◆◆◆◆ブルックナー総合スレッド第6楽章◆◆◆◆

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822名無しの笛の踊り
当方、『分析→アナリーゼ→解釈』を徹底的に考察した者である。
以下に述べることは、「無知なる者」には理解不能であった。仕方の無いことといえば仕方のないことであるが・・・

『解釈を拒絶して動じないものだけが美しい』

「クナッパーツブッシュ・ブルックナー交響曲3番(+V.P.O)」1楽章、再現部の金管群の「ヒマラヤK2」が眼前に迫る如き畏怖(私はタムセルクはこの目で見ている)、それに続く「V.P.O の弦楽器群の凄絶さ」、
他の誰がV.P.O からこんな響きを出せたであろうか?まさに空前絶後の演奏とはこのような演奏の事を言うといえる。
クナ・ミュンヘンのブルックナー交響曲8番4楽章・展開部におけるティンパニーの強打、そらに続く音楽が止まってしまうかの ような優しい眼差し。

これは分析の結果では無い。
823名無しの笛の踊り:2010/03/21(日) 08:16:16 ID:vpP8WvvJ
「分析では無い 」と確信したのは、アナリーゼによる解釈では説明がつかないからである。

「君らはこの曲は良く知ってる。わしも良く知ってる。なら練習はこの辺でいいだろ」
リハーサル嫌いで有名だったクナに纏わる逸話だが、クナの「存在そのもの」があの音を生んだ。そう考えていい。
何をどう分析しようとカラヤンには「あの音」は出せまい。
ベルリンフィルが練習中に客席の奥にフルトヴェングラーの姿を見るやいなや「音が変わ
った」というではないか。

そんなものだろう。
824名無しの笛の踊り:2010/03/21(日) 08:23:55 ID:vpP8WvvJ
こんなことでさえ「理解出来ぬ頓馬」は、「クナーパーツブッシュのブルックナー交響曲8番4楽章」と「ヴァントの同曲同楽章」を100回聞き比べでみ給え。
「魂の震撼」と「音響の交通整理」とはべつの話である。「人間力」というものは確かに存在している訳で、やれ
分析だの解釈だのでは絶対に至ることの出来ない領域と言ってもよいかもしれぬ。

はじめから「無い」ものは、どう分析しアナリーゼしようが「出て来ようが無い」。
それが「カラヤンにはこの音は出せまい」の意味である。

私は瞬時に「その有無」を聴き取る。どこぞのどなたかが30秒でどうとか。こちらはオーディオで30年以上前からしてる事ですよ。
演奏とて同じです。

このあとに続くレス、想定できますね。
「ある者の成りすまし乙」でしょうか?

そう思う者はスルーされよ。「無知」は沈黙を貫くことを私はお薦めする。
825名無しの笛の踊り:2010/03/21(日) 08:27:54 ID:vpP8WvvJ
最後に、『分析すればするほど、形が崩れてくる様なものを一切黙殺する精神、そういう精神が語りかけてくる演奏に私は感動する』
と申しておく。