\(^o^)/新スレおめでとうございま〜〜す♪\(^o^)/
コテハンスレは禁止なんだよ、この糞バカ
5 :
G:02/09/30 01:18 ID:???
諸般の事情により、このスレは終了しますた。
氏ね
ジャイアンツは優勝を決めたんだから
こんなスレもう要らないyo
1000レス達成次第
民明書房より単行本化決定!
先が長そうでつね。
粛々と10
11 :
G:02/10/01 06:42 ID:VmnzIt2d
1974年の春。高校受験を終えた僕は、NHKを観ていた。
すると、プロコフィエフの2番コンチェルトをやっていた。
TVから流れてくるピアノの音に、まず驚いた。
TVは、ピアニストの手の動きばかりアップで映している。
人間業とは思えないその演奏に、僕は衝撃を受けた。
一体誰だろう?
若き日のポリーニだった。
12 :
G:02/10/01 06:44 ID:???
いけね。ageでカキコしちまった。スマソ
これから仕事行ってきます。
あげまん
15 :
G:02/10/01 23:37 ID:???
1989年。
京都のCDショップでチェリビダッケのモツの「大ミサ」のCDを見つけた。
聴いてみたら、大変素晴らしい演奏。
特にソプラノがいい。一体誰?
若き日のアグネス・ギーベルだった。
それ以来、ギーベルにはまった。
「リヒテル」読んだけど、リヒテルもギーベルをものすごく評価してるね。
では、おやふみなはい。あまりageないでね、このスレ。
マターリ、マターリ。
G、いなくなった?
優良スレに認定しますた。
18 :
G:02/10/03 07:07 ID:???
1975年。
受験生だった僕は、ソニーのラジオでNHK-FMを聴きながら、勉強していた。
おりしもクーベリック/バイエルン放送響が来日したので、モツの「プラハ」を
聴きながら。
第一楽章が始まった。聴いているうちに、あまりにも見事な演奏なので、
もう矢も楯もたまらず、鉛筆ほうり投げて、応接間に駆け込み、
チューナーをONにして、この「プラハ」をこころゆくまで堪能した。
今では、CDでいつでも聴けるようになったが、あのときの「プラハ」は
本当に素晴らしかったよ。
そのクーベリックも今はもう鬼籍の人。月日の経つのは早いもんだ。しみじみ。
ええ話や。
20 :
G:02/10/04 07:23 ID:???
1973年。
友人から、「フルトヴェングラーの遺産」というBOXセットを借りた。
1960年代にグラモフォンから発売されたセット。
「レコードに傷つけるなよ」と言われていたので、もう腫れ物にでも触る
様に扱った。
このとき、初めて、フルトヴェングラーのシューマンの4番シンフォニーを
聴いた。あまりの凄さに、背筋に鳥肌が立った・・・。
フルトヴェングラー自身の作曲による2番シンフォニーも初めて聴いた。
「ブルックナーの模倣。構想は巨大だが、内容がともなっていない。」
と当時の日記帳には記してあった。ハハハ、俺も若かったんだね。
ともかく、当時から神格化されていた、フルトヴェングラーの演奏の凄さを
初めて知ったのがこの時だった。
Gさんってまともな方だったんですね。
22 :
G:02/10/04 07:28 ID:???
いけね。またageでカキコしちまった。スマソ
仕事逝ってきます・・・。(/^^)/
>>11 プロコフィエフは、2番じゃなくて3番でしょ。有名な話だよ。
ポリーニは2番は生れて一度も弾いていません。レパートリー表を見よ。
コテハンスレにカキコを続ける馬鹿者は氏ねや
25 :
G:02/10/04 08:39 ID:???
1986年。
テレビの設置位置が高かったので、立ってテレビを見ていた。
そのとき、オーケストラから怪しい聞いたことのない音楽が流れた。
「今のはなに?クラシックなの?」
「今の作曲家はああいうのをやるのよ」
この曲が久田典子さんの作曲した「ORCHESTRA T」だったことを13年後に知った。
( ´_ゝ`) フーン
もっかい書く。優良スレに認定しますた。
続きは?
age
コテハンスレはさげろ
了解!
わかりますた!
ゾロ目げっと
続きはまだなのかな。。。
35 :
G:02/10/11 07:12 ID:???
1982年。
一番最初に聞いたクラシックはなんだろうか。
1982年なのか、それともそれ以前なのか。
お昼ご飯の時にはじめてレコードというメディアでクラシックを聞いたことになる。
その曲がチャイコフスキーの「くるみ割り人形」だった。
今となっては全く手にすることにない作曲家だ。
36 :
G:02/10/11 07:14 ID:???
ことにない⇒ことのない、ですね。
37 :
G:02/10/11 21:24 ID:???
続きはまだかな。。。
じいさん。。。
40 :
G:02/10/13 21:52 ID:???
1986年
家のテレビにもBSがついた。
NHKが「ラインの黄金」を全曲放映した。
それまで毎年年末にNHK−FMのバイロイト音楽祭を、
コツコツとカセットに録音した労苦は、一体なんだったんだ・・・
心にすきま風が吹いた。
と同時に新しい時代が来るのを予感した。
41 :
G:02/10/13 21:53 ID:???
いけね。またまたageでカキコしちまった。スマソ
仕事逝ってきます・・・。(/^^)/
42 :
G:02/10/13 22:01 ID:???
>>40>>41 偽G君、頑張ってるねえ。いい子だ、いい子だ。
でも、sageでカキコしないとね。
わかったかね?偽Gちゃん。
それと、コピペはよくないよ。わかったかね?偽Gちゃん。
43 :
G:02/10/13 22:14 ID:???
訂正「ラインの黄金」を「ニーベルンクの指輪」と読み替えてクレ。
スマソ
44 :
G:02/10/13 22:43 ID:???
1992年
とある田舎町に一人のピアニストが呼ばれた。
サティとビートルズで心行くまで楽しませてくれる、これほど傑出した人がいるものかと感心した。
当時は「武満さんは今年ハリウッド映画の音楽を作るそうで」などと紹介されていたっけ。
ライジング・サンの収録があった頃だったか?
そう、彼女は高橋アキ。
このリサイタルで、私の現代音楽志向が確実になった。
>44
サティが現代音楽ね。
ハイ、ブラビッシモ!(萎
46 :
G:02/10/13 23:07 ID:???
>>45 偽Gが一生懸命カキコしてるんだ。
まあ、大目にみてやってくれや。
でも、サティが現代音楽か・・・。
偽Gちゃん、相当の「ビギナー」なんだな。(同じく萎え〜
>>45 >>46 ではこんな話はいかが?
1993年
現代音楽を聴くことにも慣れた私もバリトン独唱とバスクラリネットとオーケストラのための曲を聴くことになるとは思わなかった。
「えー、バスクラリネットはバリトンの影として扱われるようで、、、」と解説していたのは近藤穣だったか。
この作曲家がアペルギス。曲は「déclamations」だった。
ということで偽Gは私でした。終了。
偽Gはいったい何人いるんだ
自慰って何者?
爺