フィルハーモニカーIKU,ヤーパン

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1名無しの笛の踊り:2008/08/15(金) 14:40:55 ID:GDC35jOQ
このオーケストラを語りましょう
IKUフィルの下部組織です
2名無しの笛の踊り:2008/08/15(金) 15:38:56 ID:5Hl9yPm7
指揮者は誰か? 
3名無しの笛の踊り:2008/08/15(金) 15:42:00 ID:GDC35jOQ
Organized on 8.14.2008なので
まだ常任指揮者も決まっていない状態です。
各方面に打診しているとの事ですが…

このオーケストラは下部組織といえど、メンバーの自治によるオーケストラなので
多分9月の第一回会議で投票により決まると思います。
4名無しの笛の踊り:2008/08/15(金) 20:44:01 ID:GDC35jOQ
後で、このオーケストラが出来た経緯などを、投稿しようと思います
5名無しの笛の踊り:2008/08/16(土) 10:05:55 ID:bPOp9owf
IKUフィルの本拠地ってどこにあるんだっけ?
6名無しの笛の踊り:2008/08/21(木) 09:03:45 ID:LwL6JSSp
IはイスラエルのI
7名無しの笛の踊り:2008/08/21(木) 17:48:02 ID:XMN6rUWE
このスレはとっくに削除申請されている。
8名無しの笛の踊り:2008/08/22(金) 08:20:12 ID:rgNgRQeU
IKUフィルハーモニー管弦楽団設立の歴史は、19世紀までさかのぼる。
IKUフィルは日本最初のオーケストラであるにもかかわらず、その歴史は抹消され、ごく最近までは戦後ドイツで興った、とされていたのである。
当初IKU交響楽協会として、発起人であるドイツ人の指揮者Koch、日本人のヴァイオリニスト伊藤、運営担当の上杉の三者の頭文字を取り、こう名づけられた。
IKU交響楽協会はドイツ人と日本人がほぼ半々で活動するオーケストラであったものの、日本のクラシック音楽の歴史そのものといわれた日本交響楽協会とも完全に交流がなく、
場所的な制約もあり、ごく限られた人々の間に知られるのみとなった(その中にはオランダ人を含む外国人も多かったといわれる)。
戦前まで九州で活動していたものの、戦争開始後、ドイツ人のほとんどが帰国し、オーケストラは形式上解散した事になっていた。
しかし、少数のユダヤ系ドイツ人は日本に残り、日本の占領の解けた1952年に、少数の日本人団員を含む31人がドイツへと渡った。
以後、IKUフィルハーモニー管弦楽団として活動を再開したが、日本にはこの状況は一切知らされなかった。
終戦後占領の解けた日本とはいえ、ドイツ人を匿っていたこと、また占領後すぐに日本人が欧州へ渡ったことなど政治的問題が生じ、社会的にもこれを公表する事は適切でなかった。
そのためほとんどの日本人は、戦後ドイツで発足したオーケストラとして紹介された。
9名無しの笛の踊り:2008/08/22(金) 08:24:20 ID:rgNgRQeU
1975年初来日。その後も数々の来日を重ねるが、2005年、終戦60年を記念して、IKUフィルハーモニー管弦楽団楽長(Kapellmeister)Hans Otto氏が、
過去の正しい歴史と隠蔽せざるを得ない状況の説明とを説明するとともに、団員全員を代表して謝罪した。
(しかし、実際には前年にIKU交響楽協会時に団員であったコントラバスのBecker氏が逝去し、当時の状況を体験した団員がいなくなった事が契機になったという憶測もある)
と同時に、本来日本のオーケストラであるが、IKUフィルはもはやドイツのオーケストラとして、地元との結びつきも強く、団員もほとんどがドイツ人であり、
日本人に関してもドイツの地において生まれた二世であることから、IKUフィルはドイツで継続すべきとの見解を示した。
しかしながら、本来の地日本においてもIKUフィルとして活動を再開すべきであるというのも、また団員の意思であるから、
団員の一部と、日本人による新しいオーケストラを組織し、団員も柔軟に交換・交流するような、姉妹オーケストラを設立すると、発表した。
これが、フィルハーモニカーIKU、ヤーパンである。
姉妹オーケストラとはいえ、このオーケストラはIKU交響楽協会の伝統を重んじており、自治による運営を行っていく予定である。
このオーケストラは準備期間を経て、2008年8月14日にメンバーが集まり、第一回の団員会議を行った。
この会議で、今後の活動内容、常任指揮者、演奏曲目などが話し合われた。
10名無しの笛の踊り
少し日本語のおかしいところもあるが、朝一で急いでタイプしたため、許していただきたい。