ウィーン・フィル・ウィーク in JAPAN Part2
811 :
宇野珍ポーコー:
[無印]
ウィーン・フィルのブラームス、しかも期待のティーレマンということで期待して向かった。
結果はこのスレの通り、ぼくは少しも感動しなかった。
カラヤンが楽器の威力で厚化粧していたのに対し、ティーレマンはアゴーギクで厚化粧をした
これは同じことであり、精神性のかけらもないといえよう。
第一楽章は冒頭の雄渾な響きに耳を奪われた。しかし続くテンポの揺れ方がなんとも不自然で
押し付けがましいといえよう。第二楽章もソロの心のこもった響きにうっとりするがそれだけ。
第三楽章も冒頭はクラリネットの芳醇な響きにまいってしまったが、中間部の加速は上滑りして
滑稽の極み、場違いといえよう。この楽章はドラマを求めないのだ。
フィナーレも冒頭は壮絶、阿修羅のごとくティンパニーの1打が下るが、その後は一転して
なんとも外面だけの音楽が続く。第二主題直前のルバートには失笑を禁じえない。
ただ第二主題の再現のみ弦楽器の分厚く心のこもったハーモニーに感動した。
それに対称する提示部の弱音は何とも響きが情けないといえよう。
ティーレマンは劇的な音を要求するが、これは交響曲であり、オペラと勘違いをして
いたといえる。何でもドラマティックに仕上げるのはぼくは反対だ。フルトヴェングラー
でさえ晩年は透徹した響きを求め、それでもすべての音符に血を通わせ結晶化させたのである
全体的にアンサンブルも雑で練習不足が露呈したといえよう。演奏者は音楽に仕える以上、
常にステージで命を掛け、魂を燃焼し、響きを結晶化させないといけないのである。
アンコールのハンガリー舞曲は全く採れない。マゼール以上に外面的。あまりに
うるさくて耳を覆いたくなった。同曲はミュンシュの名演があれば他は要らないといえよう
それならぼくに任せてくれればここまでひどくはさせないし、ぼくの魂を見事に昇華させた
名演をする自信があるといえよう。
>>珍ポーコー
最後の2行は余分だな。それに実物はやたらといえよう。を使わないし。
いえよう!
814 :
宇野珍ポーコー:03/11/15 19:03 ID:x6rTiEdu
バレちったか! といえよう
>812
洒落の分からない奴だな。
816 :
宇野珍ポーコー:03/11/15 19:17 ID:x6rTiEdu
17日はぼくが全ての魂を掛けたブルックナーをご披露する。
今まで推してきたマタチッチでは古いという人もいると思うので
是非お越し頂きたいといえよう。コンマスもキュツヒル氏が乗るので
14日みたいな手抜きはないといえる。ブルックナーは70歳超えて
ようやく理解できる作曲家なのである。