フリッツ・クライスラー

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1名無しの笛の踊り
師事したブルックナーから大きな影響を受けている数々の名曲、そして作家としての代表作「塹壕の四週間」などについてマターリと語りましょう。
2名無しの笛の踊り:02/06/28 21:42 ID:???
2ゲット・・・・かな?
3名無しの笛の踊り:02/06/28 22:03 ID:???
クライスラーは大ヴァイオリニストとされていけどウィーン・フィル第2ヴァイオリン奏者採用テストを受けて見事不合格。
果たして本当に上手かったのかな。
4:02/06/28 22:04 ID:???
「いるけど」でした
5名無しの笛の踊り:02/06/28 22:12 ID:8QK6WVWA
最大の業績はベートーベンのコンチェルトのカデンツァだと思う。
ヨアヒムもいいけど、やっぱりあの旋律がかぶるとこがカコイー!!
6名無しの笛の踊り:02/06/28 22:21 ID:???
>>5
私はブラームスのコンチェルトのカデンツァが大好きです。
ヨアヒムのよりはるかに感動的だと思うのですがなぜかヨアヒムのばかり使われます。
ベートーヴェンでは第1楽章はどちらかというとヨアヒム、第3楽章は断然クライスラーがいいですね。
誰かこの形でやってくれないかな。
7名無しの笛の踊り:02/06/28 22:25 ID:???
「悪魔のトリル」のカデンツァも忘れるなかれ。
しかしこの人、ブルックナーに師事してたんだ…。
バヨリン引退した後で、指揮者とかに転向して欲しかったかも。
8ファン必読:02/06/29 00:00 ID:???
"Fritz Kreisler Love's Sorrow, Love's Joy"
Amy Biancolli
(AMADEUS PRESS 1998)
9名無しの笛の踊り:02/06/29 06:45 ID:???
ルイス・P・ロックナー著 中村稔訳
『フリッツ・クライスラー』
白水社
復刊されないかなあ
10名無しの笛の踊り:02/06/30 23:11 ID:???
age
11名無しの笛の踊り:02/07/01 09:40 ID:???
世紀の詐欺師スペシャル
ヴァイオリニストの秘かな企み
ttp://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p108_4.html
12名無しの笛の踊り:02/07/01 15:35 ID:???
かつて、ヴァイオリンの帝王と呼ばれた音楽家がい た。ヴァイオリニストであり作曲家のフリッツ・クライス ラー(1875〜1962)。
人々は彼の演奏に酔いしれ 讃えた。しかし、彼は偉大な音楽家であると同時に驚く べき詐欺師だったのだ。
ウィーンの医者の家に生まれたクライスラーは、音 楽好きの父親の手ほどきでヴァイオリンを習いはじ め、幼い時から非凡な才能を見せた。
一度は医者の 道を歩もうとしたが、音楽への情熱を捨てきれず、家 族を説得して音楽家への道を進むこととなる。


しかし、チャンスに恵まれず、ヴァイオリニストとして 世に認められずにいた。大舞台で自分の楽曲を弾い てもらおうと、自分の作った曲を持って名のある演奏 家を訪ねても、色よい返事をもらえなかった。
また、大 きな交響楽団の採用試験にいくつも挑戦したが、不合 格だった。
それでも彼は周囲の人々に励まされながら、腐らず 地道に勉強を続けた。彼は、誰からも愛される慈愛に 満ちた男だったという。
13名無しの笛の踊り:02/07/03 00:07 ID:HnEn4KlM
age
14名無しの笛の踊り:02/07/03 09:23 ID:???
そんな彼の人生を大きく変える出来事が起こった。


当時彼は小さな演奏旅行を行っていたのだが、訪問 先の図書館や修道院の資料室で、貴重な未発表の楽 譜を数多く見つけたのである。それはヴィヴァルディや マルティーニといった有名作曲家のものであった。
クライスラーは早速、未発表曲を演奏するリサイタル を各地で開いた。それは大きな話題となり、クライスラ ーの名は急速に広まっていった。しかし評論家は、大 作曲家の曲は褒めながらも、クライスラーの演奏は未 熟だと批判した。
それでもクライスラーは批評家たち の言葉には耳を貸さずに演奏を続け、多くの人々を魅 了し続けた。


ところが、評論家の批判を気にしないクライスラー が、一度だけ激怒したことがあった。新聞にのってい た批評はウィーンで行われたリサイタルに関するもの で、ベルリンの評論家、レオポルド・シュミットが書いた ものだった。
彼は、クライスラーが演奏したジョセフ・ラ ナーの未発表曲を、シューベルトに匹敵すると絶賛 し、その上でクライスラーの演奏を無神経だと非難して いたのだ。
クライスラーはシュミットに抗議の手紙を書いたのだ が、評論家はその内容を相手にしなかった。実は、ク ライスラーの怒りは自分の演奏を非難されたことには なかった。彼の怒りには、ある重大な事実が隠されて いたのだ。

評論家たちの批判とは裏腹に、彼の人気はうなぎ上 りだった。1899年にはついにベルリンフィルとの共演 を実現、大成功をおさめた。アメリカ、ロンドンでの演 奏も大成功、不動の人気を確立したクライスラーはつ いに「ヴァイオリンの帝王」と呼ばれるようになった。
だがその30年後、驚くべきスキャンダルが発覚する。
15名無しの笛の踊り:02/07/03 11:02 ID:???
おぉどうなるの?どうなるの??w

1さんに質問です。
私にはブルックナーに指示した影響が感じ取れないのですが、
影響とは具体的にどのような部分なのでしょうか?
16名無しの笛の踊り:02/07/03 11:42 ID:6.FC18Ng
この人の嫁の顔見てみたいんだけど、すごい美人なんでしょ?
17:02/07/03 12:18 ID:???
>>15
クライスラーのオペラはブルックナーの初期のオペラにそっくりだと思うのですが…
18名無しの笛の踊り:02/07/04 07:22 ID:???
1935年ニューヨーク。ニューヨークタイムズ誌の音 楽評論家オーリン・ダウンズは電信で海の向こうウィ ーンにいるクライスラーにインタビューを行っていた。
当時60歳になっていたクライスラーに、ダウンズはあ る重大な質問をぶつけていた。


彼の質問に対し、クライスラーはこう答えた。「そう、 君の言う通りだよ。ヴィヴァルディもクープランもラーナ ーも、全部私が作ったんだよ。
私が見つけた未発表曲 は全て私が作ったんだ」。
クライスラーは大作曲家の名を語り、自作の曲を世 に送りだしていたのだ。インタビューの翌日に新聞に のった大演奏家の告白は、当時の音楽界に大波乱を 巻き起こした。
しかし彼は、過去に一度だけこの事実 について告白していたことがあった。
19名無しの笛の踊り:02/07/08 11:29 ID:???
30年以上も前にクライスラーがあまりに鈍感な評論 家シュミットに怒りのあまり書いた手紙には、「ラナー の作品がシューベルトに匹敵するなら、それを書いた 私がシューベルトだ」と書いてあったのだ。
クライスラ ーはシューベルトを尊敬していた。自分の書いたちっ ぽけな曲が尊敬するシューベルトと一緒にされること は、彼にとって許されないことだったのだ。
無責任で無能な評論家への侮蔑の意味も込めて事 実を明かしたクライスラーだったが、シュミットは事実と 思わなかった。だが、この手紙の情報がダウンズの耳 に入ったようなのだった。
20名無しの笛の踊り:02/07/12 10:37 ID:???
語り部よ、早く先を語れ!
21名無しの笛の踊り:02/07/12 18:35 ID:4lb7lako
2220:02/07/12 18:41 ID:???
21よ、アリガト。
23名無しの笛の踊り
ラナーに限らず、他の未発表曲についても真実は同 じだった。よく調べてみれば、クライスラーが発見した と言った未発表曲は、どれも大作曲家たちの時代の スタイルからはかけ離れていた。評論家たちは誰もそ のことに気付かなかった。
彼が何故このような詐欺を働かなくてはならなかった か。数多くの音楽家を世に送りだすジュリアード音楽 院で教鞭をとる、ヴァイオリニストでクライスラーとも面 識のあったドロシー・ディレイ教授は、「才能ある無名 の音楽家が世に出るための方法だった」と話す。