【和声法】クラシックの音楽理論10【対位法】

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24名無しの笛の踊り
>>20

>譜例が示され、「しばらく聞いていると、2拍ごとに周期が感じられ、丸印
>のところが強点として意識される」とか説明されても、ピアノが弾けない
>ので理解不能な訳です。

カラオケを歌うひとに合わせて拍手をすると、自然に「パン・パン」となりますわな。あれが拍子です。
(自然に打って「ンパ・ンパ」となれば、それは裏拍。)
「パン・パン」のスピードが速過ぎてせわしなかったら、間を間引いて「パン・ー・パン・ー」と叩けますわな。
あれが強拍です。(実際には「パン・ー・ー・ー」の「パン」が強拍ですが、まあ理屈としたらこれの延長です。)

「人間の心理的傾向」と書いてありますが、それは
「人間の心理的傾向はそうだ」というのが音楽理論の前提だ、という意味ですから、あんまり気にしないでけっこう。

25名無しの笛の踊り:2010/11/08(月) 12:59:11 ID:H1iN5dHw
>>20

24の続きです。

和音についてですが、ピアノの和音を叩いて「起立・礼・着席」というのがありますわな。
あれが西洋音楽でいちばん基本となる和声進行です。
複数の和音をつなげるためのルールというのがあって、それの基本が「起立・礼・着席」。
これをどんどん複雑にして、長いつながりにするために、あれこれの理屈が必要になる、と考えて下さい。

ピアノが弾けず、楽譜の読み方もおぼつかない、という時点では、とりあえずそのくらいでいいんじゃないでしょうか?

>「次に主音にすすもうとする性格をもつ」
>という説明もありますが、必ずすすむと書いていないところを見るとすすまないこと
>もあるわけですよね。人間が次に主音が来ると無意識に期待するということですか
>ね。で主音が来なかった場合には意外な感じがするとか。

カラオケで歌うときに、最後の一音の前でスパッと歌うのを止めたとしたら、
欲求不満というか、もやもやした気分になりますか?
そのもやもやした気分を作るのが「主音にすすもうとする性格」というやつです。
26名無しの笛の踊り:2010/11/08(月) 13:14:09 ID:H1iN5dHw
>>20

25の続きです。

25後半の説明は、実際には導音そのものの説明ではないのですが、
何がいいたいかというと、導音といい、主音といい、そうした説明は
和声進行のつながりの中で、あるいはひとつの旋律の流れの中で問題になることで、
個別の音そのものにそうした意味や機能がある訳ではありません。

音階にせよ、和声にせよ、すべては「音を縦横につなげるための約束事」であると思って下さい。