>>211 「死んでも思いは生き続ける」というテーマなのでは?
あくまでも「ファンタジー」であることを前提に書くけど
・心臓が動かなくても町子先生への思いだけで生き返った
でも「両思い」になった陽人は、再び肉体の死を迎えるが、
「両思い」を達成してしまったので生き返ることはなかった。
・首なし彼氏は、心臓が止まってる(半分死んでる)陽人だからこと見える存在。
靴は三途の川に片足つっこんでるメタファー。
または首なし彼氏=死の使者
・町子は陽人を死んでもなお心の中で生き続けていると確信。
それは脳みそを囲んだシーンで陽人の歌が聞こえていることでも分かる。
それを確信した町子は、陽人の肉体の破片には特に意味はないんだと悟って熊に食わせる。
ここでニヤリとしたのは、町子の食物連鎖的な理系的思考が満たされたと同時に
首なし彼氏の時の異様なまでの執着とは違って
陽人の死という事実にはしっかりと向き合えてる自分への自信とか喜びなのかな。
>>211のように理詰めで映画を観るような人には
この映画はつまんないんだろうなって思う
これが答えってのはなくて、いくつも答えが出てくると思うよ
でも答えがないわけじゃないよ?
そういう映画があってもいいんじゃない?
私はナルとは思わなかったけどなあ
自分の世界に酔ってるというより、自分を出しきっちゃってるって感じ?
確かに外の世界に迎合してないけど、いやな感じは無かった