【和声法】クラシックの音楽理論9【対位法】

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910名無しの笛の踊り
むかし聞いた話で、ぼくが萌えるのは、中学生同士がセックスして
男の子が包皮に埋もれた彼女のクリをもっとよく見たくなって、包皮を剥き
彼女のクリに本人の髪の毛をまいて、ひっぱり出そうとしたのだそうです
ところが髪の毛が途中で切れて、大部分はクリに巻きついた状態になって
包皮の中にもどってしまった
彼女はもちろんクリに強い痛みと不快感を感じたらしいが、男の子が何も
言わなかったので何があったのかわからず、そのまま放置したそうです
だんだんクリの痛みがひどくなっても、彼女は恥ずかしいのと罪悪感で
親にも誰にも相談できず、ひとり我慢してたそう。結局まる一日以上たって
動けなくなるくらい悪化して、ようやく病院につれて行かれた時には
彼女のクリは壊死して真っ黒になってたそうです
当然手の施しようがなく、クリを切ることに
クリ切断を宣告された女の子の、泣きじゃくる様子がかわいそうすぎて
まわりもつらかったということでした
911名無しの笛の踊り:2010/11/03(水) 01:08:23 ID:gp7b70Th
しかし、なぜ12音音階なのだろうか?

音列の隣り合う周波数比を、2^(1/13)にして13音音階でも、
あるいは、2^(1/11)にして11音音階でも、いいのではないか?
12音音階なのは平均律以前の歴史を引きずっているに過ぎないのではないか?
鍵盤楽器の仕組みを考えるとスタンダードな仕様を採用せざるを得ないということか。

デジタルな鍵盤楽器とは違って、アナログな楽器で演奏される弦楽四重奏曲でも
平均律12音音階に従わせているのはいかにも窮屈なことではないか?
912名無しの笛の踊り:2010/11/03(水) 01:23:27 ID:gp7b70Th
 例えば音楽について見ますと、現在でももっとも頻繁に演奏
されるのはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの作品で
ありまして、レコードのカタログを見てもこの三人の作品の
レコードが圧倒的に多い、明らかに作曲においては累積が有
効でないことを示しています。ブラームスはベートーヴェン
の偉大さに圧倒されて何度もシンフォニーを書き直し、最初
のシンフォニーを完成したときには既に43歳になっていたそ
うであります。作曲においては累積が無効であるばかりでな
く、先代の偉大な成果は次代に抑圧的に働くように見えます。

 もう10年以上前になると思いますが、ジョン・ケージ(John
Cage)という作曲家が『4分33秒』とかいう表題の曲を書いた
という話を聞いたことがあります。それはストップウオッチ
をもったピアニストが舞台に現われ、お辞儀をしてピアノの
前に座り、何もせずにストップウオッチをじっと眺めて、4分
33秒経つと立上がってお辞儀をして舞台裏に引込むという変
わった曲でありまして、その4分33秒間における聴衆の咳払い、
溜息等が音楽を提供するというのだそうであります。勿論こ
の世の中にはいくらでも変わった人がいますから、ケージが
こんな曲を書いたこと自身はどうでも構いませんが、この曲
について現代の音楽家、評論家が真面目に議論しているとこ
ろを見ると、作曲は先代の偉大な業績に抑圧されて行き詰っ
てしまったと考える他ない、大体、常識のある人でこの『4分
33秒』などという馬鹿な曲を真面目に聴く人がいるでしょう
か?

 このように累積が有効に働かないものには進歩という概念
は適用されません。作曲が時代と共に進歩すると考えたのが
作曲が行き詰った原因であるという説さえあります。従って
人類の進歩は累積の効果が最も著しく人類が最も得意とする
科学・技術の進歩以外には考えられません。
913名無しの笛の踊り:2010/11/03(水) 01:32:40 ID:gp7b70Th
>>912

数学者の小平邦彦さんによると、「明らかに作曲においては累積が有効でない」
とのことです。

神のように崇められているバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった作曲家たちが、
12音音階に基づいた和声法や対位法などのクラシック理論を知らなかったとしたら、
どの程度の曲が作れたことでしょうか?

例えば、どんな高さの、どんな大きさの、どんな音色の、音でも自由に出すことのできる
万能な楽器のみを彼らに与えたとして、既存の曲なども聴く機会がない状況で、どれほど
のことが可能だったでしょうか?
914名無しの笛の踊り:2010/11/03(水) 01:54:42 ID:gp7b70Th
神のように崇められているバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった作曲家たちも
12音音階、それに基づいた和声法や対位法などのクラシック理論といった、いわば
ルールが与えられたゲーム上で活躍したプレイヤーに過ぎないのではないでしょうか?

ゲームのルール自体を根本的に創造しようとはなぜ思わなかったのでしょうか?

単なるローカルなルールに基づいたゲームで活躍した偉大なプレイヤーを
音楽の父や楽聖などと呼ぶのはいかがなものでしょうか?