただ、過去の演奏家はある程度CDでもわかる。
wここは笑いどころ?
そもそも言葉を訳の分からないままに繋げているだけだから
まともに相手は無用
あきれ果てるだけで笑える箇所なんてない
バックハウスが読んだら怒り心頭だろうな
968 :
名無しの笛の踊り:2013/09/13(金) 18:51:33.03 ID:nYsbji1Z
お家に帰っちゃうよ。
家に帰ってもピアノを弾いてるだろうw
970 :
名無しの笛の踊り:2013/09/13(金) 19:51:23.94 ID:UvUDm0Qy
漱石が「野田の言うことは言語はあるが意味がない」(坊っちゃん)で
書いてるけど、このバク厨にもあてはまるなw
CDと実演の関係は非常に複雑で、深い考察を必要とする。
基本、ホールに行かないと本当のベートーヴェンは分からない。
カップラーメンではラーメンを分からないのと同じ。
しかし、間違った解釈のベートーヴェンは、ホールだろうがCDだろうが
ベートーヴェンではないのである。
正しい解釈がされていれば、その本当の感情を受け取ることができなかったとしても、
ベートーヴェンとして伝わる。
もちろんノイズ等、音質はどうでもよく、その楽曲に対する捉え方が見えれば十分である。
>非常に複雑で、深い考察 → カップラーメンではラーメンを分からないのと同じ
黄泉の楽聖もバックハウスもプロも激怒するな、これは
ヒナ自体がクラ板の対象から除外だろ
いちいちヒナネタ持ってくんなよ
976 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 12:12:17.08 ID:1dCMbUKS
まあ全集で誰にでもオススメできるのは
パールとかグルダなんだが
ベートーヴェンを弾いてるのは誰かときかれたら、
アラウとしか答えられない
アラウの一回目?二回目?
アラウはディアッベリも素晴らしい!
パールもグルダもアラウもベートーヴェンを弾いてるよ
楽譜通りとかそうでないかとかはほんとアホな発言だよ
ノンレガートで弾くときどれくらい音の間を空けるとか
レガートで何ミリ秒、音を重ねるとかの指示はないわけで
大体のテンポと大体の強さ、その程度だろ楽譜なんて
981 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 18:23:48.61 ID:dFZ7gtbM
いまベートーヴェンとかバッハとかモーツァルトが生きていたら、コンピューターで作曲
して音声ファイルを作成して再生して発表するっていうスタイルをとるだろうね。
あいまいなところがなくて、自分の音楽を100%表現できる。
982 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 18:27:04.21 ID:QIhliv9n
アルゲリッチってベートーヴェン嫌いなの?
あの二人が現代で作曲なんかするかっての
音声ファイルで作品を発表し、評価を得ている作曲家ってだれ?
クラ限定で
985 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 19:15:51.79 ID:8X/d9SCn
かつて作曲者は、楽譜という不完全な媒体でしか自分の意図を残せなかった。
そのために演奏者の解釈という余剰価値が生まれ、結果的にピアニストが
芸術家を気取れた、のだろうか?
今は録音装置やMIDIがある。そこで"作曲者の意図の正確な反映"をつきつめて
いけば、音量やアーティキュレーションまで完全に指定するところにいきつく。
そのとき、もはや人間は"楽譜どおり"に弾くことができず、再現性において
コンピュータに敵わない。
すると、作曲者の意図を忠実に再現しているのはコンピュータだという
ことになり、人間の演奏者の存在意義はなくなるのだろうか。
楽譜どおりに弾くことが、作曲者の意図に忠実なることだ、というのはひとつの
意見だが、その行き着く先は、こうして再現芸術の否定になるような気がする。
お前は音楽を聴いてはならないし、ましてや語ることなどもってのほか
987 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 19:30:45.41 ID:8X/d9SCn
>>986 説得力のある反論を聞きたいな おそらく君では無理だろうが
釣れそうもないから必死だな
MIDI ぷっ
コンピューターに入力する時点で解釈が入り込むだろう
楽譜は不完全なんだろうw
990 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 19:39:28.37 ID:dFZ7gtbM
>>989 は?作曲者自ら音声ファイルを作成するですよ。もちろん。
音声ファイルをみんなでSPの前で聴くんですかw
MIDIですかw
993 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 19:46:46.98 ID:8X/d9SCn
釣ってるつもりはないが、そう思う人が出るのは予想どおり。
しかし、986、988、989はまともに反論できないみたいだな。
もう少し面白い意見を希望。
試しに1曲,MIDIで作った曲を楽譜付でUPしてくれ
>>990 そして、演奏者の解釈の入り込む余地のない完璧な表現芸術とやらを見せてくれ
996 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 19:48:14.57 ID:dFZ7gtbM
もちろん超高性能スピーカーの前で聴くことになる。
楽器などという概念は消え去るだろう。自由自在に
音色を操れるから。
997 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 19:50:11.36 ID:dFZ7gtbM
もちろん、現在の音楽用コンピューターソフトウェアでは自分の
思うとおりに自由自在に音声ファイルを作るのは難しいと思う。
でもじきに優れた音声ファイル作成ソフトウェアが作成されることになるだろう。
998 :
名無しの笛の踊り:2013/09/14(土) 19:52:32.75 ID:dFZ7gtbM
そうすれば人間の演奏者はすぐに用済みになるだろう。
作曲者は気持ちの悪い他人の思い入れの入った演奏など聴かなくてすむし、
聴衆にも聴かせないで済む。作曲者に便乗する演奏家という存在は
めでたく消え去るだろう。
楽譜をアップした途端に解釈されてしまうんだがな
PCでの再現に血道をあげ、実演の記録と遜色ない出来映えのファイルが完成したとしても
それは一典型にとどまる宿命を帯びる。
空想では何とでも言える
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。