アントニン・フルックナー(1739-1811 ボヘミア)
25 :
名無しの笛の踊り:2006/04/16(日) 02:09:52 ID:gSxQsT7y
た
26 :
名無しの笛の踊り:2006/04/24(月) 07:32:42 ID:cvYCQjF1
回避
チャーミングの極みといえよう
76年、36歳の時、病身の母を一人ボヘミアに残したまま再びウィーンへ上京、
当時交響曲作家として名をなしつつあったハイドンとの接触を試みるが、
折しもエステルハーザ宮の劇場活動の拡大によって年間を通じてオペラの
作曲と楽長としての仕事とで多忙を極め始めていた彼に面会する機会はつい
に得られなかった。フルックナーは失望のあまり「ハイドンもまた愚劣な
貴族なぞの道楽に殉じてその才能をくだらぬ歌芝居ごときで腐らせるのだ」
と呪詛の言葉を吐き、以後終生ハイドンを自分の最大のライバルであり敵で
あるという妄想を一方的に抱き続けることとなる。
以後の彼はそれまで以上にまさに「狂ったように」作曲に取り組み、膨大
な数の交響曲・室内楽曲・器楽曲等をウィーンで生み出した。
29 :
28:2006/04/26(水) 00:03:34 ID:zL9LuFPO
[訂正]
× 76年、36歳の時、
↓↓
○ 76年、37歳の時、
30 :
名無しの笛の踊り:2006/04/26(水) 00:18:22 ID:gY385/4Z
クラヴィーアソナタ1385番が好きです。
31 :
名無しの笛の踊り:2006/04/26(水) 00:21:18 ID:PuFxiT18
>30偽作だったはず。
病の母を単身郷里に置き去りにしてきたという極度の罪悪感から、成熟した
女性との交渉を持てなくなっていた彼は、39歳で、街の雑貨屋で知り合った
17歳の娘ジュリエッタと結婚。控えめで聡明な彼女は、常に音楽のことが
頭を占め片時も五線紙と筆記用具を放さなかったアントニンに忍耐強く連れ
添ったが、81年、ふとした病から生来どちらかといえば虚弱であったこと
もあり20歳で死去。その後フルックナーは10代の少女への恋慕を幾度も抱く
ことはあったが二度と結婚をしなかった。
82年、ある演奏会でモーツァルトの音楽を知る(おそらくピアノ協奏曲K.382
かK.414)。しかし彼は、この天才の音楽について「快活で流麗だがわたし
とは目指すものがあまりにも違いすぎる」とだけ書き記し、さほど興味も
感慨も示した様子は見られない。
ベンダ一族との交流についてkwsk
また、モーツァルトが器楽曲だけでなくオペラやジングシュピール等の作曲
にも熱心であったことにやはり嫌悪感を抱いていたようであるが、とは言え
1780年代のフルックナーの書法には、モーツァルトやハイドンからの明らか
な影響が見られ、またそれを自分のものとして消化しようとする苦悩の跡が
認められる。
83年、郷里で長年闘病を続けていた母ハナが死去。短期間の内に最愛の妻と
母とを失った彼の精神はますます脆弱さを増すが、作曲の筆が止まることは
なく、相変わらず月平均5〜6曲、多い時には月10曲というペースで曲を書き
続けた。また、病んだ精神は彼の生まれ持っての飾りの無さや時に頑迷とも
言える自己への真摯さとも相俟って、辛辣に過ぎる他者への批評や誇大妄想
的な虚言となって、親しい友人達との間でさえしばしば衝突の種となった。
>>33 早くからプロイセンで活躍したフランツやゴータで活躍したゲオルクと、
ボヘミアとウィーンを行き来していただけのフルックナーとの間に交流が
あったとは寡聞にして初めて知りました。
確かにゲオルクの交響曲は当時ハイドン、モーツァルトのものにも負けぬ
ほどの人気があったそうですから、何やらつながりがあってもおかしくは
ないですね。誰かkwsk!
90年、友人と出かけた演奏会でハイドンの交響曲(詳細不明。おそらく89番
または91番)を聴いたフルックナーは、自身の旧作に似た旋律と和音進行を
見つけ、「ハイドンが自作を盗作した」との主張を公にする。しかし、似た
ような素材であってもすでに大成しつつあったハイドンの進歩的書法と、
古臭いとも言えなくもないフルックナーのやや保守的な作風との違いはあま
りに明らかで、この主張はハイドン側から当然のように黙殺された。
これに憤ったフルックナーは、往時対面かなわなかったこの7歳年上の大家
に直接訴えるべく、91年、彼をはるばるロンドンまで追う。しかしやはり
ザロモン・コンサートで多忙であったハイドンを捕まえることは難しく、
またイギリスでの彼の圧倒的成功を目の当たりにしたフルックナーはさらに
焦燥を募らせた果てに、「ハイドンはアメリカでもコンサートを開く予定」
というゴシップ紙の誤った情報を信じ込み、単身アメリカへと渡ることと
なる。
37 :
名無しの笛の踊り:2006/04/26(水) 03:21:35 ID:esgFGmix
期待age
38 :
名無しの笛の踊り:2006/05/16(火) 18:21:10 ID:M0WHgP+a
フル8聴いた。
まさに疾風怒濤。ハ短調。
ま、しかし5000曲以上の交響曲と言ってもだな、中には7番みたいに2楽章5分とかいうのも
あるからなあw
40 :
名無しの笛の踊り:2006/05/17(水) 13:46:30 ID:Sk6LI1H1
ほとんどは単一楽章または二楽章で3分〜10分程度だな
たまに2354番みたいな名作が生まれるがw
41 :
名無しの笛の踊り:2006/05/17(水) 13:49:43 ID:Sk6LI1H1
ちなみに2354番は、演奏時間10分の単一楽章ながら、非常にまとまったソナタ形式が美しく
フルックナーの中期代表曲の一つになっている。
前古典派の精華age
43 :
名無しの笛の踊り:2006/05/29(月) 20:58:13 ID:XK0Rv6SC
前古典派の精華age
44 :
名無しの笛の踊り:2006/05/30(火) 18:38:51 ID:ArZgJdss
鰤からアントニン・フルックナーの芸術(660CDs)が出るらしいな
買う香具師いるのだろうか。
45 :
名無しの笛の踊り:2006/05/30(火) 18:47:05 ID:3aCc8aWr
6割以上が偽作だからな
偽作の2割ほどは真作より出来が良い。
47 :
名無しの笛の踊り:2006/05/30(火) 21:20:14 ID:ArZgJdss
4215番なんてハイドンの交響曲を1度移調しただけ
48 :
名無しの笛の踊り:2006/06/02(金) 02:41:23 ID:Y4VRUXFg
49 :
名無しの笛の踊り:2006/06/05(月) 23:21:41 ID:BAbKJc85
51 :
名無しの笛の踊り:2006/06/05(月) 23:30:40 ID:wJFHr055
>>49 フル5の第一・第二・第三楽章&ブル5のフィナーレにした意図はなんだろう・・・
気が付かなかった。
カラヤンのコンプリをしている俺としたことが。
このフルックナー4枚のために22万円は痛いなあ
53 :
名無しの笛の踊り:2006/06/06(火) 04:27:02 ID:XYoH6Txm
フルの分だけでも分売して欲しいな
1万くらいならかうんだが
浅岡弘和も隠れファン?
>その点、御本尊のフルックナーは「愚人」扱いされているので言うことはない。
55 :
名無しの笛の踊り:2006/06/11(日) 00:28:00 ID:OB6shY1v
フルックナー、なかなか面白いやつだな。
名前が似ているブルックナー君ともある種の共通性があるようにも思う(一見、逆だが)。
56 :
名無しの笛の踊り:2006/06/11(日) 00:46:36 ID:SkvGQe7G
13 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2006/02/21(火) 21:55:45 ID:hVrS1hEU
しかし9は未完のまま10を書き上げるとはね・・・
シューベルトを意識したのかな
15 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2006/02/22(水) 05:57:58 ID:4YzaBN5s
>>13 9番が異端なだけでは?
なにしろブルックナーは交響曲を69曲も書いてるんだから。
46 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2006/02/24(金) 14:12:10 ID:iCHZN4s2
>>15 も別人だね
ヨハン・ブルックナー(1733-1825)
ハイドンの同時代人で親交もあった。
彼の交響曲はどれも三楽章構成で一曲15分くらいのもの。
フルックナー・ヲタク、通称フルヲタが
色魔ねに執着するのはなぜだろう
58 :
名無しの笛の踊り:2006/06/26(月) 16:52:12 ID:k7DAWjpZ
ヨーゼフ・マルティン・クラウスが私淑しており、
弟子入りを願う手紙を何度かフルックナーによこしたとかよこさないとか。
確かにハ長調の作品に明らかな影響が認められるね。
59 :
名無しの笛の踊り:2006/06/26(月) 16:54:47 ID:iC2qkhcN
・アントニン・フルックナー(Antonin Fruckner 1739-1811 ボヘミア)
・ヨハン・ブルックナー(Johann Bruckner 1733-1825 オーストリア)
対照的な二人だね
/⌒ヽ
⊂二二二( ^ω^)二⊃
| / ブーン
( ヽノ
ノ>ノ
三 レレ
61 :
名無しの笛の踊り:2006/07/01(土) 07:48:50 ID:ZKCMIEaR
ブルックナーは生涯独身で通したが、
フルックナーはどうだったのか?
誰か知ってる人いない?
3度結婚していて、最初の妻は19歳上、3番目の妻は21歳下だったという記録がある。
63 :
名無しの笛の踊り:2006/07/01(土) 14:11:44 ID:ZKCMIEaR
守備範囲広かったんだなw
>>62 それはアントワーヌ・フルクネール(1793-1870 ルクセンブルク→フランス)
>>61 >>34で言及があった。
>病の母を単身郷里に置き去りにしてきたという極度の罪悪感から、成熟した
>女性との交渉を持てなくなっていた彼は、39歳で、街の雑貨屋で知り合った
>17歳の娘ジュリエッタと結婚。控えめで聡明な彼女は、常に音楽のことが
>頭を占め片時も五線紙と筆記用具を放さなかったアントニンに忍耐強く連れ
>添ったが、81年、ふとした病から生来どちらかといえば虚弱であったこと
>もあり20歳で死去。その後フルックナーは10代の少女への恋慕を幾度も抱く
>ことはあったが二度と結婚をしなかった。
>>64 アントワーヌ・フリュクネール(Antoine Fruckner)の生まれた地方は、1839年にベルギーに
割譲されたから、15年後にフランスに帰化するまではベルギー人だったともいえる。
保守
68 :
名無しの笛の踊り:2006/07/17(月) 19:34:31 ID:ohWpfqqN
保守
保守
保守
71 :
名無しの笛の踊り:2006/07/24(月) 08:02:24 ID:Zx6b1B50
ジュリエッタとアントニンはエッチしたのかなぁ
72 :
名無しの笛の踊り:2006/07/24(月) 16:45:58 ID:UbMCsYTo
73 :
名無しの笛の踊り:2006/07/24(月) 21:18:50 ID:wVxZxRM5
どういうプレイが中心だったのか、そういう資料はないかのう
ねー。