>ベートーヴェン、「後期」と書いたのがいけなかったんですね。
普通にクラを嗜んでいればそんなことは中学生でも気付く。
仏教基本教義を勝手に己の理論に取り込んで振り回すんじゃない。
純化?何それ?
結局、小我なんて分かってないことが知れる。
一連のレスでコピペのネタを増やしたにすぎない。
529さん、話を難しくしないでくださいよ、基本的教義とか何とか、やだなあ、もう。
簡単に考えられないんでかねー。要は「無私」ってことですよ。ある思いがあって、傑作書いてやろうとか、俺ってすごい、とかそういうの無しに、思いを形にしたらできちゃったみたいな。
それはベートーヴェンはそれなりの自意識家ですからある程度は、意識したはずです。でもそれじゃ駄目だって意識も持っていたんじゃないですかねー。
昨夜あれからしばらくベートーヴェン交響曲九番、小澤新盤(UCCD-50009)を聴いてました。好みから言うとニュウフィルハーモニア旧盤(CDならUCCP-7007)のほうが昔聖カテドラル教会で聴いた実演を思い出し好きです。
あと私が突然謙虚になって、とかピュアAUの人が言ってたとか。違いますよ。なまじ本気になると、青島、SATやっつけちゃったでしょ、私も進学塾やっつけちゃったりして、多くの人に迷惑かけちゃったし、自重することを学んだんです。
ルフェビュールのCD、まだ連絡来ません。他にも幾つか注文したんですが、全部揃ったら連絡くださいと言ったもので。でも楽しみだなー。
開成(昔の日比谷卒はもう定年ですよね)→東大・法→キャリア官僚さんたち、自殺者トップランクの日本はいけませんよ。「自己保身、役所の権限至上主義」では日本はもう駄目になってしまいますよ。
「幸福の方程式」の解き方を知らないようでは優秀な人って言えないじゃないですかねー?
私は社会の底辺でこの仕事をしてますが、この仕事が心底好きだし、多忙を極めた時期もありましたが、今日はあの生徒、また今日はあの生徒と日々新鮮で飽きません。
すみれさんにまた叱られますから、このへんで。
952さん、に訂正。
ね、「おっちょこちょい」でしょ?
お前はいつも自分から話題を振って維持できなくなって投げ出す。
嘘もつきとおせなくて最後は破綻。「釣り」で逃げる。
みんな知ってるよ。知ってて楽しませてもらっている。
ラファのような自分語り音楽を利用するような愚か者はこのスレでいじって楽しむに限る。
なんの努力もせずに、あちこちの書物から利用しやすい言葉を探し出しては、自分勝手に解釈し誤用の果てに次々と話題を転じ、
都合良くエピソードをつなぎ合わせ、 辻褄の合わない虚構の世界を築く。
挙げ句の果てにそこでしか生きていけなくなってしまった。
ここは音楽の板である。音楽用語にすら無知な門外漢が、いくら他の分野から耳あたりのいい言葉、
難解且つ自らをかざりやすい言葉を選んで身に纏ったとしても、いったい誰が信用するであろうか?
>ベートーヴェンはそれなりの自意識家
モーツァルトもそうだと思うよ。共通認識にならない前提を勝手につくらないでいただきたい。
ラファはエゴのかたまりだからしかたないけどな
自分の演奏会のために作ったピアノ協奏曲は「小我」「無明」というわけだ。
了解した。ラファ
汚れた音楽を聴いているようで結構結構
ラファは、サントラ以外のモーツァルトのCDを捨ててしまえばイイと思う。
ちょっと訂正してくださいね。あなたの↑のレス、前半は、あなたの妄想、願望ですね。貴方にとっては残念ですが。
「この世の人ではない」というのは、率直にいえば、普通の社会人がしてる家庭での役割とか、日本特有の社会常識とかとは無縁に生きてきたということです。
したい事だけし、したくない事はしませんでした。振り返ればお金は後からついて着ました。人並みの努力はしましたよ。でもこと授業とオーディオに関しては、それこそ没頭しましたね、だって楽しいですから。
後半については、何もありません。どうぞご自由に受け取ってください。室井さんが言ったことですし。
ただ、私もこのスレッド楽しかったです。喧嘩するのだって相手あっての事ですし、手強ければ手強いほど「室井さんになって」レスのしがいがありましたね。
劣等感とか、はぐらかしとか、逃げとか、それは貴方の見方にすぎません。貴方にはそういう思考回路ないし感情の迷路があるのでしょう。
私は自分を他者と比較したことは17歳でレオナルドと出会って以来ありません。「これは超えられないな」が実感でした。
ロンドンナショナルギャラリーの天使ウリネルに私の理想の美を、聖母子と聖アンナの背景の山岳風景に私の人生の終着点を見てしまいましたから。
「レオナルドと比べれば日本中のどんな秀才もただの人」、それが17歳の私の実感でした。
大人になるにつれ、小さな事の中に優れた人もたくさんいる事を知りましたが、そのかた達からは勇気を戴きました。
>妄想
だってさwww
958さん、まあそれはありませんが、身辺整理という点ではその方向です。
まず、オートグラフ+アンプ類+LPプレーヤー→LPレコード→CDも100〜200枚程度に。
今年中にオーディオ機器はVLZ(ゴールド)、メヌエットU+ケリーの300B+SZ1だけにする予定です。
聴く時間を減らし、弾く時間に当てます。1年1楽章です。
しかし、モーツァルト難しいですね、K.333・1楽章。付点八分音符+八分音符で四分音符と拍数は同じで、左手と拍子を合わせるのが。右手が一音先にずれてしまう。
今年は月光・1楽章です。
来年は悲愴・2楽章。
モーツァルトはその先になりますね。
では仕事の準備に入ります。
青島全開で行ってきます。
サリエリのマーチでもやってろ
またネタ残していったな
和声やったとか楽譜見てるとかピアノがあるとか
同居人が弾いてるとかゼッテー嘘だな。
あり得ん。
小学生程度の知識もないまま音楽聞いてるわけ?
楽譜見ても気付かないわけ?違うんですよ。
>違うんですよ。私はもっとずっと先に行ってます。
置き去りにしているものの多さに気付くべきではないか。
>普通の社会人がしてる家庭での役割とか、日本特有の社会常識とかとは無縁に生きてきたということです
よ〜く分かっていると思う、みなさん方。で?
社会的不適格者→「この世の人でない」ラファ語確定。
私は自分を他者と比較したことは17歳でレオナルドと出会って以来ありません。「これは超えられないな」が実感でした。
ロンドンナショナルギャラリーの天使ウリネルに私の理想の美を、聖母子と聖アンナの背景の山岳風景に私の人生の終着点を見てしまいましたから。
>「レオナルドと比べれば日本中のどんな秀才もただの人」、それが>17歳の私の実感でした。
>大人になるにつれ、小さな事の中に優れた人もたくさんいる事を知りましたが、そのかた達からは勇気を戴きました。
一日一回大言壮語、人を見下し。
>>953 >要は「無私」ってことですよ。ある思いがあって、傑作書いてやろうとか、俺ってすごい、とかそういうの無しに、思いを形にしたらできちゃったみたいな。
「無私」は、
>思いを形にしたらできちゃったみたいな。
ということですか。了解しました。
では、
>絵であれ、音楽であれ、物と絵かき、楽曲と演奏家は、ある種敵対関係にあって、物や楽曲が向うにあって自分はこっちにいる。
>それをどう始末するかという意識が心の底にある。それがよく出るほど個性があると言っている。(
>>706)
>それをどう始末するかという意識が心の底にある。
限り、「無私」ではないんですね、演奏家は。
ということは、内田光子、ジェフリー・テイト、オットー・クレンペラー、
アルトゥーロ・トスカニーニ、ハンス・クナッパーツブッシュ・・・達は、
>恐らく無明を美だと勘違いしている(同
>>706)
ラファさんのお考え、了解いたしました。
う〜ん青島も室井も言葉遣いが変わっただけで、キャラが変わってないのだが。
だから自演もばれるんだよな
ラファって、おそ松くんのイヤミに似てない?
青島、室井を出してくるくらいだから、イヤミって言われたらきっと大喜びしているでしょう。
とにかく実在感というか説得力がないんですよね。ラファの言うことは…。
具体的な楽曲/楽譜の話では
>>961のように簡単にボロを出していますし…。
板違いにもかかわらずオーディオ機器名は間違えずに、毎度毎度しつこく書いてきますしね。みんな飽きるほど目にしています。
お薦めの演奏やら陳腐な感想文やら大言壮語やら…。
なんだかんだと二週間くらい揉めたのに「無私」でいいみたいですし。
「 」つかった言葉ほど自分が理解できていないのもいつものことですね。
結局説明できない。入力されてもそれを出力できない。
なんのことはない、正しく入力されておらず、内部回路がオカシイんです。
>劣等感とか、はぐらかしとか、逃げとか、(中略) そういう思考回路ないし感情の迷路があるのでしょう。
誰に出もありますよ、ネガティヴな感情はね。
自分で意識しているか、コントロールできているかです。
少なくともラファさんに対して劣等感を感じている人はいないと思いますが…。
ラファさんのレスの端々から、いろんな腐臭が漂ってくるんですよ。
次スレが立つようなら、またまた追求の矢面に立つ局面が続くのでしょう、あなたが「釣り」を続けるかぎり。
内田光子、ジェフリー・テイト、オットー・クレンペラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、
ハンス・クナッパーツブッシュ・・・達の演奏は、
無明の中にあり、小我から生まれた醜いもの。
で確定でいいんだ・・・
了解。
モーツァルトが演奏会のために書いた作品、就中ピアノ協奏曲などは、その最たるもののようです。
ラファ、了解です。
結局楽譜は読めてないし、耳コピもできてないことがもう明白なんだが、
ラファは一体なにを弾いてるんだ?
紙のピアノか?
>「ペダルを踏むと1分も音が美しく和音が続」 くピアノじゃなかったか?
室井:「みんな承知していて煽ってるんだ。挑発に乗るな。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、お前には分からんだろうが、そういう事だ」
青島(つまり私):「俺にはよく分からないけど、俺には同じ思いを持ってる上司がいる。だから頑張れます。あんたにはあんたの仕事がある、俺には俺の仕事がある、そういうことでしょ?」
室井:「そうだ、だがもう言うな、俺はいつかこの腐り切った連中を一掃するためにもっと上にゆく」
青島:「そうっすよね、自分の信念に反する事に命かけられませんよね、俺、室井さん、信じてますから」
俺、青島は、もうあんた達の相手はしせんから。
妬みに狂った男って俺、苦手ですから。
すみれさんが、そろそろ引導渡してこいと言うので、しました。
では7月に劇場でまたお会いしましょう。
もう一度、確認しますが、
「無私」は、
>思いを形にしたらできちゃったみたいな。
なのですね。
では、作曲家が創意・工夫などをすると、
無明の中に入ってしまい、小我から生まれた醜いもの、となるのですか・・・
承知しました。
モーツァルトのクラリネット協奏曲についてですが、クラリネットは音域によってかなり
音色が変化する楽器です。モーツァルトもそのことを理解して、いかにして、クラリネットの
魅力を引き出すことができるか、考えて作曲したと思います。(勿論、それだけではないでしょうが。)
ということは、クラリネット協奏曲は、無明の中にあり、小我から生まれた醜いもの。
承知しました。
私は、ラファさんがきちんと反論されるか、誤りであったとお気づきになった場合、
ちゃんと、訂正されるのを望んでおりました。
残念です。
>>924 >私はもっとずっと先に行ってます。おそらくピカソのゲルニカやゴヤの巨人、文学ならドスト氏の「白痴」等を差してのことかと思います。
私達は、美術や文学にまで芸術の分野を広げなくても 、芸術がただ清らかで美しいものだとは限らないことは
示せます。
>>964さんも、
>置き去りにしているものの多さに気付くべきではないか。
と仰ってますね。
未開封の『カルメン』を聴いて下さい。まあ、オペラなので、原作となったメリメの作品という文学の内容も
関わってきますが。
ちなみに、芸術がただ清らかで美しいものだとは限らないというような内容のレスをしたときに、
私の心に鳴っていたのは、シューマンの『クライスレリアーナ』でした。
愛する者への優しさや、愛情だけでなく、愛する者がいるからこその孤独(しかも背筋が凍るような)、
そして嫉妬までも、見事に表現された作品だと感じているからです。
嘆き、とも書きましたが、これは単純にベートーヴェンのソナタ31番の「嘆きの歌」でした。
>>968さんの仰る「釣り」がどれか、分かりますか?
>ベートーヴェンの音楽ですら「無明」の域を出ていない。ワグナーに到っては何をか云わんやである。
これが始まりです。少なくとも私の中では。
それから、「無明を音楽にすると、ワグナーに、バルトークになる」といった感じで
どんどん続いていきました。
974さんにレスいたします。
いつかも引用しましたが「構想は、宛も奔流の様に、実に鮮やかに心の中に姿を現します。然し、それが何処から来るのか、どうして現れるのか私には判らないし、私とてもこれに一指も触れることは出来ません」
これは創意工夫とかそれ以前の問題です。「野性の鳥を飼えば死ぬか、生きてゆけても、本来の美は失われる」はずです。
モーツァルトとて生活の為に「仕方なく」書いた作品も数多あったはずです。どれとは言いませんが、彼の作品の半数以上は駄作であることがそれを証明しています。
クラリネット協奏曲(特にその2楽章)が、作曲の経緯はともかく、誰のためでもない、神の声を「無私なる心で」五線紙に書き留めたことは確かです。
ピアノ協奏曲24番(1・3楽章)などにはかりの創意工夫と言えば聞こえはいいが、自然さを欠き、明らかに邪念が入り込んでいます。
フィガロは「序曲とコンテッサ・ペルドーノだけあればいい」と言ったのも理由は同じです。他(すべてとは言いません)は明らかに「受け」を狙っている。
演奏とて同じでしょう。初めはある意図をもっていたとしても、いつか自然に「無私」が訪れ音楽と一体になる。そんな演奏に私は名演を感じます。
同列に語っては流石に恥じ入りますが私の授業とて同じ経験を何度もしております。意図や狙い通りにはゆかない、たとえ行ったとしても生徒との一体感は生まれない。
いつか自然とひとつの目的を共有できる瞬間が訪れる。大抵自分の「個」が消え「み人知らず」の調べを帯びた時です。
「み人知らず」→「詠み人知らず」です。訂正いたします。
呆れるほどに思い込みと邪念が入ってるのはあんたでしょ
>彼の作品の半数以上は駄作であることがそれを証明しています。
>クラリネット協奏曲(特にその2楽章)が、作曲の経緯はともかく、誰のためでもない、神の声を「無私なる心で」五線紙に書き留めたことは確かです。
>ピアノ協奏曲24番(1・3楽章)などにはかりの創意工夫と言えば聞こえはいいが、自然さを欠き、明らかに邪念が入り込んでいます。
あんたの明らか、確かはどういうときにその言葉を使うの?
あんたの英語の授業は詭弁を教えてるの?
これもいつか書きましたが、「説得と思惟とはまったく別の心の動きである」と。
私は「説得」はしません。もう諦めてます。本人が得心するかどうか?それだけです。
私は「こう生きてますよ」と行動で示すだけです。だから実生活では、相手は「俺はそうは出来ないし、またしない」となります。それでいいのです。
しかし、このようなネットでは私の姿や声のトーン、仕事ぶりや様々な行動が見えない訳です。だから、余計にもめる。中には最早「固定観念化した妄想」にしがみ付くしかない人までいる。
書き込みを読んでいて、「あーこの人にはこんなことを書くしか自分を守れないんだな」と感じることもしばしばあります。
経歴とか妄想とか池沼とかそんな言葉にすがっている人達の事です。「どうぞご自由に」としか言えません。
ピアノを弾くことに関してはズブの素人ですから、率直な感想に上から目線での批判、全然OKです。
「付点八分音符+八分音符(十六分音符でしたか?)の右手と、四分音符の左手の拍数を一致させることが難しい」と述べたのです。右手が1音先にずれてしまうと。
すみれさんが「後始末だけはしときなさいね」というので、書きました。
>>977 >演奏とて同じでしょう。初めはある意図をもっていたとしても、いつか自然に「無私」が訪れ音楽と一体になる。
>そんな演奏に私は名演を感じます。
ホロヴィッツは違うでしょうね。彼はジュリーニとのピアノ協奏曲23番、第2楽章に於いても
ロマン主義を貫いています。素晴らしい演奏ですが、モーツァルトの音楽と一体になっているか、
と言えば、疑問が残ります。
ラファさんの授業と同列に語っては、ラファさん以上に私は恥ずかしい気持ちで一杯ですが、
ホロヴィッツの「個」は決して消えていません。
ホロヴィッツの23番、第2楽章には名演を感じない、了解です。
>>980 ラファさん以外に誰も理解不能な思惟は、ここに書込みをしてするものべきもの
ではないですね。
チラシの裏にでも書いて、思惟を進めて下さい。
>私は「こう生きてますよ」と行動で示すだけです。
>私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている(
>>676)
人生をこう渡っているということは、書かないで頂きたかったです。
音楽以外のことについては、現実社会で行動で示すだけにして欲しかったと思います。
975さんには感謝いたします。
そうでしたか。嫉妬でしたか!
以前書いたことがありましたが、クラシックLP収集家の知人にシューマン、ドビュッシィー、リスト、ショパンの曲を片っ端からカセットに録音してもらい1ヶ月ほど聴いていたことがありました。
しかし、どうしてもシューマンが解らない。その代表作であるクライスレリアーナからして解らない。
嫉妬でしたか。解らないはずです。
「愛しむが、拘泥はしない」が、私の10代の頃より心の一番奥深く沈潜した気質です。
形あるものはいずれ消える。だからあれほど愛しんだオートグラフにも未練はない。残るとすれば、たぶん「思い出」。
レオナルドは死の床でフランチェスコに「何もかも中途半端で、何もできないまま…」と漏らしたという。
フランチェスコは「いえ先生、絵は残ります。それから、解剖の本も、手記もあれもこれも…」
レオナルドはフランチェスコの言葉を遮り、「そんなもの何でもない」と。
「では先生と私の思い出は?」
「それくらいだよ、フランチェスコ。少し横にしてくれ」
その数日後、レオナルドはその生涯を終えた。
>>983 嫉妬って、「やきもちを焼く」のような類のものではないです。
『クライスレリアーナ』で表現されているのは。
愛する者に会えない強いもどかしさ、が嫉妬という感情になって
表出されているとでも言いましょうか。
985 :
964:2010/06/18(金) 18:35:27 ID:l3dY5IuB
>クラリネット協奏曲(特にその2楽章)が、作曲の経緯はともかく、誰のためでもない、神の声を「無私なる心で」五線紙に書き留めたことは確かです。
あなたに言わせれば作曲の経緯は大事でしょ。
「確かです」確かなら、根拠を示していただきたい。
「神の声」だから説明できないでは済みませんぞ。
「神品」なら理解できなくもないが。
>ピアノ協奏曲24番(1・3楽章)などにはかりの創意工夫と言えば聞こえはいいが、自然さを欠き、明らかに邪念が入り込んでいます。
「邪念」も芸術になり得るが。
「明らかに入り込んでいる」をご説明いただきたい。
あなたの思考/思惟は歪んでおり、出力のための言語も拙く誤りが多い。
八分音符と十六分音符の違いは、単なるミスでは済まない。重箱の隅を突いているのではない。
音楽に関わる用語をミスすることはない、このスレの人は。
楽曲を入力されて「確か」「明らか」を使える人とは思えない。嘲笑の対処になるのは細部を疎かにしているからだ。
あなたの言葉に魂が宿らないのは実に些細なことを置き去りにしているからだ。
音楽においては木も森も見えなければならないことをお忘れなく。
モーツァルトの音楽は、決して神などという得体の知れないものが取り憑いてできたものではない。
あくまで「神が乗り移ったかの如く」であり、モーツァルトは神である、などとほざいてはいけない。
モーツァルトは「作曲」したのである。「考えて作った」から凄いのである。「考えれば作れる」から凄いのである。
なにやら天才というと「持って生まれた超人的な才能」と勝手に決めつけ、
「考える」というと「作為的」であり、「努力の産物」といった一段低いイメージにとらわれているシロートが多い。
モーツァルトを神/天才と持ち上げ、
自らは天才を理解できる優秀な人物という自己陶酔=代償行為に浸ることで、感性を磨く努力を怠る怠け者もいる。
モーツァルトは「考えて作る」「考えれば作れる」という才能を不断の努力によって獲得していったのである。
モーツァルトの後期の作品は、「努力」の形跡が楽譜の訂正からもうかがえるよね。
クラコンしかりジュピターしかり
>嫉妬でしたか。解らないはずです。
>愛しむが、拘泥はしない」が、私の10代の頃より心の一番奥深く沈潜した気質です。
こんなことを書かないと自分を守れないんですね。
あなたがどう生きるかは自分で決めていいし、あなたがどんな人かは我々が決めていい。
あなたは理解できない時に音楽のせいにしすぎです。
曲のせい、作曲家のせい、演奏家のせい。
いいえ、あなたの愚鈍さのゆえです。
次スレは無用だと思います。
さっさと潰してしまいませんか?
他のスレを荒らすから、またつくったほうがいいよ
誘導できるから
脳も宇宙も学べない、私大になんとか滑り込む
浪人してまで滑り込む
かくもお寒い知能なら、誰もが納得、異論無し
それでもボクは認めない、「孤高のプライド」降伏拒否
問題自体が下らない、受験勉強苦手です
懲りない言い訳、繰り返す
50過ぎても繰り返す
日陰仕事の予備校講師
所詮些事たる大学受験、おいらにゃ天下の一大事
やっと見つけた天職に、嬉しくってたまらない
もう再受験しませんよ、また落ちちゃったら傷つくし
馬鹿がつかんだあぶく銭、やっぱり俺は生徒のネ申
勘違いした呆け老人、羞恥心をすっとばす
天から下る陳腐な言葉、連日2ちゃんで書きまくる
アルコールは断ったけど、2ちゃん中毒治せない
論文書けない、詩も書けない、書いたところで相手にされず
我田引水、牽強付会
受け売りばかりで脳力ゼロ、頼みの感性ゴミ同然
毎日毎日馬鹿にされ、ここが潮時、撤退宣言
今年○度目、撤退宣言
>芸術がただ清らかで美しいものだとは限らないというような内容のレスをしたときに、
>私の心に鳴っていたのは、シューマンの『クライスレリアーナ』でした。
>愛する者への優しさや、愛情だけでなく、愛する者がいるからこその孤独(しかも背筋が凍るような)、
>そして嫉妬までも、見事に表現された作品だと感じているからです。
これは、あくまでも
>>975氏の見解。(「嫉妬」はあくまでもプラスアルファ。)
このレスに悪のりして
>嫉妬でしたか。解らないはずです。
>「愛しむが、拘泥はしない」が、私の10代の頃より心の一番奥深く沈潜した気質です。
と、ちゃっかり自分を美化するために利用する始末…。
クライスレリアーナが理解できないのはラファの感性が貧困だから。
シューマンを理解できないのは「愛しむが、拘泥はしない」(大爆笑)からではない。
いやいや、読んでるこちらが赤面してしまいますよ
オレも別に次スレ要らないと思うけど。
995 :
名無しの笛の踊り:2010/06/18(金) 23:48:55 ID:EAeXqqhN
996 :
名無しの笛の踊り:2010/06/19(土) 00:06:25 ID:jKa05Rcs
すみれってのは何者なんだ?
真夜中にメールのやりとりとキモい
音楽の話なんか、ここに来なくたって
すみれ(オエッ)とメールでやりとりしてればいいのに。
>ピアノを弾くことに関してはズブの素人ですから
ピアノを弾くことに関しては
ピアノを弾くことに関しては
>四分音符の左手の拍数を一致させることが難しい」
1,2,5,6小節なら一致させやすいだろ。
ずれるのならむしろ…。
九小節目のことならお得意の「釣り」か?
てか、新しい楽譜なのか?
モーツァルト 交響曲第25番 スレ
255 :名無しの笛の踊り:2010/01/28(木) 02:38:37 ID:1dFiju5a
(略)
>私の場合、クレンペラー、ブリテン盤は1楽章、あの装飾音の処理の仕方でもうアウトですね。
>張り詰めた緊張の糸が弛んでしまう。
断りも詫びもなく「ポルタメント」やめて「装飾音」に直してんだよ、このカス!
間違いは絶対素直に認めないし、詫びもしないんだよな。
この世の人でない人って、そういうことなんだよな
了解
厚顔無恥って知ってるか?
1000 :
名無しの笛の踊り:2010/06/19(土) 00:44:10 ID:/pTnX9yb
なんですそれ?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。