ブラッド・メルドー Brad Mehldau Vol.5

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555いつか名無しさんが
NS: 次の質問に移ります。多くの批評家や、キースさんとも関係の深いチャーリー・ヘイデンを含むミュージシャンが、
ブラッド・メルドーpを若手ピアニストの旗手として評価しています。キースさんのメルドーに関する評価は?
KJ: 残念ながら、そのチャーリーを含む人々の意見は、「間違えている」といわざるを得ない。
NS: じつは、僕もあまりメルドーの音楽に感心していません。
KJ: メルドーは、たしかに彼自身の個性を持っている。しかし、問題はその個性の質だ。彼の音楽性は…何と言おうか…。

NS: えーと…。

KJ: どうぞ。君の方が、メルドーの問題を適切に表す事ができるかな…?
NS: 僕の見解としては…キースさんと同じく、メルドーの個性を認める事には、吝(やぶさ)かではないのです。
しかし、彼の音楽、とくにソロ(アドリブ)は、あまりにも機械的に聞こえます。
これは、彼の出発点がつねに思考的な音楽理論(セオリー)に基づいている事に起因していると思います。
音楽理論に頼り過ぎのせいで彼の音楽には、ジャズの一番重要な要素である“自発性”が希薄です。
したがって、彼のインプロヴィゼーションは、予定調和的です。自発性のないジャズ、
予定調和的なインプロヴィゼーションは、面白みに欠けます。

KJ: 僕が(メルドーの音楽性について)言おうとした事は、まさに今、君が述べたとおりだよ!
彼の音楽はあまりにも大脳(思考)に頼りすぎる。大脳に頼るピアニストといえば、
ポール・ブレイが思いつくが…とくに彼の初期に聞かれるプレイに。ただ、ポールの初期のプレイは素晴らしい。

NS: ゲイリーやスティーブ・スワローb、及びピート・ラロカdsやバリー・アルトシュルds等とのトリオ
…アルバムで言えば『フット・ルーズ』(SAVOY:1962年作品)の頃のプレイですか?

KJ: そうだ。たしかにポールは大脳的だが、彼は同時に“フリー・スピリッツ”でもある。
彼の精神的自由度が、ポールの音楽をスリリングなモノに昇華していると思う。
しかし、ポールは大脳的だ。そのせいで、彼の音楽から自発性が下がる傾向にある。
一方メルドーは、大脳的だが“フリー・スピリッツ”では無い。
したがって、彼の音楽から自由な自発性が感じられない。一言でいうならば、メルドーは “哲学者”だ。
556いつか名無しさんが:2010/09/20(月) 06:10:27 ID:???
NS: 僕は、メルドーを“理論家”だと思います。彼の音楽からは、音楽理論が透けて見えます。

KJ: まさに、そのとおり。

NS: 音楽理論にしろ、素晴らしいテクニックにしろ、それらはすべて“音楽”を創造するための“道具”であって、
芸術創造の目的である“音楽”ではありません。僕がメルドーの音楽に感心できない理由は、
彼の目的が“音楽”ではなく、その“道具”である理論に、向かい過ぎているからだと思います。
たとえば、デイブ・リーブマンts/ssもその様な音楽家のひとりだと思います。

KJ: デイブ・リーブマンか…良い例えだ。(笑い)

NS: メルドーにしろ、リーブマンにしろ、素晴らしいプレイヤー(楽器演奏家)である事に間違いはありません。

KJ: たしかに彼らは、素晴らしいプレイヤーだ。しかし…。

NS: しかし“即興演奏家”として彼らの音楽を判断した場合、今ひとつの物足りなさを感じるのも事実です。

KJ: そのとおりだよ。

NS: えーと…。(笑い)

KJ: 何だい?

NS: じつはしばらく前に、僕は稲岡編集長とメルドーの音楽性について議論した事があったのです。
幸いキースさんは、全面的に僕の考えに賛同してくれました。(笑い)

KJ: そうだったのか!(笑い)メルドーは、理論に走りすぎる。
彼は、自分の理論を音楽を通して“証明”しようとし過ぎている。
その証明(理論)が、彼の音楽創造の目的になってしまっているところに、問題がある。
そういう事を、行うべきではない。僕自身も良くライナー・ノートなどで、理論的な証明を試みる。
しかし、僕は決して音楽(創造)をその証明の“場”として使わない。
557いつか名無しさんが:2010/09/20(月) 06:13:08 ID:???
NS: 最大の問題は、メルドーの音楽に耳を傾けると“音楽”ではなく“理論”が聞こえてくる事です。僕は、“音楽”を聴きたい。

KJ: そのとおりさ!もし推測するならば…経験を積んでいるせいで、
僕は推測する事が得意なのだが…彼の音楽創造の目的を変えない限り、メルドーのキャリアは、長くは続かないだろう。
一面的に理論に根ざした音楽は、決して長くは続かない。(音楽創造には)多面的なアプローチが不可欠なんだ。
理論(証明)を目的に音楽を創ろうとする事は、一方向を向いただけで旅をする事に等しい。


http://www.jazztokyo.com/interview/v61/v61.html
インタビュアーは須藤伸義という心理学者兼ピアニストらしい。