音楽って人間の聴覚の限界まで達したから頭打ちだろうね。
CPUは並列化で乗り切ったけど音楽は別の方向が無いからオワコンでしょう。
これからは商業音楽しかないんじゃないの。
>>932 ラフマニノフは自身は映画音楽としてはひとつも作曲さしていないぞ。
彼の曲を映画音楽に転用した作品があるだけなので、間違えないように。
おっとプロコフィエフだったね失礼失礼
バーンスタインとか言えばいいんでは?
ロシアって、芸術音楽と大衆音楽(映画音楽)の両方で活躍してる人多い。
プロコもそうだし、ショスタコもそうだし、シュニトケもそう。
ショスタコもシュニトケも、映画音楽だとびっくりするくらいメロディーメーカーぶり発揮してる。
芸術音楽と大衆音楽の両方聴くと、ショスタコとかシュニトケの見方が変わってくる。
コイツらやっぱすごい。
>>930 ナディア・ブーランジェって、彼女がすごかったのか?
それとも彼女の受け持つクラスが、世界でもトップクラスの音大の、さらに精鋭クラスだったから、
必然的に世界で活躍する人たちが多くなっただけなのか?
個人レッスンでもやっぱり精鋭みたいな生徒教えてるような気もするし。
たとえばピアソラなんて、フランスから奨学金を得て留学するくらいの逸材だったわけでしょ?
>>938 どっちもですね。
そんな彼女も作曲家としては妹のリリーにかなわない、と畏敬の念を持っていたという。
まあ妹は早逝してまうんだが。
ピアソラにタンゴで生きるように諭した、なんてのは、彼女の審美眼の凄さだね。
いわゆる目利きってやつ。
作曲の優れた先生が、自ら傑作を作れるとは限らないってのが、
音楽の不思議なところかな。
たとえば芸大の島岡譲なんて先生、自作はどんなものなのだろうか?
池内友次郎の熊野なんて聴くと、いかにも教師が作りました、みたいな感想しか持たないなあ。
あれはなんか素材と曲がミスマッチで、へんてこな曲だ。
そこいくと、矢代は立派だ。
>>941 島岡譲って作曲家だったんだ。知らなかった。
てっきり楽理科出身の音楽学者(音楽理論家?)だと思ってた。
意外だったのが諸井三郎。
この人も名ばかりの作曲家で、
音楽理論家、教育者が実際の姿だと思ってたんだけど、
交響曲第2番、3番聴いてびっくりした。
戦前の日本人でここまで作れる人ってそう多くなかったんじゃないか?
2番はヒンデミット風、3番はショスタコ(それかマーラー?)風で、
3番は黒い感情の渦みたいなのが伝わってきた。3番のほうがすごい。
後半生なんで寡作になっちゃったんだろ?
戦争終わってやっと自由な時代になったのに、不思議。燃え尽きたのか?
コンセルバトワールでは優れた和声課題は代々保管してあってドビュッシーなんかのに混ざって矢代、
そして池内友次郎のも残ってるのだそうだ。
矢代アキヲのは次元が違っていたそうだ。
エラーがない上に作品として何か世界が花開くような雰囲気が毎回あったらしい。
ナディア・ブーランジェのピアノ協奏曲は全然面白くなかった。
ヤダスゾーンのピアノ協奏曲、ウォルター・ピストンの作品群は楽しく聴ける。
矢代は出来過ぎるが故に生徒に「なんでこんなことがわからないの!?」って怒ってたらしい
出来の悪い人の方が教える側に回った時は良い先生になると思うよ
良い曲書けても曲の仕組みだとか細かい点に対する観察力とか欠如してる人の方が多いし(矢代はむしろ逆だが)
>>942 >てっきり楽理科出身の音楽学者(音楽理論家?)だと思ってた。
こんなとんちんかんなこと音大内で言ったら楽理と作曲の双方からぶん殴られるぞ
音楽学と音楽理論はまったく別の領域で後者は完全に作曲科の領域
音楽学だとか楽理の人達で和声やりこんでるのはごく一部
>>945 >こんなとんちんかんなこと音大内で言ったら楽理と作曲の双方からぶん殴られるぞ
だからなんだよ、知らねえよ、そんなこと。
なんでてめえに「ぶん殴られる」なんて言われなきゃいけねぇんだよ!
>音楽学だとか楽理の人達で和声やりこんでるのはごく一部
これこそ楽理や音楽学の奴らにお前がぶん殴られるんじゃねえの?
>>945 しかも話しの主題はそこにあるわけじゃねぇだろ!
「作曲家として才の感じられない人でも、教育者として偉大になる場合もある」っていう話しだろが!
主題に直接応答できねぇならいちいち書き込むな、バカタレが!
C.Sはどこにあるんだ?
ナディア・ブーランジェのドキュメンタリービデオを見ると
彼女は、駄作はすぐにわかり、厳格な作曲法で駄作をよく書かれた作品にまで高めることはできるが、
よく書かれた作品と傑作の決定的な差を生む要因や、よく書かれた作品を傑作にする方法はわからない、傑作を生むのは本人の作曲の才能がないと無理と言ってた。
だから低い確率で見つかる作曲の才能を持った人を発掘するべく、たくさんの生徒を教えたんだろうね。
>>946 ぶん殴るの俺じゃねーから
音楽学と作曲科は仲わりぃしその争点が音楽理論だったりするんだよ
おっと仲が悪いとは言い過ぎた
楽理と作曲が対立する時の争点のひとつが音楽理論に対する理解の有無と言っておこう
ところで音楽理論に造詣の深い音楽学者を知ってるなら教えてもらいたい
レンドヴァイ
>>951 ベルクの弟子で社会学者のアドルノ。
ブルックナーの作品校訂で有名なハースやノヴァーク。
探せばいくらでもいるだろうに。
楽曲分析専門にしてるやつと、社会や思想を専門にしてるやつとでは、
知識が異なってくる。これはそういう学問なんだから当たり前。
音楽理論知らないって、まるで馬鹿にしてるように言ってるけど、
じゃあお前はドイツ観念論の音楽美学のはなしについてこれるのか?
カントやヘーゲルやシュレーゲルの美学思想についてこれるのか?
てか、お前の考えだと、楽理科や音楽学学科出身じゃないと、
音楽学者になれないことになる。
お前の視野狭すぎ。
それにお前のいう「音楽理論の有無」ってなんだよ。
作曲科のやつだって、全員が、中世・ルネサンス音楽の理論的側面や、
カーターのピッチクラスに精通してるわけじゃねぇだろ。
>>953 おっしゃるとおり楽理科の連中にはよく作曲科は本を読まないと馬鹿にされる宿命にある
逆もまた然り、音楽理論に関してはね
だから念を押して「争点のひとつが」と書いた訳ですべてとは言っていない
理論の大家である島岡譲が楽理出身だと思ったなんて台詞は
そういう学部内の傾向性を把握してる人間なら決して出ない発想なんだよ、という話
あーめんどくせ
楽理科だろうと、音楽学専攻だろうと、作曲科だろうとそんなもんどうでもいい。
仲悪かろうとどうだろうと、このスレ住人には関係ない。
高卒でクラシック分野の世界的な作曲家なった人もいるし、
松村禎三みたいに、高卒で芸大教授になった人だっているだろうよ。
松村先生の場合は、本当は作曲科主席合格だったらしいけど。
伊福部昭みたいに農学部林学科出身で、日本の音楽界の重鎮になった人
だっているだろうよ。
ヴェーベルンみたいに音楽学専攻で、高名な作曲家になった人だって
いるだろうよ。
学科なんてどうだっていいだろ。
>>949 >傑作を生むのは本人の作曲の才能がないと無理
身もふたもないことを…けどこれが真実なんだろうな。
ナディア・ブーランジェにとって、
ピエール・アンリはどういう生徒だったんだろ?
有能な生徒だったのか、それとも…
ピエール・アンリの主要作品に、純粋なピアノ作品とかオケ作品がないに
等しいから、学生時代どういう作品作ってたのかけっこう気になる。
ブーランジェの弟子に、世界最長老のDJがいるかと思うと、ちょっと笑える。
>>956 そりゃ学科の勉強とは別に作曲もやってたってだけの話だろ?
上に出てるのは音楽理論家の学科と聞いて始めに楽理と作曲のどちらを連想するかという話であって
普通は作曲だ
失せろ
×失せろ
◯矢しろ
島岡譲が作曲科出身だろうと、楽理科出身だろうと、音楽学専攻出身だろうと、
器楽科出身だろうと、林学科出身だろうと、高卒だろうと、
彼の音楽理論教育が優れていれば、それだけでОKになる。
彼が優れた教育者であれば、
学歴や専攻がなんであれ、みんなから尊敬されるようになる。
批判もあるけど、多くの人が彼を尊敬している。
「音楽理論は〜学科で学ぶのが普通」なんていう意見は、
あまりにも視野が狭すぎる。
島岡譲くらいの人だったら、
楽理科出身でも独学やら何やらで優れた音楽理論家、教育家になっただろう。
うざいから学科云々の話はもうすんな。
結論:音楽学と音楽理論は違う
書法スレらしく学習フーガで秀逸だと思うやつ挙げてけ
学習追走曲収録の矢代(主唱不詳)
ここって、過疎ってるか、ののしり合ってるかのどっちかだな。
たいてい962みたいな、無知で頑固なやつが
持論押し通すパターンでスレが荒れてる。
こいつ、音楽学を、研究者・専門家みたいな学術レベルじゃなくて、
学生の勉強レベルで考えてる。
日本音楽学会の学術誌読めば、音楽学が、文化、思想だけでなく、
音楽理論や楽曲も、その研究対象になってることくらいすぐ分かるだろうに。
学生の勉強レベルで考えて、ろくに調べもせず、無知のまま、
962みたいなこと平気で書いてる。
こいつ、945のやつだろ?
いっつもこのスレ荒れるのって、コイツのせいなのか?
このスレは性質上若者が集まりやすいので仕方ないのでは。私は諦めています。
>>964 ブル厨の自己紹介乙って言って欲しいの?
ブーメランが刺さってますよ
はっはっは。まあこのスレの限界でしょ。
自説を展開したけりゃ、堂々と作品なり論文なり出して世に問えばいいんだし。
だいたい作曲家にとって、自分以外の作曲家理論家が存在しても何の得にもならないしな。
人のやってることを批評するのは誰でもできるよ。
>>952-953 レンドヴァイ・・・確かに音楽理論を教えているらしいが音楽学者ではなく作曲家、指揮者。
アドルノ・・・色々やってて作曲家でもある。しかし特に音楽理論について情報無し。
ハース・・・音楽学者だけど特に音楽理論について(
ノヴァーク・・・音楽学者だけど特に(
調べてもなんも出てこないんだけど?
えっまだいるの?
(レンドヴァイが指揮者・・・?)
>>971 レンドヴァイ・カミルローの方。ヴァイオリニストではなく。
クラシックの音楽理論について話すスレで(今はスレタイ少し変わったけど)
レンドヴァイと聞いてカミルローとかヴァイオリニストとかさ、今すごくやらかしてるってわかってる?
というか本屋行ったことあんの?ってそういうレベル
今後君のレスにまともに取り合う人いないと思うよ
>>973 レンドヴァイは中心軸の人
音楽学者って紹介されてるけど作曲出で理論が専門
レンドヴァイまで作曲扱いかよ、自由自在だな(失笑)
双方突っ込みどころあり過ぎ
たぶんネット上(しかも日本語オンリー)で調べて「なんも出てこない」と判断したんだろう……
ここでいう音楽理論ってなんなんだ?
和声とか楽式とか主題労作・変奏とかみたいな、アナリーゼやら作曲やらに
必要な知識のことか?
それとも、エリオット・カーターの音楽語法みたいに、作曲専攻ですら
任意で習うような知識のことか?
もし前者なら、作曲専攻みたいに必修じゃなくても、
任意でいくらでも授業とれるんじゃないか?
つまり作曲専攻だろうと、器楽や音楽学専攻だろうと、
十分習えるんじゃないか?
だから大島ミチルみたいに、作曲専攻じゃないのに、
島岡譲を師と仰ぐ人が出てくるんじゃないか?
アドルノやハース、ノバークの音楽理論の知識量について。
アドルノに関していえば、『マーラー』、『アルバン・ベルク』、『ベートーヴェン』で、
それぞれの作曲家の作品をかなり詳細にアナリーゼしている。
たとえばベルクの作品を分析した人なら分かると思うけど、
彼の曲をアナリーゼするためには、かなり高度な音楽理論の知識が求められる。
マーラー、ベートーヴェンのアナリーゼでも同じかもしれないけど。
このアナリーゼを基に、音楽社会学という視点から作品を論じているから、
ものすごく難解。
作曲専攻でも、音楽学専攻でも、はっきりいって彼の本を読める人は
少数だと思う。
ハースとノバークは、作品校訂している段階で、音楽理論的な知識は
十分証明されてるんじゃないか?
もし彼らの知識がいい加減で、知識不足ゆえに校訂も
いい加減なものになっていたとしたら、
高名な指揮者や演奏家たちが、ハース版、ノバーク版で演奏するわけないだろうに。
音楽なんて正解なんて無いんだよ。
だから音楽雑学を一杯知ってる奴が一番偉いと決めて
そいつの言うことを正解にしようという暗黙の了解があるわけ。(音楽畑では)
ここにあげられた俗に言う有名人はみんなに担ぎ上げられたってだけで
いくらでも換わりは入るし組織を守れればそれで良いってことでいつでもポイされる。
これが本当の音楽社会学なわけ。
アカデミズム
以上
高名な指揮者演奏者が作曲家の研究の専門家というわけではないでしょう。
有名な研究者が校訂した版を用いれば自分で分析研究する手間が省ける。
それが本音だと思いますよ。
聖書研究と一緒でしょう。
普通のただのおっさんが3日で書いた作文を
何世紀もわたって理屈を捏ねて尤もらしい説明文をつけるような。