なんだか、こうやって保守されているのを知ってしまうと、
何か書かなくちゃ逝けないような気がしてくるわw
んー、つまらないかもしれないけど、アタシの好きな曲
リヒャルト・シュトラウスの《サロメ》についてでも語っちゃおうかしら。
あ、でもアタシはただのシロートよ。私的な印象しか書けないわ。
アタシがこの曲を知ったのは、とあるノンケ(異性愛者のことね)の男に
ベタ惚れしてる真っ最中のことだったわ。
ストラータスが主演した、スタジオセットの映像のヤツで観たのね。
もうね、共感しきりで泣かんばかりだったわよ。
もちろん音楽、演出、いろんな面を総合して良かったわけだけど、
特に「これよ、これっ!」と強烈に惹かれたのは、
サロメがヨカナーンに言い寄る場面と、最後のモノローグ。
言い寄るシーン。
「あなたの白い体に触れさせて」と迫るものの拒否され、
次に「じゃあ、その黒髪を触らせてよ」で、当然これも拒否、
最後には「その真っ赤な唇にキスさせて」と来たもんだ。
これにはねぇ、ヤラれたわよ。
現実のアタシがそのノンケに対して感じている邪な欲望を
これでもかと見せ付けてくれてるんだから。
「サロメ、良くぞ言った!」どころか、もうアタシとサロメは一心同体w
「くうううっ、キスしたいのよっ!キスくらいいいじゃないのよっ!」
さらに面白いのは、体、髪に触れるのを拒否された直後には、
それぞれ「アンタの体(髪)なんか大っ嫌い!」と痛罵しておきながら、
これまた速攻で「ああ、でもあなたの髪(唇)こそわたしは好きなのよ」
などと掌を返してにじり寄っていくところ。
プライドの高さと欲望との葛藤が、これまた現実のアタシそのものの姿で、
思わず唸っちゃうわけよ。
最後のモノローグについては、アタシも結局はノンケの彼を
我が物にするなんてことは不可能なことなわけで、
そういう意味でも自分の恨み言のごとくに共感しちゃうのね。
この中で、あの「言い寄るシーン」が短く回想されて、
続いて「あなたを見るたびにわたしには音楽が聞こえてきた」なんて
歌われてしまうと、もう完全にノックアウト。
アタシの脳裏にも彼の姿や声がありありと浮かんできて、
今自分の耳に聞こえているシュトラウスの音楽と渾然一体となって
ものすごい甘美の世界へとトリップしちゃうわけ。
さらに、「ヨカナーンの心が常に神の方だけを向いていた」ことに対する
サロメの憤懣は、「彼の心が常に女のほうを向いている」ことに対する
アタシの憤懣でもあるわけで、嫌になっちゃうくらい痛いのよね。
アタシの欲望も、決して満たされることはない。
で最後なんだかんだでサロメは殺されるわけだけど、これはこれで、
「ああ、この世の中ではゲイはやっぱり生きていられないのね」
などという訳の分からないDQN解釈の自己憐憫に浸っちゃったりしてw
納得して?聴き終えちゃうのね。
わざわざこんなに私的なゲイの視点を持ち出すまでもなく、
《サロメ》が多くの人に好まれている傑作の一つであるのは明らかよね。
でも、まあ、こういう風に聴いてる人もいるのよ、という一症例wとして
ダラダラ書いてみました。退屈に感じた人、ゴメンなさいね。
ワイルドの戯曲に関しては、おっしゃるような「同性愛の隠喩」(サロメ=
ホモセクシュアルの少年。ヨカナーン=ヘテロの男性)という解釈は、
一般的にも認められているように思います。
というか、「獄中記」で延々グダグダ訴えている繰言なんか読んでると、
もう他の解釈はありえないという感じでしょうか。(w
ケン・ラッセルの映画でも「7つのヴェールの踊り」のシーンで、サロメが
少年になっていましたね(日本での劇場公開ではボカシがかかってましたが)。
シュトラウスのオペラをどう解釈するかは、また別かもしれませんが、オペラ
の台本が原作の英語訳を一部カットしただけで、後は忠実にドイツ語訳したもの
であることを考えると、オペラにも同様の解釈を施すのは十分に妥当であるよう
に思えます。(なおワイルドの戯曲は英語訳の方が実はオリジナルという説も
あり)
>>109 あら、即レス(というほどでもない?)にビックリだわ。
肯定的に捉えてもらえてホッとしたわw
原作者のワイルドがずぶずぶの同性愛者だったことは
さすがに知っていたけど、戯曲『サロメ』に関して
そういう解釈が一般に認められているとは知らなかったわ。
「さすがワイルド、オキャマ心を心得てるわね〜」くらいで
あっさりスルーしちゃっていたわ(恥
アタシはカウンター・テナーの類には全く興味ないんだけど、
どうなのかしら、サロメはいかになんでも歌えないかしら。
音域は確かhighHまでだったと思うけど。
将来、誰かプッツンした人々が集まって、その手の
上演をしてみても面白そうね。
演劇の方では前例があったりしないのかしら。
ケン・ラッセルのサロメ、ずいぶん前に深夜TVで観た
覚えがあるけど、少年にすり替わっていただなんて
全然気付かなかったわ。あの場面で流れていた「山の魔王の
宮殿にて」のアホらしさに気を取られていたせいかしらねw
あれ、本当は「七つのヴェールの踊り」を使いたかったけれど、
映画の内容のあまりの退廃ぶりに遺族が許可を出さなくて
仕方なくグリーグでごまかした、っていう説をどこかで
見かけたことがあるわ。真偽はともかく、笑える話よね。
ケン・ラッセルは映画監督になる前のBBCのディレクター時代に、
R・シュトラウスの伝記も作っていて、それがやけにスキャンダラス
な内容で遺族の逆鱗に触れたという話です。それで「サロメ」の
音楽の使用許可が出なかったと公開当時のプログラム(か、もしくは
映画雑誌)に書いてありました。
音域の問題よりも、シュトラウスのぶ厚いオーケストラを乗り越えて
響くドラマティックな声と強靭な喉を持ったカウンターテナーなどと
いうものが存在するのかというのが、問題になりそう・・・
ブライアン・アサワも以前TV番組で、カウンター・テナーの喉は非常
に繊細で、無理が出来ないみたいなことを言ってましたね。
ヴィジュアル的には文句無くブライアンですけどね(>ゲイ版サロメ)。