1 :
名無しの笛の踊り:
について語ろう
2 :
名無しの笛の踊り:2007/05/20(日) 11:04:07 ID:5so0yyHr
俺にどうしろと言うんだ?
3 :
名無しの笛の踊り:2007/05/20(日) 11:13:43 ID:FtFkV3kE
語れ
4 :
名無しの笛の踊り:2007/05/20(日) 11:25:10 ID:bGZxhUTj
>>1 お前、スレ立てのセンスゼロだな。糞スレにすらなってねえよ。
つーか10年ROMってろ。
5 :
名無しの笛の踊り:2007/05/20(日) 11:36:27 ID:3NYFp8Qr
6 :
名無しの笛の踊り:2007/05/20(日) 11:45:21 ID:5so0yyHr
(・θ・) チュチュンガチュン!
7 :
名無しの笛の踊り:2007/05/22(火) 10:10:11 ID:3aLLUwFU
噂の糞以下スレ
8 :
名無しの笛の踊り:2007/05/23(水) 01:36:38 ID:C0hip3cy
ど素人?
9 :
名無しの笛の踊り:2007/05/23(水) 06:27:58 ID:kpPSqjL6
ウト・ウギ
10 :
名無しの笛の踊り:2007/05/24(木) 11:55:44 ID:3/jPaHtf
ドシロー・ウノ
11 :
名無しの笛の踊り:2007/05/29(火) 21:50:58 ID:zCrM/Um/
クロート・ドピュッシー
12 :
名無しの笛の踊り:2007/05/29(火) 21:52:50 ID:CBugoWtk
聴く人が素人だと困る音楽ってこと?
つまり、知識が必要だと?
13 :
名無しの笛の踊り:2007/05/29(火) 23:58:31 ID:0uxM/wFu
良スレ
ドシロー・ウト(ウト・ドシロー、Dthrow,Ut、1883-1933)は
オーストリア、ハンガリーで活躍した作曲家、教育学者。
Dthrow が苗字、 Ut が名である
ブダペスト国立音楽院を経て1903年にウィーン音楽院に入学、
若い頃はヴィオラ演奏で生計を立てていたドシローだが、
1908年にはシェーンベルクに出会いそれ以来作曲を師事、ベルクらと親交を深める。
しかし1912年に思想上の理由でシェーンベルクと対立、それからは新ウィーン楽派とは別の道を歩む。
母国ハンガリーに戻ったドシローはハンガリー民謡の研究に取り組むが、
バルトークの策略によりその成果のほとんどはバルトークの功績とされた。
この時期のバルトークの作品の多くが実はドシロー作品をもとに改編したものであるが、
このことはあまり知られておらず、ドシローの名前があまり残っていない原因でもある。
1933年にソヴィエトへの演奏旅行中に事故。一説にはバルトークの陰謀とも言われている。
寡作であり、代表作品には
管弦楽のための3楽章(習作)
弦楽のための変奏曲 op.4
弦楽四重奏曲 op.6
に加え未完となった大作、歌劇「アルマとグスタフ」がある
編曲作品に室内楽と2人の独奏者によるマーラーの「交響曲第8番」がある
多くの作品は紛失・消失しており、バルトークが疑いをかけられているのは当然ともいえる
(・θ・) チョチョンガチョン!
18 :
名無しの笛の踊り:2007/06/10(日) 12:38:08 ID:23iEFWp1
ちなみに、アントニン・フルックナーの唯一の弟子である
19 :
名無しの笛の踊り:2007/06/10(日) 19:44:14 ID:yMsk2N8u
フルックナーと違って作品の数が少ないんだよな。
寡作家か
21 :
名無しの笛の踊り:2007/07/07(土) 12:25:14 ID:R+zJTd3H
アルマとハメハメな仲だったのは周知
22 :
名無しの笛の踊り:2007/07/25(水) 00:17:19 ID:8GdCMPwT
デッカ・マーラーに慣れていたアルマには
物足りなかったそうな
バルトークどんだけ悪役