【和声法】クラシックの音楽理論10【対位法】

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245名無しの笛の踊り
音楽の歴史において、人工的なカノンやフーガなどが比較的
早い時期に現れたというのは不思議ですね。モーツァルトの
ように頭の中に浮かんだ音楽がそのまま楽譜になるというよう
な作曲方法のほうが素朴な感じがするのですが。。。

ロマン派のような音楽が流行りやがて飽きられ、新しい音楽と
して人工的形式的なカノンやフーガが現れ、過度に形式化され
た12音技法などの現代音楽が現れるという歴史のほう
が自然な流れのような気がします。
246名無しの笛の踊り:2010/12/03(金) 05:39:54 ID:0ad0pyH/
音楽といえば右脳的なイメージです。

音楽において、右脳的な即興曲や幻想曲のような自由な形式の音楽が主流じゃない
のはなぜなのでしょうか?こちらのほうが作曲家の魂の叫びを直接的・純粋に表現で
きそうな気がするのですが。。。

カノンやフーガはもちろん、ソナタなども短歌や俳句のようなものですよね。

12音技法などにいたっては人工的なゲームにすぎないように思います。
「オクターブ内の12の音を均等に用いるために、最初にそれらの音を1回
ずつ使った音列を作る。そのような音列は、12!(=479,001,600)通り作る
ことができるが、その全てが同等に使用できるというわけではもちろんなく、
音列そのものに工夫を凝らすことが作曲家の仕事の第一である。」とのこ
とですが、直感的なインスピレーションで重複のない12の音列が思い浮かぶ
ことなど有り得ない訳で、工夫といったところでどれほどのことができると
いうのでしょうか?

12の音列を適当に作った後は、後は野となれ山となれといった感じで、適当に
反行や逆行などの操作を最もらしく施して音列を人工的に増殖させていくよう
ですが、こんなものも音楽として認められているのが不思議でなりませんね。

12音技法ではできるだけ調性を感じさせないように作曲するそうですが、調性を
感じさせては12音技法の存在意義がなくなるからですかね。滑稽な制約としか
いいようがないですね。

総音列技法などというものがあるそうですが、これなどジョン・ケージの4分33秒
などと同様、もう開き直りですね。