こんな村上"ポンタ"秀一は嫌だ

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10いつか名無しさんが
ちわーっす!
UNDERWATER SUNLIGHT最強のzeitが、ラノベラーメンでランチを満喫しながら
チンカスドラマーのクソスレで>>10GETっす!

我々日本人の民族的なルーツは満州・モンゴルあたりの主に「扶余」である事は、
もう確実視されるべきと思うが、その日本人の、その音楽的なルーツ、
アイデンティティをどこに求めるべきか。

雅楽でもない、浪曲でもない、もっと根源的なところ。

一つ明らかなのは、禅仏教。しかし仏教音楽(という程のものではないが)は、
音程も未発達でリズムも単調。せいぜい、尺八(の音楽)に
高度な音楽表現が見られるが、それでも音程には限度がある。

やはり、日本だけというよりも汎亜細亜的にインド/中国/朝鮮/日本と総括して、
その音楽的アイデンティティを求めるべきか。

今、トルコの民族音楽(ネイという尺八の元祖のような笛、葦笛、
ケメンチェという弓奏リュート、タンブリン)を聴いているが、
非常に亜細亜を感じさせる。これはスーフィーと呼ばれ、
舞踊の為の音楽でもある。12音階ではなく1オクターブを53音階(!)
に分けたマカームと呼ばれる旋法、リズムは8/10拍子に基づいている
イスラム音楽である。ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのカッワーリ
と共に西欧で非常に関心を惹かれた音楽である。
これもまた、非常に「東洋」を感じる。
我々モンゴロイドの太古のルーツを感じさせなくもない。