面倒だからロクに読まずにかくけど、
再三言われてる事だが、この話は「音の集まりとしての音階」じゃなくて、
度数の役割(機能)として、本に書いてある文の意味を汲取ってある程度類推して読むことが必要じゃないのかね。
思わず20年前に読んだコステールとか思い出したが、(いずれにしろ不完全っちゃ不完全な定義文だとは思うが)
例えば、ずるずるべったりの音高の集合でなく、この時点で「実際の音楽の音の動き方」とか「音程」を考慮に入れてしまえば、
III-W、Z-Tの各半音、例えば
前者を#側の近親調の否定、後者をb側の近親調の否定、とあっさり考えることもできるよなあ。
(勿論これは、「考える事の出来る可能性」であって何かの「定義」でもなんでもないよw)
で、これって簡単に言ってしまえば「終止形」のことだよね。w
(で、Xを外すシチュエーションってあるよね、勘のいい人ならピンとくるとおもうけど、まあここでは書かない)
で、この話でいうと、
>>940の☆は、頓珍漢な話だってのが一目瞭然。
Yは、機能的には補助的な位置付けであり、(和声的、旋律的を受け持つ度数)
この場合の(範囲の)、判定の材料としてはどっちでもよいようなもの。他の音と同列に並べる事自体、無分別の無意味なこと。
発見したぞ、と喜んでるところ水さして申し訳ないが。
これだと、楽典に書かれてるように長調でも短調でも、条件は同じ。
納得できるよね。
文章の言葉尻ひっつかまえて、ああだ、こうだこねくり回しても無駄だってはなし。