ソ ??
日本語でお願いしますw
アラホヲタはクズ
縦読み失敗で逆切れwwwwww
アラホヲタは糞
アラホヲタはバカ
>>891 縦読みはどうした??
アラホ嫌いに何故かキチガイが多い、
ということをまたまた証明してくださいましたなw
ありがとうw
厄夜
精神的に幼いやつが多いんだろうな、アラホ嫌いには。
縦読みくんといい会話調くんといい。
X「ジャズをやる上で朱子を学んでおくのも案外いいことがある」
Y「朱子学は江戸時代流行ったはずだが」
Z「禅なら分かる気がするが、朱子学とは」
X「『朱子集』の中にあるんだが、
文字は汲汲として看るべし。悠悠たるは得からず。急ぎ看て、方めて
前面に看し底に接し得。若し放慢なれば、則ち前面の意思と相い接せず。
某の文字を看るや、看て六十一歳に到り、方めて略ぼ道理を見得ること
恁地きを学ぶ莫れ」
Y「意味は?」
X「難しいことはない、自分で調べろ」
Z「朱子学の本買ってくるか」
ハティクヴァ「ホイットマンの詩集にこんなのがある、
見知らぬ人よ、もし通りすがりに君が私に会って、
私に話しかけたいのなら、どうして君が私に話しかけてはいけないのだ?
そして、どうして私が君に話しかけてはいけないのだ?」
ボヘミア「へええ」
Y「さっき駅から遠回りして古本屋に寄ったんだが、『旧約聖書』を買ってしまった」
Z「なんかあったの」
Y「『コーへレント書』のところをパラパラめくってたらこんなのがあった、
いっさいの事柄は物憂く、誰も語り尽くせはしない。
目は見て飽き足りることはなく、耳は聞いて満たされることはない。
かつて起こったことは、いずれまた起こり、
かつて為されたことは、いずれまた為される。
日の下に新しいことは何一つ存在しない」
X「歩きながら読んだのか」
Y「いや公園のベンチに腰掛けてパラパラとやった」
Z「芥川龍之介の『相聞三』から、
また立ちかへる水無月の 歎きを誰にかたるべき。
沙羅のみづ枝に花さけば、かなしき人の目ぞ見ゆる」
X、Y「聞いたことあるな」
X「宮本武蔵の『五輪書』にある、
目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、
遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。
敵の太刀をしり、聊も敵の太刀を見ずといふ事、兵法の大事也」
Y「なんとなく」
Z「わかったような」
畔柳所長「パスカルは言った。『人間は自然の中にあって何者であるか?
無限に比すれば虚無、虚無に比すれば一切、無と一切との中間物。
両極を理解するには、それらから無限に隔たっているので、事物の窮極
とその始原とは、彼にとって、底知れぬ秘密のうちに詮方なく隠されて
いる。』」
有明助手「・・・」
畔柳所長「『彼の引き出された虚無をも、彼の呑みこまれる無限をも、
ひとしく彼は見ることができない』」
宗像博士「サルトルの『実存主義とは何か』にある、
人間は自由である。人間は自由そのものである。もし・・・神が存在しないとすれば、
我々は自分の行いを正当化する価値や命令を眼前に見出すことはできない。
・・・我々は逃げ口上もなく孤独である。そのことを私は、人間は自由の刑に
処せられていると表現したい」
有明助手「ええ、それはもう」
畔柳所長「マキアヴェッリの『君主論』にはこうある、
人民は優しく手なずけるか、さもなければ抹殺してしまうかだ。なぜならば、軽く
傷つければ復讐してくるが、重ければそれができないから。したがって、そういう
誰かを傷つけるときには、思いきって復讐の恐れがないようにしなければならない」
有明助手「ううむ」
畔柳所長「ラ・フォンテーヌの『寓話』の中に『スキティアの哲人』というのがあるんだが、
ストア派は魂から欲望と情念を除き去る、よいものも、悪いものも、全く罪のない願望まで。
こういう人たちにたいして、わたしは抗議する。かれらはわたしたちの心から主要な力を
除き去る。かれらは人が死ぬまえに生きることをやめさせる」
有明助手「ふうむ」
宗像博士「ボズウェルの『サミュエル・ジョンソン伝』にこうある、
怠惰は克服されねばならぬ病気だ。しかし僕は特定の学習計画の厳格な実行を
勧めようとは思わない。僕自身これまで二日間と続けて決まった計画通りに実行
したことがない。人間は気持ちが赴くままに読書すべきものだ。課題として読む本
はあまりその当人のためにならない」
有明助手「いいですね」
畔柳所長「後白河法皇の『梁塵秘抄』にある、
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、
我が身さへこそ動がるれ」
有明助手「歌謡集ですね」
宗像博士「ジンメルの『日々の断想』にある、
自分自身に適せず、踏み迷って、休むことを知らない存在、それが人間である。
理性的存在としては余りに多くの自然を有し、自然的存在としては余りに
多くの理性を有している−どうすればよいのか」
有明助手「どうすればといっても、ですね」
ハティクヴァ「文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終幕に直面している。
アウシュヴィッツのあとでは詩を書くことは野蛮である。アドルノだ」
ボヘミア「続きはこうだろ。しかもこのことが、なぜ今日では詩を書くことが
不可能になってしまったのかを教える認識をさえ蝕んでいるのだ。精神の進歩
をもおのれの一要素として前提するような絶対的物象化が今やこの精神を
完全に呑み込もうとしている」
ハティクヴァ「『マザー・テレサ愛と祈りのことば』より、
私は自分の心の中に、死にゆく人々の最後のまなざしをいつも留めています。
そして私は、この世で役立たずのように見えた人々が、その最も大切な瞬間、
死を迎える時に、愛されたと感じながら、この世を去ることができるためなら、
何でもしたいと思っているのです」
ボヘミア「ううむ」
ハティクヴァ「ダンテの『神曲 地獄』の一説にこうある、
我を過ぐれば憂いの都あり、我を過ぐれば永遠の苦患ある、我を過ぐれば
滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、聖なる威力、比類なき智慧、第一の愛我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ」
ボヘミア「ううむ」
ハティクヴァ「ラ・ロシュフーコーの『箴言集』にあるんだが、
われわれは皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている。
われわれの美徳は、ほとんどの場合偽装した悪徳に過ぎない。
人は決して今思っているほど不幸でもなく、かつて願っていたほど幸福でもない。
われわれは自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識のある人とは
思わない」
ボヘミア「まあそういうところはあるだろうな」
ハティクヴァ「ニーチェの『この人を見よ』の中にある、
人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛である。
何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、
未来に対しても過去に対しても永遠全体にわたってけっして」
ボヘミア「それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、か。
ハイデガーはここに目をつけたんだな」
畔柳所長「河上肇著『自叙伝』より、
敵よりも恐ろしからむ食ひ物のけふこのごろのこのともしさは
人も我もただ食ひ物のこと思ひ日を過ごしゆく囚人のごと」
有明助手「戦前のマルクス主義ですね」
畔柳所長「うむ、昭和8年から昭和12年まで入獄の身だった。そのときの模様だ」
ハティクヴァ「ブロツキーの『ローマ悲歌』はこうだ。
私はローマに滞在した。ひかりにずぶ濡れになって。
そう、破片だけが夢見ることができるように!
私の網膜にうかぶのは、燦然たる円形。
あたり一面の暗闇にはこれで充分だろう」
ボヘミア「ふうむ」
ハティクヴァ「ガルシア=ロルカの『ジプシー歌集』の中にある、
はるか下の方で川が歌う 川は空と木の葉のすそ飾り。
新しい光は 南瓜の花の冠を戴く。おお、ジプシーたちの悲しみよ!
清らかな、いつも孤独の悲しみ。おお、隠れた河床と はるかな夜明けの悲しみよ!」
ボヘミア「『黒い悲しみのロマンセ』という歌だろ、読んだ覚えがある」
ボヘミア「ハマーショルドの『道しるべ』から、
私が求めているのは不条理なこと−生に意味があってほしい、ということ。
私の闘っているのは不可能なこと−私の生を意味あるものにしようとすること」
ハティクヴァ「ハマーショルドは飛行機事故で死んだがノーベル平和賞受賞したね」
畔柳所長「戸坂潤の『思想としての文学』の中で娯楽論を説いている。
娯楽は元来芸術性を有っているのだ、そして芸術も最後まで娯楽的特色と絶縁することは
出来ない。芸術の大衆性をまともに考えれば、そうあらざるを得ない。
勿論娯楽はそのままで芸術にはならぬ。だが芸術への案内人であり客引きで
なければならなぬというのだ。だが芸術それ自身がそもそも生活への案内人であり
客引きではなかったか」
有明助手「ふうむ」
X「行ってきたな、野音」
Y「FTB再出発オメ!」
ボヘミア「オレたちも行ったよ、どっちかというとチャー目当てだったけど」
ハティクヴァ「いやあ、フラワー・トラヴェリン・バンドも良かった」
ボヘミア「確かにFTBはさすがだった」
X「チャーもいつもながらすごいギターだったな」
Y「楽曲はあいかわらずあまり展開がなく単調だったがギターはすごかったね」
X「ジョニー吉長が59歳、チャーが53歳」
Y「ジョニーと別れた金子マリも観に来てたね」
ボヘミア「ジョー山中の息子が来てたな」
ハティクヴァ「やっぱりあれそうか。目がそっくりだったな」
ボヘミア「ジョーはもう62歳だよ」
ハティクヴァ「なこといったら石間秀機64歳w」
X「石間秀機、あのオッサンすご杉wシターラって特注なのか、すげえよ」
Y「なんかジョーの合いの手打ってたよな。石間秀機がいなかったら物足りない」
Z「ウーマンでスイッチが入った感じ。そのあと盛り上がりがすごかった」
X「石間のあの国籍不明のフレーズはカナダでもアメリカでも話題になりそうだな」
Y「サトリがすごかった。中東風でもあり、アジアの禅坊主が地球一周したみたいな」
Z「まさにトリップしたね」
ハティクヴァ「ジョー山中の生、初めて見たよ。有名な人だけどね」
ボヘミア「美川憲一が大麻でつかまった時にそのパーティーに同席してたのがジョー、
ぐらいだな、知ってるの。あと映画のサントラ歌ってたな」
X「野音30数年ぶりに行った」
Y「俺はフリーミュージックの『天国注射』以来だから25年ぶりぐらいだ」
Z「喫茶店主に聞いたんだが、ジョーとジョニーは昔『カニバルス』というバンドでいっしょだったらしい」
X「FTBの場合30数年前の日比谷はロック粉砕で中核派が乱入したらしいね」
Y「ジョーが言ってたな」
ボヘミア「チャーのギターはやっぱり圧倒的だった」
ハティクヴァ「あれだけ弾けるギタリストって世界でも数少ないね」
ボヘミア「まあ、始め覚束ない感じだった石間秀機のシターラも凄味がだんだん
来たけどね」
ハティクヴァ「法華の太鼓みたいにだんだんすごくなったね」
ボヘミア「FTBみたいなすごいバンドが日本に、いや地球にまだ存在してたとはな」
X「内田裕也はいらん」
Y「アンコール同じ曲やると思ったらちゃんと用意してあったな」
Z「フュージョンポップスみたいな曲はあれはあれで仕方ないんだろうな」
X「ラリってばかりはいられない」
ハティクヴァ「チャーのバンド誰か楽曲提供しないかな」
ボヘミア「リフがあまり無いね」
ハティクヴァ「そういえばキッズバンドの竜之介くんも観に来てたよ、お父さんといっしょだった」
ボヘミア「そういえばルイスのベースもすごかった。さりげないんだが」
X「1970年にもFTBはカナダついでアメリカに渡っている」
Y「今度こそ世界征服かもな」
Z「石間さん、まるで空海のようだ。演奏を見ててそう思った」
X「篠原さんのオルガン痺れるね、あの人ハプニングス・フォーにいた時はナベプロ所属
だったから給料ちゃんと貰ってたって、それでFTBになったら10円コンサートってw」
ボヘミア「チャーったらさ、どうせ前座なんだからチャチャッと済ませようとか言ってたなw」
ハティクヴァ「ずいぶん贅沢な前座だよ」
X「石間のオッサンなんでシタールに目ざめたかっていうと、ガボール・ザボのシタール
を聴いてだって」
Y「ザボw」
Z「痺れたのかぁ」
有明助手「ボードレール『悪の華』より、
われらまもなく冷たき闇に沈むらん。
いざさらば、束の間なりしわれらが夏の強き光よ!
われすでに聞く、中庭の石畳に
悲しき響を立てて枯枝の落つるを」
畔柳所長「夢窓疎石の『夢中問答』より、
仏法を行ずとも若し悟を開くことなくば、其の工夫いたづらなるべしと疑ふて、
いまだ行じても見ずして、かねて退屈する人は愚の中の愚なり。
若しさやうの疑を起さばただ仏法のみならず、世間の凡夫のしわざ
何事かかねて治定せるや」
宗像博士「魯迅の『吶喊』から、
私も若いころは、たくさん夢を見たものである。あとであらかた忘れてしまったが、
自分でも惜しいとは思わない。思い出というものは、人を楽しませるもの
ではあるが、時には人を寂しがらせないでもない。精神の糸に、過ぎ去った寂寞
の時をつないでおいたとて何になろう。私としてはむしろ、それが完全に
忘れられないのが苦しいのである」
畔柳所長「小堀遠州の『茶話指月集』にある、
件の肩衝、丹後の太守価千金に御求候て、むかしの継目ところどころ合ざりけるを、
継なをし候はんやと、小堀遠州へ相談候へば、遠州此肩衝破れ候て、つぎめも合ぬにてこそ、
利休もおもしろがり、名高くも聞え侍れ、かやうの物はそのまゝにて置がよく候と申されき」
有明助手「肩衝とは何ですか?」
畔柳所長「肩の角ばった形の茶入れだよ」
有明助手「ニュートンの有名な一説、
世間の人々の目に私という人間がどう映るかはわからない。
しかし、私自身には、目の前に真理の大海が未知のまま広がっているというのに、
私ときたらただ浜辺で遊び戯れ、時おり普通のものよりも滑らかな小石や
きれいな貝殻を見つけては喜ぶ子供のようなものだった、としか思えない」