883 :
871:2005/04/04(月) 23:32:54 ID:/EmVa1bT
>>882 同意してくれてるのに何だけど、俺ぜんぜん違うんです。
周りで仲間や知り合いがバサバサ粛正されていた時代ですよね。その中で
あの楽想ですよ。せせら笑うなんて余裕のある構えじゃなくて、脇の下に
じっとり汗をかきながら「どうにでもなれ!!」ってほっぽり出すような、
自暴自棄の感じがするんですよ。だから俺は、P協1番にしても、聴いてて
なんだか切ない気持ちになります。
俺もどっちかというと上の871さんに近いかな。
ああいう箇所が「本気」か「パロディ」かは曲自体から判断するのが
本当だと思うが、実際にはなかなか難しそうだ(俺は演奏しないので
想像で言うしかないんだが)
5番にしても10番にしても、明らかなパロディとはちょっと言えないよう
な気がする。だから一種の失敗みたいな感じにもなってくるわけで・・・
(チキショーうまく表現できん)
885 :
871:2005/04/05(火) 07:38:59 ID:A/o0WIx9
自暴自棄っつうのも違うか。う〜ん。
まあとにかく、笑い飛ばすにしても、命を張って笑い飛ばすわけで。今でいうと
イラクのど真ん中でイスラム教を笑い飛ばすような迫力が必要なわけだ。
昨日のルモン・ガンバ&アイスランド響の4番は演奏自体はなかなか良かった。
だけどいたるところでタイミングがずれていた。笑うしかないくらい何箇所も。
これだけたくさんの作品がCDで聴けるようになったのに
ショスタコが音楽を書いた映画のDVD化がほとんどされてない
(ベルリン陥落・ハムレット・リア王だけ?)のは不思議。
まあしょうもない映画が多いんだろうけど,
ソフィヤ・ペロフスカヤとか生涯のような一年とか見てみたい。
あまり聞かないが7番の第一楽章はやけにポピュラーなメロディですね。
ずばり
タコ=
890 :
名無しの笛の踊り:2005/04/06(水) 22:43:10 ID:pN8P0rNY
村便の8番って、47年、60年、61年×2、72年、76年、82年で全部?
891 :
名無しの笛の踊り:2005/04/06(水) 22:58:03 ID:+PQlOqIu
892 :
873:2005/04/06(水) 23:11:30 ID:D0Gx6sEU
盛り上がった挙句マーチになるところ。
ごめんコテるつもりはなかった
4番の2台のピアノ版、出たね!
おそい!
PHP新書の「小澤征爾 日本人と西洋音楽」という本にタコを扱った章があるのだが、
これがなかなかおもしろい。
この著者は「証言」に対して微塵も疑いを抱いておらず、タコの交響曲、特に五番の
現在の在り方は村便によって捻じ曲げられたゴミであると語る。
曰く、村便のタコ演奏は糞であり、それを聴くものは馬鹿であり、ロストロ・小澤の
演奏のみが真実正統神聖たるタコであるという。
兎に角、ここまで村便を扱下ろした文章というのはなかなかお目にかかれるものではない。
村便こそ諸悪の根源、芸術の冒涜者といった勢いであり、それに対しての小澤を
救世主として崇め奉っている。
春の足音も聞えてくるこの季節、乾いた笑いを求める向きは一読してみるのも
よろしいのではないかと思う。
897 :
名無しの笛の踊り:2005/04/09(土) 22:28:11 ID:emyL7u3h
バンスタの5番NYP(59)ってマジでぶっ飛び。
当時としてはかなりセンセーショナルだったんじゃないの?
ムラヴィンもバビヤールを振らなかった時点でどこまで
この作曲家に共感していたのか疑わしい。カラヤンと同程度だったかもしれない。
共感できるものもあれば、できないものもあったということでしょう。
普通、芸術家として極めて高い地位にある人が、他の芸術家のすべてに
共感することはあまりないんじゃないかな?
俺はコンドラシンが5番に限って手抜きといいたくなるような出来なのもそれと
同じじゃないかと思ってる。
音楽之友社から出た『ショスタコーヴィチ』
読んだかい?
>>896 その著者についてはよく知らないが、彼は「証言」以前からタコ5をそう解釈
してたのかどうか疑わしいと俺は(勝手に)思っている。少なくとも日本では
そういう線での言説はなかったと思う。「証言」が出てから慌てて軌道修正
して、前から知っていたような口ぶりで語る香具師ばかりだから批評家という
やつはあまり信用できない。
もっと基本的には、「曲の意味」は何よりも曲全体の構成や進行によって示される
はずのもので、あれこれの細部をスターリンだの官僚だのに結びつけたところで
全体像抜きでは根拠の疑わしい暗号解読ごっこにしかならんだろう。
もう一つの疑問:他ならぬムラヴィンスキーによる初演は大成功だったわけだが、
問題の著者は聴衆は何に拍手したと思っているのだろうか?
参考までに:BBC Music Guide: Shostakovich Symphoniesという、
「証言」以前に出た本の中で著者 (Hugh Ottaway) は5番の終曲
の開始部を「まだ折り合いをつけなければならない世界を暗示する」
ものだと言っている。つまり単純に勝利の行進などとは考えていない
わけで、「証言」以前にもそういう聴き方ができたという証拠だ。
>>900 ちょっとまて。俺は5番に関してはコンドラシンの演奏こそ決定盤だと思ってんだが。
あの録音、そんなに評価低かったか?
春だから気にするな
>>903 コンドラシンの5番を評価する声を初めて聞いた。
過去スレ全部遡っても初じゃないかな?
906 :
905:2005/04/10(日) 06:27:39 ID:gtVO2TMh
コンドラシンの5番は、手抜きとは思わないが、どこかセカセカしててやっつけ的な印象は確かに拭えない。
ティンパニのピッチとか狂ったままテイクしているし。
もちろんそれでも他の演奏に比べればレベルは違うが、コンドラシンの他の曲を聴くと
「おまえらならもっとできるだろ」と思いたくなる。
ちなみに俺はコンドラシンの全集は大傑作だと思っているよ。
でも「コンドラシンのショスタコならすべて素晴らしいのだ」という妄信はしていないつもり。
で、今コンドラシンの4番を聞いているが、これは掛け値なしの名演!
しかし今月号のレコ芸では、この演奏がけなされ、挙げ句「やはり村便に演奏してほしかった」だと。
アフォかと。
まあ指揮者の名前だけで妄信的に評価を決めつける、いかにも日本の評論家な発想で微笑ましいが。
>指揮者の名前だけで妄信的に評価を決めつける、
「コンドラシンのショスタコならすべて素晴らしいのだ」ってヤツ多くね?
>>908 コンドラシンをムラヴィンに置き換えるともっと多くね?
>>908 コンドラシンをS.Ozawaに置き換えると急に少なくならね?
911 :
903:2005/04/10(日) 09:28:59 ID:uN//i5ni
>>906 ずいぶんと感じ方が違うもんだなぁ。僕は、あれほど引き締まってゆるぎのない
演奏は他に知らない。どちらかと言うと仰々しい派手さを持った曲だから、あの
ストイックなまでのアプローチは正解だと思う。緩急の差も実に計算されぬいて
いるし。
これに比べると、むしろムラヴィンスキーの方がよっぽどせかせかし過ぎている
ように聴こえる。バーンスタインは――良くも悪くも彼特有の末端肥大症的な所が
よく出てるよね。
あ、僕もコンドラシンの全集は大傑作だと思っているけども、曲によってはどうにも
納得できないものがある所は同様。
912 :
名無しの笛の踊り:2005/04/10(日) 11:21:38 ID:EfMHAivh
>>907 >今月号のレコ芸「やはり村便に演奏してほしかった」だと。アフォかと。
同意。「今までまずい料理だと思ってた」とか言っている時点でもう評論家失格。
喪まいらコンドラシンの演奏で何も感ずるところがなかったのか?
そもそも村便は政治的にヤヴァイ曲には手を出さない。タコ4、13など。
9も一旦演奏したものの、政治的風向きを読んでその後一切演奏していない。
2、3もソ連で生活した者にとっては結構ヤヴァイ内容を含んでいる。
コンドラシンの立派なところは、そういったソ連社会の中で全集を仕上げたこと。
安全地帯でマターリ全集作るのとはわけが違う。
サモスーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーード
ムラヴィンスキーがもし4番に取り組んでいたら…という思いはある
しかしあの座談会の内容には到底承服出来ない
レコ芸見てないけど、ひどさが想像できる希ガス (w
コンドラシン盤に触れているのは確か数行
結局存命の指揮者を推しておいた方が
見返りを期待できるということか
で、過去の名盤といえば取り敢えずムラヴィンスキー
・・・ま、今に始まったことではないわな
それよりコンドラシン名演集のケースが早くも反ってきたんだが
どうしたもんかね
2冊の電話帳で挟む
蛍雪時代ではさむ
あの人に挟んでもらう
買ったまま放置してたルビオの弦楽四重奏曲をやっと聴いた。
14番を聞いてマジ泣いた。
ショスタコ初体験だったが、こりゃ最高だわ。
続いて15番もいってみよう
15番、全部アダージョって嫌がらせかよと最初は思った。
続いてボロディンSQもいってみよう・・・って2回目の全集はもう売ってないorz
924 :
名無しの笛の踊り:2005/04/12(火) 13:10:34 ID:TfFuYgCH
日本のビクターが出した、コンドラシンと同じ装丁のやつ持ってる。
あの盤質はOKなのかな?あれでしか聴いたことないんだけど。
ショスタコーヴィチは自分がソヴィエト人だというアイデンティティーは持っていたと思うけど、
自分がロシア人だというアイデンティティーはあったんでしょうかね?
ラフマニノフの音楽からはロシア民族ならでは情念が湧きあがってくるし、
プロコフィエフは音楽自体はともかく曲の題材にはロシア的なものが多い。
でもショスタコーヴィチの音楽ってロシアっぽさもないしテーマもロシア的ではないですよね?
やはり彼はロシア民族というところを意識しないコスモポリタン的な音楽を目指していたんでしょうか?
まさか
>>926 個人として民族的自覚があっても、作品にそれが反映すると決まったものでもないし、
反映すべきだという理屈もないと思う。
>>926 ショスタコーヴィチ家の祖先は元々ポーランド系。
彼が好んで使う「ブンチャ、ブンチャ」の2拍子リズムなんかはロシア民謡から来てるんではないかと思ったり。
932 :
名無しの笛の踊り:
ロシア民謡の引用って多いの?