>>697 三畳一間の下宿であろうが、子供を東京の大学にやれるような家庭は富裕層だ。
だいたいその時代にマンションなんかに住んでる学生いなかったろ。
賄い付きの下宿もしくはボロアパートだ。
学力のある中間層は地元国立大学に行き、優秀でも貧困層は高卒だ。
中卒がまだ珍しくない時代だぞ。
>>701 たぶん、701さんの言っている「富裕層」は私の言う「貧しさ」と矛盾しないと思う。
田中康夫氏が浅田彰氏との対談で「庄司薫がひとつだけいいことを言っていて、」と前フリして、
「義務教育のいいところは、色んな階層の子供が一緒に学ぶ機会を与えるところだ」みたいなことを言っていた。
つまり、当時は「(701さんの言う)富裕層」と貧困層の垣根が今ほど高くなかったのね。流動的だったというか。
だから、「貧しさ」に対する想像力を社会一般が共有していたみたいな。
それから、「ノルウェーの森」を昔読んだけど、その中でミドリだったか、「僕」の彼女が
お嬢様学校に通っているのね。で、彼女自身の両親はたしか古本屋経営で、無理して彼女を大学に通わせている。
で、彼女の台詞に、
「お金持ちの子には言えて、貧乏人な子に言えないことはわかる?」
「お金持ちの子は『私、今日は貧乏なの』って平気で言うけど、私には言えないのよ」
と言うのがあった。「富裕層」というのは、普通こういう金持ちを指すのではないだろうか。
つまらなかったなー。何度途中退場しようと思ったことか。
男子中学生達と先生の青春ドタバタ劇って感じ。
褒められるとこは演技と時代描写ばかりじゃん。
それって映画の内容じゃなくて装置でしょ。
つまらんと言い辛い雰囲気は、なんちゃって社会派映画だからか。
もしくは今やメジャーな俳優二人を使ったせいでカッコいーしか
言えない人達が感想書いてるからか。
土曜日、吉祥寺のトークショー(山下、向井、w山本)に行った人いないかな?
>>704 >もしくは今やメジャーな俳優二人を使ったせいでカッコいーしか
>言えない人達が感想書いてるからか。
このスレ読んだの?
山下監督のファンの私は、どちらかと言えば、この映画に対して好意的なレスをしてきたし、好きな映画だったりする。
ただ、704さんの書いてあることはよくわかる。ここでも、雰囲気で誉めているだけの人が多い。
具体的な問題点を挙げたレスに対して「俯瞰で観ろよ」みたいな、何か言っているようで、実は中身のないレスをしている人とか。
どんな映画でも何かを拾えた人と拾えない人がいるのは
正解不正解の話でなく仕方がないことだと思うよ
なんちゃって社会派映画(定義自体よくわからんけど)だと言われれば
上っ面はそうだけど、実際は青春が敗残する普遍的な話なんだけどなあと思うし
感情移入しづらいと言われれば
ラストの一点でしかそれを許さない構造になっててそれゆえのカタルシスはあったけどなあと言うしかない
だからお互いがお互いを極論で潰さないようにした方がいいと思うんだけどね
>>708 >感情移入しづらいと言われれば
>ラストの一点でしかそれを許さない構造になっててそれゆえのカタルシスはあったけどなあと言うしかない
それは、私もその通りだと思うし、それで落涙した。
>だからお互いがお互いを極論で潰さないようにした方がいいと思うんだけどね
この部分も含めて、708に書かれていることはすごく共感しました。
青春が敗残する普遍的な話だと言われれば
上っ面はそうだけど、実際はなんちゃって社会派映画だったと思うし
ラストの一点でのカタルシスはあったと言われれば
全編感情移入しづらいがゆえ、ラストも淡々と流れていったと言うしかない
極論を極論で潰すってこういうことなんだがね
だからそういう不毛で相手をねじ伏せるのはやめようぜってことだよ
当時の女子学生はあなたまさか働いたりしないわよね
て会話してたそうだよ
特権階級だな
学生運動してる連中は貧しい連中と連帯してるつもりでも
実は単にひとりよがりで浮いてたわけだ
親のスネかじってるやつは卒業したら今度は会社に媚びるだけだな
と下の世代は学生運動したやつを欺瞞とみてバカにしてるよ
だから題材きいただけでこの映画をみようとしないのさ
何も得るものないのわかってるからな
713 :
名無シネマ@上映中:2011/06/06(月) 19:29:12.59 ID:qDm739Pt
私は保倉幸恵に興味があったからこの映画を観ようと思っている。
レスを読む限りでは重要な役回りで、女優さんも好演してるみたいなのでうれしい。
村上春樹のノルウェーの森じゃないけど、学校解体・社会解体と
叫んでも、大学4年になれば、普通に就職活動して就職。
自分たちの考えに賛同しなかった奴を吊るしあげたりしてた奴らが
ですからねぇ。
>>701さんの感覚は良く分かる。
うちの両親は全共闘世代の4、5歳上だが、辺鄙な自給自足農村出身の中卒だ。
母は学校で一番成績が良く担任教師が祖母に進学させるよう薦めたが
貧しくて下宿費用が捻出できず進学できなかった。
両親はビートルズの曲を知らないし、学生運動もあさま山荘事件とよど号しか知らない。
子育てと食べていくのに精一杯だった。
そういう階層が世の中の大半を占め、高度成長時の工場労働力になっていた。
自分は正直言って、学生運動なんて暇な大学生の遅れてきた反抗期だと思ってるよ。
子供の頃ニュースから流れてきた熱い時代の空気はワクワクさせるものがあったけどね。
沢田の部屋はおぼっちゃんぽく見えたが
あれは当時の生活水準だと上のほう?
>>712 本気で運動にのめり込んだ連中は、大学中退して山谷行ったりしてたぞ
もうちょっと勉強してから書き込め
719 :
名無シネマ@上映中:2011/06/06(月) 23:13:55.94 ID:oDVOvLG2
神保町シアターが似合うなあ、川本対談つきで
>>716 私の両親も中卒なので、701さんの「感覚」はわからないでもない。
それから、ロッキンオンでビートルズフリークの松村雄策氏が「まるで当時の若者がみんなビートルズに熱中していたかのように
思っているかもしれないけど、クラスでビートルズを聞いているヤツなんてひとりいるかいないか。たいていはドメスティックな歌謡曲
しか聞いていなかった」みたいなことを書いていた。そんなものだと思う。
そういうことを踏まえた上で、やはりビートルズは日本でも旋風を巻き起こしたと言えるだろうし、
学生運動がムーブメントを作ったことはたしかだと思うのね。
学生運動が「遅れてきた反抗期」や「なんちゃって運動」で「欺瞞」に満ちたものだとしても、
それがなぜムーブメントになったかと言えば、その大きな要因に、図らずも701さんも716さんが詳しく描写しているように
当時は、社会全体に「貧しさ」が残っていたからだと思う。
貧しさって言うけど、今振り返るからそう見えるだけで
当時は貧しさそれ自体が自覚的なルサンチマンていうか負のエネルギーにはなってなかったんじゃないのかなあ
たとえば、最近の「ホームレス」は物乞いをしないが、当時は「乞食」「ルンペン」と言っていた。
私も数度しか見た記憶がないけど、ゴザの上に座ってお金を恵んでもらっている人を見た。
茶碗に、通りすがりの人が小銭を放り込むんだけど、見ていて子ども心に凄く切なくなった。
私は記憶にないが、wikiを読むと「傷痍軍人」なんかも、実体験として当時の人は記憶していたらしい。
そういう時代だったということ。
つまり、社会の矛盾が「貧しさ」というわかりやすい形で、隣り合わせに存在していたのだと思う。
自分自身のルサンチマンというのとは、また別の問題として考えざるをえないというか。
ただ、この映画に関してはその代弁は求められてないけどね
あれ、新宿東口から西口に繋がってる地下通路に
80年代の終わり頃でも傷痍軍人たまに見かけたけど
正直インチキ臭いと思ってたけど本物だったのかな
古今東西現状に不満足な若者はいつもいるわけだし。
「貧しさ」を火種に騒ぎたいだけだった輩も大勢いたでしょう。
当時は文化人も煽ってたらしいし。
この映画の主題もそんな若者の青さについてだと思うよ。
この映画の主題が「若者の青さ」だというのは、同意する。ユリイカの評を読んでも、そのことを理解できていない人が多い。
ただ、時代設定として「学生運動」を選んだ以上、何らかの政治性を持つのは作り手も自覚すべきだと思う。
「学生の左翼活動を描きながら、社会派の映画ではなく、青春ムービーを撮る」というのも、
ひとつの立派なポリシーだったりする。
そのためには「時代」をしっかりと描く必要があったと思う。たしかに時代考証的なことはよくできている。
服装や食事や街並み。たとえば自動販売機が映っていないことを見ても、注意深くロケーションしたことがわかる。
ただ、フェティシズムだけでは「時代」は描けない。当時のことを描いたのであれば、必ず映り込んでいたはずの
「貧しさ」が見えてこなかった。
ネットで感想を読んでいると、最初から沢田に甘さしか感じなかったから、最後に泣かれても…
というのを見かける。
あくまで、たとえばだが、「梅山」と沢田が町を歩いていると「ルンペン」がいる。
「梅山」が「沢田さん、100円貸してくれませんか」と言って、借りた100円を恵んでやる。
そういう描写があれば、沢田がなぜ「梅山」を信じてしまったのかの説明にもなったと思う。
その上での「甘さ」であり、最後の涙につながっていけたと思う。
主人公への感情移入として、梅山になぜ傾倒したのかはたしかに説明不足だと思ったな。
でもウサギに同情したように「勝手に」梅山に入れ込んだ自分というのもこの映画の主人公らしいんだよね。
その結果自分が情けなくて涙したんだし。
薄っぺらい梅山に入れ込んだ本来の意味でのナイーブさを伝えるのが作品の趣旨だとおもったな。
「貧しさ」は現代的ではないけれど、「ナイーブさ」は今でも題材として通用するテーマかと。
ま、今の若者に伝わるように作らないと仕方ないんですがね。
>>726 貧しさにこだわってる人がいるみたいだけど
この映画の登場人物において貧しさは行動原理に影響していないし
逆にそれを織り込むと、上でも書かれてたけど階級闘争的なミスリードになる
729 :
名無シネマ@上映中:2011/06/07(火) 00:56:19.65 ID:FZNFPo6M
松ケンはノルウェイの森の二番煎じみたいなのだけはやめてくれよ・・・
>>727 >ま、今の若者に伝わるように作らないと仕方ないんですがね。
ようするに、そこなんだよね。どうやら大コケ決定のような気がする。
山下監督ファンとしては、何と言うか「悔しい」気がする。次回作にも、少なからぬ影響があるのではないだろうか。
>>728 >逆にそれを織り込むと、上でも書かれてたけど階級闘争的なミスリードになる
それは見解の相違だと思う。たぶん、話し合っても埒は開かないと思うので、説明はしないけど。
>この映画の登場人物において貧しさは行動原理に影響していないし
これは、少しおかしい。つまり、私は「この映画の登場人物において貧しさが行動原理に影響していない」点を
批判しているんだから。その批判が正しいかどうかはともかく、この部分は私の言っていることを繰り返しているだけだもの。
ちなみに、原作は読んでいないけどユリイカの小熊英二氏の評を読むと、原作には貧しさに対する後ろめたさが書かれているようです。
>>730 この映画で起きたことは貧しさが理由ではないでしょう?
>>727 毎日新聞のインタビューだったと思うが山下監督は
「沢田は行動しようとする梅山に対する負い目がある」て言ってたな
沢田は自分から動けないタイプだからね
そして本質的なところは似てるんだよこの二人
薄っぺらで甘ったれで子供・・・ええと類は友を呼ぶ?
それと意外と指摘されてないみたいだけど初対面で梅山は沢田に
「優しすぎる」「こんなふうに話してくれた記者の人は初めて」と
上手いこと言ってんだよね
大人ならこんなおべっかに騙されないだろうけどw
>>728 同意。時代の臭いは冒頭のフーテンの描写でも十分出てた。
というか貧乏といっても70年頃は高度成長期で社会全体が前向きだったし
戦時中みたいに一般層が食べるのにも困るという訳じゃなし
家も裕福じゃないけど廻りもそんな裕福じゃないから
幼かったがみじめな思いは別に無かった
ホームレスなら現代もそこら中にいる。なぜ貧乏の描写にこだわるのか判らない
>>731 だから「この映画でおきたことは貧しさが理由ではない」という点を批判しているわけです。
その批判が的を射ているかどうかは別として。
>>734 仮に貧しさを理由にした場合、整合性のある物語になる?
貧しさを描いていたらもっと深い話になったかもねたしかに。たとえば殺された自衛官は貧しさから公務員になったのだ!とかね。
しかしそうすっと、最後の涙ではまとめられなくなるんだよなー。
貧しさについての映画は「泥の河」が良かったね。
いまの若い人に観てもらうためには前半で主人公ふたりの類似性とそれにはまっていく陶酔感をもっと若者視線で描いて、後半オトナの現実で突き落とす。
うまくやれば「さらば青春の光」「マイプライベートアイダホ」クラスになれたかもね。
作り手が主人公に距離をおいてるから難しいかな。
事実として、客が入っていないというのがある。もし違っているなら、そのほうがうれしいが、
おそらく驚くほど入っていないのではないだろうか。
私はこの映画を楽しめた。ただ、twitterやyahooの感想を見ていると、どうも沢田に感情移入できないので、
最後の涙を見ても、理解できない、長すぎるという人が多い。
そういう人を「俳優ヲタ」だと見下している人が何人かいるが、やはりこのコケ方は作り手にも問題があると思う。
客観的に考えて、「優しさ」や「甘さ」だけで沢田の行動を説明するのは無理がある。
>>734 前面に出す必要はなくて、背景として匂わせるだけでも違ったと思う。原作には、そういう描写があるようだし、
それに「貧しさ」に拘っているわけではなく、当時のことを描けば自然に出てくる貧しさで充分だと思う。
繰り返すけど、「一万円」の扱いが小さすぎる。山下監督は、その辺は抜かりないと思っていたけどなぁ。
>>736 まあ、たしかにまとめにくくはなるだろうね。とにかく、
>作り手が主人公に距離を置いている
これが一番の問題点のような気がする。
ちなみに「泥の河」はマルセ太郎の再現パントマイムをテレビで観た。映画も観たかもしれないが、
マルセ太郎の記憶が強すぎて、あまり覚えていない(苦笑
>>736 ん?
>>734の言ってるのは貧富の差に対する後ろめたさも
沢田の行動原理になってるって事じゃないのかな?
それもブレるから無くていいと思ってるが
貧乏人が苦労して公務員になったのに殺されてしまったみたいな
お涙頂戴な展開は個人的には全然いいと思えないなぁ
でもその方が受け入れ安くなってヒットするのかもね
あ、作り手が主人公に距離をおいてるのが問題というのは同意だ
あと学生運動も間違った方向に進んでしまったけど
初期に参加した人達は青臭いけどちゃんとした理想を持ってた人も多かったと思うが
そこをあまり描いて無いから若い人は
学生運動に参加してた=全員キチガイと思わないかちょっと心配になった
>>717 郊外なら中の中以下だが、東京の戦災にあった地域なら中の上ぐらいかも。
原作では以下の様なエピソードが書かれている。
学生運動が盛り上がるさ中、東京下町の工業高校で起きた学生運動を先輩記者と取材に行き
帰りに二人で飲んでいると、下町出身の先輩記者が酔っ払って
「ドロップアウトだのヒッピーだの、そんなのは経済的な余裕がある連中がやることだ。
今日取材した高校からは大学に行ける子なんて半分もいないんだぞ」
とからまれ、自分は何も反論出来ず結局記事は先輩が書いた−
そんな話があえて日比谷高校を中退して奔放な行動をとる少年と対比する様に書かれている。
井筒監督の評(抜粋)
原作では実名で書かれている組織名や雑誌名が悉くニセの名になっていて興ざめ。
そんなところでウソついたら負けやろ。「僕たちホンモノになれるんですよ」って
台詞通りホンモノを見せてくれよ。
革命についての説明がないから今の若者には伝わらないだろう
滝田修と思しき黒幕本人にもちゃんと取材しろ、自分は当時京阪電車で本人見たぞ
見終わって秋田明大を思い出し、革命前夜の映画を撮りたくなった…等
あと、悪人の時は酷評していた妻夫木を熱演と評価しているが、
総じて前述の腰の引けた作り方のためピンとこない、とも
743 :
名無シネマ@上映中:2011/06/07(火) 07:39:51.50 ID:CU/So36R
沢田は梅山にシンパシーを感じていた以上に「信じたかった」んだと思った。
まだ逃亡潜伏中の滝田修に興味持った。
ゲバラみたいにポップアイコン化しないかなw
>>742 「ホンモノじゃない」からにせの名前なんじゃないかとw
あと「革命についての説明がないから今の若者には伝わらないだろう」
こういう思いこみで発言されても困るよな。今の若者ってどこの誰なんだと
井筒さんは良い映画撮るけど映画評はこれだもの
やはり、沢田に感情移入しにくいというのが一番の問題点だと思う。
このスレでは、「感情移入しなくても、俯瞰で楽しむ映画もある」「最後まで感情移入できない構造になっているからこそのカタルシス」
という意見があった。でも、これだけのコケ方を見ると、やはりそれは一般的には伝わらなかったのだと思う。
もし、沢田に感情移入できていたら最後のシーンも、もっと感動的になったと思う。沢田に感情移入できるということは、時代が違うだけで
もしかすると、自分たちもあの時代に生まれ、沢田と同じ立場にあったら、沢田と同じ行動を取ったかもしれない。
そう同化できていれば、タモツの言葉が観客の心にも響いてきたと思う。
このスレの感想を見ても、学生運動に対して「なんちゃって」「甘い」など、否定的な意見が多い。
実際の学生運動を否定するのはかまわない。ただ、映画の感想として
「そうだよ、沢田くん。最後にようやく自分の間違いに気がついたのね。よかった。ぼくもうれしいよ。」
という、俯瞰した感想しか観客に呼び起こせなかったとしたら、やはり作り手の失敗だと思う。
色々インタビューとか読んだけど、やはり作り手自身がが沢田(=川本さん)を愛していないのがすべてだ。
>>745 でもそのためには沢田に何らかの形で美化を施さなければならないけれど
それこそ川本氏の本意ではないような気がするなあ
原作を読んでいないので川本氏の本意がどこにあるのかはわからない。
ネット情報だけで言うのもなんだけど、もしかすると、逆に「自分のとった行動を正当化したい(美化したい)」
というのが本音なのかもしれない。その辺りを監督や脚本家が「共感できなかった」と
言っているような気がする。よくわからないけど。
で、そういう部分も含めて、やはり川本氏を愛せなかったのが問題かと。
あるいは、愛させることができなかった川本氏が問題かと。
とにかく、これだけコケると、山下監督ファンとしては自己否定されたみたいで悲しい。
間接的とはいえ沢田の行動によって人が死んでるのに、美化されても萎えるわ。そんなことを感動ドラマになんぞする必要はない
俺も原作を読んでないんで、原作者がどういう姿勢でこの作品を書いたのは知らないが、仮に自己弁護をつらつらと書いてたなら
それをある程度突き放して、映画化した監督の姿勢を俺は評価するね。興行収入と映画としての評価はまた別の話だよ
amazonで書評みてみるといい
多くの人が自己弁護に嫌悪感しめしてるから
自衛官の死について言えば、現代的な感覚で言って、あるいはこの映画で言っても、間接的というよりも、
むしろ直接的だと思った。
「梅山くん、事を起こす時には俺だけに取材させてくれ」
と、事件前に武器を目の前にしながら言っている。その後の腕章の件と合わせて、充分共犯、もしくは教唆、幇助が
成立すると思う。そういう現実の刑事罰とは別に、マスコミが直接煽っていると感じた。私は。
だから、その点を「美化」する必要はない。そもそも居酒屋のラストシーンは全くのフィクションだから、
その点で、作り手の原作(舎)への批判的な姿勢は充分伝わる。
やはり、問題は前半で沢田に感情移入しにくい点だと思うけどなぁ。
ただ、そういう問題点があっても、私としては充分楽しめたし、山下監督の力量を改めて感じた。
リンダリンダリンダのコメンタリーとか聞くと、この監督と脚本家は「反省」が得意なのだと思う。
今回のコケ方を見て、反省した後の次回作が楽しみではある。ただ、このコケ方は少なからず、
次回作のあり方に影響を与えるようで怖い。
「興行収入と映画としての評価は別の話」というのは、同意も反論もしない。
確かに沢田が梅山にどうしてあそこまで傾倒したかという描写はちょっと足りない気はする
そこが沢田に感情移入できない原因の一端かもしれない
かなりのチラ裏だけど、今気がついたことがある。
以前から、山下監督の映画を観ていると,AKIRAを描く前の大友克洋氏の漫画の作風に似ていると思っていた。
「HIGHWAY★STAR」という単行本の「ハイウェイスター」という作品なんかを読んでもらえれば、
この感じはわかってもらえると思う。間の取り方とか、笑いのセンスが近い。
加えて、大友克洋氏の画力は当時から群を抜いていた。にもかかわらず、絵の印象が「白い」。
この「白い=空白が多い」というのは、単行本の後ろで評論家が書いていたことだけど、なるほどと思った。
画力があるけど、絵の印象が「白い」というのも、何となく山下監督に似ている気がしていた。
だから、半分本気で、いつか山下監督にはSF映画を撮ってほしいと思っている。
で、突然先程思い出したのだが、その「白い」と書いていた評論家が川本氏だった。
今まで忘れていた。そう思って、上の単行本をチェックすると「初版1979年」と書いてあった。
「ああ、タモツの店で涙した年だ!」と思った(バカ)。
なんかコケた理由でどうこう言ってるけど
学生運動っていうだけで客は入らないんだよ
そこんとこ勘違いしないでね
ドラマでも学生運動扱うと視聴率悪いでしょ
この映画は一部の評論家に強い支持を受けてて
絶賛レビューも書かれてたりするけど
「いくら勧められても見る気にならない」そういう題材なんだよ
コアな映画オタクは興味持つだろうけどそれだけ
まあ内容が素晴らしかったとしても、題材的に客が入る映画ではないわな
松ケンと妻夫木目当てでいった客はさぞかし肩透かし食らったことだろうw
そんなに感情移入しにくい作品かな?
自分はラスト沢田が泣く前に泣いたよ
>>756 私もフライングした。タモツの「あれからどうしてたの?」の後の
「山谷にでも行ってたの?」で決壊した。
「あれからどうしてたの?」で、一瞬タモツは沢田が雑誌記者であることを知らされていて、
それで「あれから、(仕事)どうしてたの?」と聞いているのかと思った。
で、その後の「山谷」で、「あぁ、タモツは沢田を自分の仲間だと思っているのか」と理解できた。
そして、色々あった沢田に以前と同じように語っているところで泣けてきた。
>>751 沢田の前だけでは「惹かれてもしょうがないほど魅力的な人物」として
梅山をえがくとかね
で見ているほうは梅山の裏の顔や素を知っているとすれば
でも映画では1万円という大金ちょろまかされたりしてるでしょ
これは原作にはない創作
しかもそんなことされても沢田は梅山に対する態度を変えない
アホちゃうかという感想しか出てこないw
正直言ってなんでこんな作り話をねじ込んだのか理解できない
恥ずかしい話だが、あの「一万円」のエピソードの前後をよく思い出せない。
仮に、京都の梅山に会いに行く前だったら、あの一万円が旅費なのかなと、後から思った。
760 :
759:2011/06/07(火) 13:00:09.75 ID:qMSTQiR6
×梅山
○前園
キネ旬がこの映画の特集号組んでる
川本さんの文章も出ていた
>>759 京都よりけっこう前のはずだよ
オレも京都のシーンで、よく2人分の旅費があったなあと思った
>>747 コケコケうるさいなぁ
山下監督がどんだけヒット監督なんだよ
松ヶ根やリアリズムの宿の興収いくらよ
リンダリンダが例外で万人受けするヒット映画作る監督なんて認識元から無いし
この人の作風が好きな人が見て評価が高い監督だろうに
言いたいことも判らなく無いが一人で連投に長文いい加減しつこいよ
書き忘れ
今回はキャストもあって間口も広がったし題材も題材だから
批判も多いのはある意味当然だといいたかった
コケコケうるさいのは、監督の過去作の天然コケッコーとかけてるからに違いない
まあ先週2700万、今週1400万とまったく口コミがない状況だしなあ
767 :
名無シネマ@上映中:2011/06/07(火) 15:41:08.29 ID:JO2L7jCk
この映画を観てのいごごちの悪さは、どうして沢田(川本三郎)が梅山(菊井良治)に巻き込まれたのかが理解不能という点につきる。
それは山下監督も向井氏も菊井良治に取材していないという一言に尽きるね。
もう出所してるんだから、見つけ出して、「あの事件とは、いったいなんだったのか」を問いただしてもらいたい。
きっと滝田にも取材しないんだろうなあ。
それでリアリティなんて出せるはずがない。
だせるのは・・・川本氏の自己憐憫のみ!
あっ、それでよかったのか・・・。
「最後沢田が泣く理由がわからない」っていう書き込みを見てたから、
観る前は自分なりに感情移入できるか不安だったけど、実際見て感じたのは、
自分がカラッポの人間だって気づいたからのような気がした。
タモツにも本当の自分を見せず、梅山にも同化しきれず、
それをジャーナリストとして描く基盤も自分には無い、っていう。
>>767 >この映画を観てのいごごちの悪さは、どうして沢田(川本三郎)が梅山(菊井良治)に巻き込まれたのかが理解不能という点につきる。
>それは山下監督も向井氏も菊井良治に取材していないという一言に尽きるね。
いや、沢田が巻き込まれた理由は単純に川本氏の問題で菊井は関係ないだろ
ただそれについては原作でも「文学的興味」とかいう微妙な言い方しかしてないし
映画が何かを掘り起こすとすればそこだった気もするから残念ではあるけどもね
ツイッターで菊井に関しての噂がちょろっと拾えたりする
スパイ説とか
「Kには公安のスパイ疑惑があった、ただ日大全共闘の活動家には
Kに何かしらの弱みを握られ、彼の出所に動揺する者もいたと聞く」
こんなのとか
ツイッターでもいろいろ面白い感想が飛び交ってるけど
自分が気に入ったのはこれ
「これって大人エレベーターの映画化だよね?」
加齢臭がキツい香具師ほど長いレスを書くのな。日中ヒマなんだろうな。
最近2ちゃんねるというものを始めたのでカキコしたくてしょうがないんだろうな。
香具師なんて使うやつ久々にみた
シリアスなクヒオ大佐みたいな映画
つーか原作知らずに言うのも何だが、川本氏はスクープ記事貰った!と思ってつきあってただけでしょ
もう世間的にも時効だし認めたら良いのに、「もっと複雑な人間」で居続けたいだけじゃないの?
776 :
名無シネマ@上映中:2011/06/07(火) 21:27:27.18 ID:JO2L7jCk
福井惇『1970年の狂気 滝田修と菊井良治』読んだよ。
「マイ・バック・ページ」に載っていない(川本氏が載せたくない)事件の本当の姿が読み取れる。
映画の視点に近いかも・・・
>>775 原作では川本さんとKは映画と違ってもっと距離があるよ
>>767 細かく見てりゃ分かるのだが、最初のほうで沢田が
取材者としての(一般的な)事件からの疎外感、当事者感覚のなさについて語っている。
まあ一般に分かりやすい感覚ではないだろうが、そういう感覚にさいなまれてて
更に理想に燃えて就いたはずの職業の現実のしょーもなさにぶつかって
悶々としてるときに、梅山が現れた。
そこで、これこそが俺の事件だ!俺はいま事件のまっただなかにいる!
と思いこんじゃったわけだ。それで「俺の事件」にのめりこんでいく、という図式と理解した。
これは功名心とは違うし、梅山自身に魅かれたわけでもない。
まあ一般に分かりやすい感覚とは到底言えないので、
>>758が言うような、梅山そのものに魅かれてgdgdgになった話にしたほうが
一般的には分かりやすいし、腐女子などの客層も獲れるので
たぶん興収ももうちょっと上げられた。
菊井もシャバに出てから、普通にそのへんにいるようなオッサンとして
暮らしてたりしてるのかなぁ。過去は封印して。
忘れられていた存在だったのに、映画化で一気に注目を集めるようになってしまって
彼はどう思ってるんだろう。
>>777 原作未読なんですが、そうなんですか。
原作ブックレビュー読むと、
川本氏はKを個人的に大好きになったゆえの結果でありそれを川本氏自身が認めていないのであきれる
という感想もあった。
映画では沢田の表情から警戒心が感じられて、行動とチグハグな印象を受けた。
ここで知った事ですが、安田講堂から沢田が逃げ出しすシーンを入れていれば
梅山をかつての自分自身と同一視て共感することに見せる事ができた思う。
原作読んでないけど
原作通り二人の関係に距離があったら映画としては更に淡々として退屈になりそう
>>780 どのインタビューか忘れたけど山下監督は
「映画では二人の距離を近づけた」と言ってたよ
時間のあるときに立ち読みでもどうぞ
>>780 >安田講堂から沢田が逃げ出しすシーン
製作費かかるから却下
>>783 金はかからんでしょう
安全なところから見ているだけのアルバイトだったから
見ているだけなのがつらくて帰りたいと先輩記者に言ったら
「苦しいからといって見るのをやめたらジャーナリストにはなれないよ」
と諭される
でも結局帰ってしまうんだな
>>779 菊井なら自慢しながら、またほら吹きまくってるよ。
「おれはホンモノだ〜っ!」って
監督は菊井を取材してないのに
梅山はモロ菊井を表現できてたってこと?
>>778 梅山を超イケメン設定にしておけば簡単だったかもw
「なんで惹かれたんだろね?
「顔じゃね?」」
実際の菊井はチビブサだけどなーw
梅山を信じたのは
信じたかった、自分も本物になりたかったのと
雨を見たかい?を歌われたからで十分でないの?
ミーハーはああいう攻撃に弱い
更に疑ったときのダスティンホフマンの涙攻撃w
東大卒だけど、本質を見抜けないタイプなのを感じているから、あの女子高生に憧れるしコンプレックスも感じてる
それと同じこと言われたら落ちるよ
身につまされる映画だったわ
女が言った「泣ける人が好き」という台詞を
偶然梅山も言ったからじゃないの?
東大卒の人たちがオウムに入信しちゃった構造と多分ほとんど同じだろうね
権力に近いところにいる人は、社会変革を自分の手でやりたいという欲求が強い(人が多い)。
それ自体批判すべきことではないが、ある意味で、官僚になるのも、学生運動に身を投じるのも、
オウムに入信するのも、「権力志向」ということで同じ類型で捉えることもできなくはないと思う。
まぁ、そんなに単純化すべきではないとは思うし、沢田は少し違う気もする。
むしろ「梅山」のほうにオウムに近いものを感じるけど。
最初の、沢田の先輩の中平が初登場する場面だけど、少し疑問がある。
たぶん、テレビに映っていたのはアポロの月面着陸で、それを記事にするために会社に残っていたのだと思う。
居眠りしながら見ていた。それは「東都ジャーナル」に配属を希望していた沢田の、現状に満足していなという気分を
表していたのだと思う。それは、わかる。
ただ、アポロの月面着陸って、結構ジャーナリスティックというか、センセーショナルなことではなかったのだろうか?
それを、たとえ「週刊東都」とはいえ、ひとりで居眠りしながら会社で見ているという図に違和感を覚えた。
中平もまるで興味なさそうな感じだったけど、もう少し興味を持ってもいいのでは?と思った。
ところで、東大全共闘の「唐谷」は評論家の「柄谷」行人から来ているのだろうかと思っていたけど、
柄谷の本名は「義男」で「唐谷」の役名が「善朗」だったのね。これは確実だね。少し笑える。
>>788 そういうふうに感覚でわかる人ならいいんだけど
何しろ山下&向井がそこんとこわかってなくて撮ってるからなあ
「川本さん優しすぎるよね、どうして信じちゃうんだよ」とか
インタビューで言ってるでしょ
梅山のことも「人たらし」と位置づけてるけど
演出のせいで見た人の反応は「不気味」とか「気持ち悪い」とかが多い
「ダメすぎてほっとけない」タイプまでいっちゃえばまだよかったんだろうが
原作のスクープが欲しさという糸口からアプローチすればよかったんだよ
「入社3年目のペーペーが大きなネタを扱えるかもしれない興奮」と
原作にはっきり出てくるんだよね
ジャーナルの回収事件、2週にわたる休刊、有能なベテラン記者たちの左遷、
弱体化した編集部に放り込まれたおよそ政治向きでない未熟な記者が
焦りと気負いからまがい物に目がくらんで失敗する
原作をこっちから読み解けばわかりやすかった
>>793 スクープ欲しさというのをもっと強調しても良かったかもしれないが
映画では沢田はいろんな事に無自覚で
最後にいろいろ自分の浅はかさに気づいた事で
涙のシーンが生きたとも思う
あと梅山が人たらしという説明がどういう意味で言ってるのか知らないが
観客が見て不気味なのは沢田の知らないいろんな面を見てるからでもあるし
彼女とのやりとりはこいつ女たらしだなと思って見てたよ
ああいう男に騙される馬鹿な女って一定数はいるんだよね
スクープ欲しさを強調したとしても、最後のシーンを生かす方法はあるだろうし、
むしろ、いろんなことに無自覚で、みたいな理由だと、最後の涙も「自業自得じゃん」
「自己憐憫でしょ」となって白けてしまう危険があるし、実際、そういう感想をよく見るし、
客が入っていないところを見ると、やはり、最後のシーンを損なう結果になっているのだと、
私は思う。
>>793 >何しろ山下&向井がそこんとこわかってなくて撮ってるからなあ
>「川本さん優しすぎるよね、どうして信じちゃうんだよ」とか
>インタビューで言ってるでしょ
「どうして信じちゃうんだよ」は原作の読後感と一緒で川本氏の煮えきらない点の一つだから
あえて後付のアレンジを加えなかったんだなあと思った
だから解釈不足というわけではないと思うよ
>実際、そういう感想をよく見るし、
そうなん?
結構ネットでいろんな人の感想読んでるけど、
あの最後のシーンを否定してる感想って殆ど見かけないんだけど。
798 :
名無シネマ@上映中:2011/06/08(水) 12:54:59.70 ID:MZSnXYry
この映画の製作者に、あの当時の闘争をまだ総括したくはないという思いがあって、それがむし
ろ中途半端さになった原因と思います。原作者の川本においては、この後の足取りを見ることで
彼がどう総括したかは掴める。記者を辞めた後、街路や呑み屋街の探訪を書いていく、そこには彼
がこの後、愛していったものが何だったか、感じ取れるわけである。一切歴史に名前を刻むことの
ない無名性に彼が価値ーというより、価値とも呼べない価値ーの源泉を見るようになった。それ
は川本のこの後の足取りに出ている。しかし、この映画製作者は、この川本の感性をそのまま採用
することはなかった。何故採用できなかったか、が問題で。それがこの製作者側の不徹底だとみる
。不徹底さがどこか中途半端さになってしまった。
799 :
名無シネマ@上映中:2011/06/08(水) 13:05:53.81 ID:MZSnXYry
続けると、この映画の座標軸を設定するとすれば、梅山-沢田の二名に、最初と最後だけ
現れるフーテンを入れるべきである。梅山は歴史に参加し、名前を残すことを渇望する、
そのためなら全てを道具にする。政治的情熱のいち典型である。これに対置されるのは
沢田ではなくあのフーテンなわけ。ヤクザの子分やったり、でも足を洗って結婚し、家庭
をもち、居酒屋をやり、梅山のような、歴史に参加したがる権力志向とは対極にある。こ
れの意味がもっと映画のなかで掘り下げられたら良かった。
>>796 いやそこんとこを解釈してすっきりさせて映画に立ち上げてないから
「沢田が梅山に惹かれた理由がわからない」
この映画の欠点として挙げる人が少なくないのはそのせいでしょ
完全な創作パートで梅山のダメっぷりをあそこまで表現しているからなおさら