ベートベンの交響曲第九番の日本人初演は九大フィルハーモニーで、
初演地は福岡市だった。ノンフィクション作家の半澤(はんざわ)周三さん(65)
=茨城県土浦市=が確認し、著書「光芒の序曲〜榊保三郎(さかきやすさぶろう)
と九大フィル」(葦書房刊)で紹介した。これまでの定説「1924年11月29日、
東京音楽学校の教官ら」を覆す新事実として注目されている。
榊保三郎さん(1870〜1929年)は旧九州帝大医学部の精神科初代主任教授。
留学先のドイツでバイオリンを習い、1906年に九大フィルを創設した。
半澤さんは新日鉄釜石吹奏楽部で奏者と指揮者を長く務めた経験があることから、
日本での演奏史を調べ始めた。その結果、九大フィル50年史などの資料や当時の
メンバーの証言から、創設18年後の1月26日に、榊さんの指揮で九大フィル37人と
中学や女学校の合唱団180人が福岡市記念館で第九の第四楽章を演奏したことを
確かめた。
当時の演奏プログラムには「ベートホーフェン作曲第九交響曲最終楽章中の快速調、
及び荘厳なる緩徐(かんじょ)調に、文部省撰(せん)奉祝歌調を榊保三郎が適応せる
ものなり」と紹介してあったという。
1924年は関東大震災の翌年。九州では福岡〜久留米に九州鉄道の急行電車
(のちの西鉄天神大牟田線)が開通している。半澤さんは「第九のメロディが初めて
博多で流れたのは間違いない。演奏は難しかったと思うが、榊さんの情熱が学生らを
引っ張ったと思うと、胸が熱くなります」と語る。
著書で半澤さんは、榊さんが楽器や楽譜の購入に私財を惜しまなかったことや
アインシュタイン博士と交遊があったことなども紹介している。
現在の九大フィル(約100人)のコントラバス奏者で3年の石田頼亮さん(24)は
「榊先生のような方が先輩にいたとは知らなかった。第九初演の情熱を私たちも
受け継ぎたい」と話している。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20011205k0000m040156000c.html