論点はこういうことかな。
古楽器奏者は作曲者が聴いたかもしれない音を再現するのが目的(≒時代考証が忠実)か?
という質問に対しては否だ、ということ。
古楽器奏者が「作曲者の意図する音」に近づこうとする、というのは上の時代考証とは違う、ということ。
で、問題は「作曲者の意図する音」は古楽器でなければ出せないのか?ということですね。
漏れの答えとしては古楽器でもモダン楽器でも出せないかもしれないし出せるのかもしれない。
としか言いようがありませんね。古楽器の方がより近づけそうだ、ということも怪しい気がします。
これを当たり前でしょう、と言い切るのは思考停止だと思うのですよ。
バッハもベートーベンも本人が意図する音(頭の中で鳴っていた音楽)を聴いてはいなかった
ような気がするのです…
ひょっとしてリヒターのカンタータを聴いて「これが意図した音だ」と言ったかもしれない。
ビオンディのコンチェルトを聴いて「こんなのは私の音楽じゃない」と言ったかもしれない。
大作曲家の音楽は楽器よりももっと奥深いところに在る気がするのです。