■演奏会で見かける奇人変人■

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36名無しの笛の踊り
 演奏家に話しかけ、演奏家と顔を合わせ、演奏家に触れるのを待つ人々がいる。
 この人たちはファンと呼ばれる。ファンは演奏家に多くを与えはするが、また自分の愛に見合う返答を要求する。
 私はファンたちをホールの客席に見分ける。出来るときは話しかける。私の目にとってはひとりひとりが唯一無二の存在だ。
 けれどもファンはもっと多くを要求する。個人的な絆、友情を結びたがる。ところが、それは考えられないことだ。
 何万人もの人々と関係を結ぶのは不可能だ。最大のこと、私はそれを舞台上のコンサートの間に与えているということを、
 どうしたら理解してもらえるのだろう。舞台の上で、私は本当に客席のひとりひとりのために演奏している。
 人が聴衆と呼ぶ集団のために弾くことは決してしない。

(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』 北世美和子・訳 講談社・刊 より)
37名無しの笛の踊り:2005/05/26(木) 13:48:34 ID:GaenCKUN
>>36
それは本質的な問題だよな。
ファンにとってはアーティストと一対一の関係。
アーティストにとっては無数のファンのうちのひとり。
38名無しの笛の踊り:2005/05/26(木) 14:02:05 ID:0Tfu0r6l
>>36続き

 リュックを背負い、ガールフレンドを連れて、アメリカの私の家に乗り込んできた、
 あのイギリス人のことは決して忘れないだろう。
 「あなたに会いたくて・・・」たしかに、私は心を打たれた。
 なんといっても、ふたりはこの望みを実現するために、大西洋を越えてきたのだ。
 でも、私にはレコード会社の責任者と仕事の打ち合わせがあった。
 「前もって知らせていただくべきでした。でも、どっちにしても、ごめんなさい。
 お相手はできません。」私は遠回しな言葉遣いはせず、単刀直入に言って、ふたりの鼻先で扉を閉めた。
 イギリス人は真っ赤になって怒った。数日後、私は侮辱の手紙を受け取った・・・数ヵ月後、今度はお詫びの手紙が届いた。

(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』 北世美和子・訳 講談社・刊 より)

どこの国にも阿呆はいるものです。
ホテルの部屋に、食堂に深夜あるいは早朝押しかける、
街を歩いているところを断りもなく写真を撮る、
移動の時間を調べて新幹線のホームで待ち伏せする、
サインを30枚も40枚も50枚も要求する、
そんな輩が何人もいるというのは日本だけかもしれませんが。