コードを作った人

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 イコール氏のような教育的な理論解釈派と、669氏のような既存の音源依存型の実
践派の対論はある意味において、今日の混迷している音楽現状を揶揄しています。これ
はそのまま作曲家と演奏家の立場をも揶揄している、非生産的な主張だと思われます。

 僕は両者は共に正論であるし、空論でもあるという穿った見識で、この論理を展開し
ていきたいと思います。

まず669氏。あなたの論点は現在のジャズ音楽の現状を説明したに過ぎません。どう
して説明がそのまま主張となりえるのか、僕にはあなたの文章から何も論拠を見いだせ
ません。ネオ理論(?)、たぶん最先端の、まだ整合性をもって体系化されていない理
論を指しているのでしたら、その理論が古典和声の強い影響下で生まれなかったこと
を、669氏は反証できるでしょうか。つまりあなたの言うネオ(=新)理論も、古典
和声の遺産を引き継いで、現在の音楽状況に一石を投じているのだと思います。実際に
T,Dも構成されない新しジャズ音楽は存在します。しかしこれは意図的にT,Dサウ
ンドをを回避しているのであって、そこには既に古典和声の知識が必要になることを証
明していると考えるのは、僕の勇み足でしょうか? さて次論を展開します。このネオ
理論が、古典和声への意図的なアンテテーゼであると僕は日頃考えています。だから対
極にある音楽的な解釈でも、そこには古典和声の理論は脈々と流れていると結論づけな
いわけにはいかないのです。僕への反駁は、古典和声を踏まえた上で論理明快にお願いします。

 さてイコール氏の分析は紙面の都合で次回に送ります。彼の論点には、非常に現代の
理論研究者たちが、陥りやすいオッカムの剃刀に似たな多様な問題を含んでいると僕
は疑念します。