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310もろネタバレ
沢田の涙についてだけど、

当時の学生運動の目的を乱暴かつセンチメンタルに単純化すると「資本家に搾取されて、社会の底辺で
生きていかざるを得ない労働者のために、我々学生たちは戦うのだ!」ということだと思う。

そういう利他的で自己犠牲的なメンタリティがあったから、沢田などのマスメディアも心情的に左翼運動に
シンパシーを感じていたのだろう。

ただ、現実にはテロや内部抗争など、「理想」のためには他人の生命を奪ってもかまわない、
という思想に行き着いた。沢田も赤報軍の一報を知った直後は、犠牲者のことなんか頭になく今
興奮気味に前園の電話を受けているし。

表紙モデルの女の子に「運動にはどちらかと言えば賛成だった」「でも、今回の事件は嫌な感じがした」
と言われて、ようやく自分の欺瞞性に気がつく。沢田が業界の人との飲み会を断り続けているのは、彼なりの
贖罪なのだと思った(川本氏が実際どうかは、関係ない)。

で、最後少し躊躇した後、居酒屋に入る。そこにいたのがタモツ。タモツは、「搾取された労働者」
「底辺で暮らす者」の最下層にいる人間の象徴。それは最初に、商売物のウサギを(沢田が)ダメにしたせいで
上の人間にボコボコにされているところで明確に描写されている。

そのタモツが店を構えて、結婚して、子供までいる。色々あった沢田に、
「あれからどうしてたの?山谷にでも行ってた?」と昔と同じように接してくる。

それだけではなく、「あの背広、本当はお前にやろうと思っていたんだ。」
「お前、ジャーナリストになりたいといってたでしょ。」と言われる。

つまり、自分たちが救おうとしていた社会の底辺に暮らすタモツこそが、しっかりと
社会生活を築いている。その上、実は彼のほうこそ、保護者的な視線で沢田を見守ってくれていた。
それを知って、本当に自分の罪を理解したのだと思う。それで涙があふれたのだと私は解釈した。

最後、沢田が画面に映って、他の客とタモツとの会話が音声だけで続く。ここは、結構長かった気がする。
ただ、あの長さはなかなかよかった。居心地の悪さと居心地の良さが同居した沢田の心情に観客として同化できた。