貴方方は如何にブラームスと付き合って居られるのでしょうか…
私は専ら、教材の準備などをしながら(「ながら」については、愚鈍な手合いに難癖を付けられましたが)「小澤/サイトウキネンのブラームス・1番」です。
仕事はいつもブラームスでないといけません。
大抵うまくゆきます。
特に1番(小澤/サイトウキネン)、3番(ヴァント)の4楽章など、クナのワグナー(ジークフリート・葬送曲やタンホイザー序曲etc…)と並びオートグラフの独壇場です。
あと「Vn.ソナタ」もいいですね。
特に感性も要らない、直観も必要とせず、急ぐこともない、堅固に理のみでゆく。
ブラームスは始まりがあり、理に適う積み重ねがあり、終わる。
皆様ご承知のように、ともすると私はモーツァルトで授業をしてしまいます。
You should improve your knowlege of this machine.
高校1年生にこんな英文を与え、「この文では improve は副詞だと解るね!」とか。
「え、動詞じゃ?」とか言う生徒の相手はしてきませんでした。
モーツァルト的な生徒ならすぐに「ピン」とくる。
講義形式の選抜クラスならそれで済んでいました。
しかし、今は、「個別対応」の仕事をさせて戴いており、ブラームスくん達にも解るように解説せねばなりません。
そこで、ブラームスで自分を制御するのです。
モーツァルトの本質については一行で片付きますよ。
『始めに終わりが来るモーツァルト!』
以前より何度も申してきた事です。
お解りですか?
モーツァルトをアナリーゼするなどという頓馬もおりましたが、モーツァルトは分析できませんよ。
円はどこで始まりどこで終わるのですか?
生きた鳥を解剖し標本にしても、もう空は飛びません。
ラファスレにはそれすら解らず、私に難癖をつける無知なる者が集まり(しかも、いつも話しがすれ違う…)正直うんざりしております。
そこで、皆さんのご意見をと伺おうかと。
お解りですか…
無理でしたかね。