モーツァルトの生涯(生い立ち・エピソード・伝記)

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68名無しの笛の踊り
モーツァルトの多額の借金を根拠に、夫婦そろっての浪費家で、家庭のきりもりが
できない悪妻だと言われてきた。さらにはモーツァルト・ギャンブラー説までも一人
歩きしていた。近代ではそれらはかなり見直されている。
1791年に作成された遺産目録には、高価な衣装類や家具、食器のほか、ビリヤード
台まで記載されている。仕事柄、貴族階級を相手にすることも多かったとあれば、
それらの贅沢品は「必要経費」だったと思われる。もしかすると、現金ではなく
「現物支給」の場合もあったかもしれない。

また当時のウィーンは、対トルコ戦争などで軍事費に膨大な予算がかかり、物価も
安くはなかったようだ。モーツァルトの経済状況を苦しめたのは、その戦争が引き
起こした不況とインフレだった可能性が高い。
もうひとつの悲劇は1790年2月に最大の保護者を失ったことである。ヨーゼフ2世は
モーツァルトには寛大でなかったものの、実力者であり文化・芸術の保護者であった。
新皇帝のレオポルト2世は宮廷作曲家の地位こそ据え置いてくれたが、モーツァルト
にほとんど関心を払っていない。

モーツァルトが返す当てが全くなければ、プフベルクも多額の現金を貸し付けることは
なかったに違いない。モーツァルトの突然の死によって当てが外れてしまうのである。
モーツァルトがあと数年でも生きていれば、事情は違ったのではないでしょうか。。。

>>65
興味深い話をありがとう