>>61で予告したけど、リスト『ショパン その生涯と芸術』の紹介。
前にも書いたけど、表紙と奥付でタイトル名が微妙に違っている。
原書Chopinは1852年にパリで出版された。
8つの章にわかれている。
第一章 ショパンの作品概観
第二章 ショパンの作品(ポロネーズ其他)
第三章 ショパンの作品(マズルカ其他)
第四章 ショパンの演奏
第五章 ショパンの生活(天才と日常)
第六章 ショパンの生ひ立ち
第七章 レリア(ジョルジュ・サンド)
第八章 ショパンの最後
この本は、ショパンの作品を分析、研究した本ではない。
「……今はその様な研究の時でも場合でもない。これらは
対位法や和声学の大家の興味をそそる丈だから。」(第一章)
また、ショパンの演奏について語るわけではない。
「彼の死が鋭く心に感ぜられる我々には、このやうな分析をする元気
もない。又我々が全力をあげて努力したとしても、どれ程の効果を
予期できようか。彼の演奏の比類なく詩的な魅惑を、実際に聞いた
事のない人に分らせる事は、殆んどのぞみない事である。」(第四章)
また、ショパンとの個人的なつきあいについて書いた本でもない。
人とつきあう時のショパンはこんな感じだったよといったことは
書いているのだが、著者がはじめて彼に出会った時のエピソード
などは省略されている。
また、「ショパンの曲はこう弾いたらいいよ」という本でもない。
それではどんな本なのか。
リストは、訳者が指摘しているように、「極めて多くの頁をポーランドの
歴史、風俗、国民性、伝統などの観察のために割いてゐる」。
そのことが最もよく現れているのが第二章と第三章である。
第二章では、ショパンのポロネーズそのものよりもはるかに多くの
スペースを使って、昔のポーランドのポロネーズの様子や、
伝統的なポーランド人論の記述に力をつくす。
>>109 ジョルジュ・サンドに関係している第七章だけ抜けてるのを確認した。
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つづき。
この本のもう一つの特徴は、訳者が指摘していないことだが、
芸術家論が随所にはさまれていることである。
第五章では、最初の1/3を使っている。リストによるとこうだ。
「芸術作品を創造して高貴な感情を美しく表現する」芸術家の
日常生活に、人々は多大な関心を持つ。
彼ら(人々)は、「芸術作品を創造して、高貴な感情を美しく
表現」する芸術家が、実生活においても、「高尚な生活」を
送ってもらいたいと願っている。
その願いが裏切られた時、人々は芸術家を誹謗し、芸術家の
霊感を蔑むのだ。
リストは人々に対し、芸術家に「寛大な態度を以て臨むのが
正しいのではあるまいか」と主張する。
芸術家が現実の生活でよくない行動をしていたとしても、
作品によって、多くの人々を激励し、高貴な道に向かわせたのだから、と。
このように自らの主張を展開していくのを見た読者には、
「ショパンも、私生活ではやはり問題があったんだろうな」と
思わせてしまうことだろう。
しかし、リストはその推測を否定する。
ショパンには、人々に誹謗されるような行動がなかったのだ。
だから、彼はより素晴らしいのだと。
というわけでこの本は、「一人の作曲家を扱った本」にしては、
ショパンに関する記載が少ない。著者も認めている(第八章 p.202)。
ここで挙げられた伝記的事実の中には、後世の研究で
修正されたものもあるだろう。
ショパンの演奏家やファンの必読書とはとてもいえない。
ただ第一章は、「現代音楽論」として読むと、とても面白かった。
新しい言語に精通する為には努力が必要である。多くの人が
外国語を習はうとしないのは此の努力を嫌ふからである。音楽
の場合も同様である。新しい作品は習慣の惰性に染まらず、
熱烈な魂と、若々しい溌剌とした想像力を持つ人々の努力を
通じて受入れられてゆく。
ショパンも生きていた当時は、「大胆な表現」を使う現代音楽
作曲家だったし、彼の音楽を受けつけない聴衆も大勢いたの
だということがあらためてわかる。
後世の研究成果を反映した新訳の出版をお願いしたい。