つわりも知った春菜はヒロユキとうれしそうに話二人の話をどちらの両親を信じない。逆に妊娠やツワリを楽しんでいるように描かれ
ている。40年以上の昔の子供でも小5になればセックスも妊娠も出産もコンドームも私たちの時でさえ小4の時は教えられなくても先輩たちの話やい
ろいろな大人の話から入り知っていた。昔の小学校5年生の子供たちでも自分の妊娠を知れば大ショックを受けていただろう。今の小学生も同じで小5
で妊娠を知ると「14才の母」の未希な何倍もの大きな、ひどいショックを受け学校にも行けなくなるはずだ。小学生の妊娠は中学生の妊娠な何倍も衝
撃的で大ショックを受けるはずだ。しかし「コドモのコドモ」の春菜はまったくショックも受けていない。ヒロユキと普通道理に話している。とまどい
もない。どちらかというと高校生の朋子の妊娠の時のほうが逆に噂れて噂になり騒動になるように描かれており、一番衝撃的な週刊誌のスクープにもな
る衝撃的な小学生の妊娠、春菜の妊娠は全く騒動なしに物語は流れる矛盾点がおおくあり現実離れもひどすぎる。小学校5年生の出産は「14才の母」
の中2以上に超深刻な問題で大ショックで衝撃的な問題なのだ。子宮の大きさも成人女性の5分の1しかない10才の春菜は出産危険リスクは「14才
の母」の未希の何倍も高いのだ。「14才の母」のような深刻さが全く描かれてない。現実性がない「14才の母」はテレビドラマだけに精密に作られ
性的な用語はできるだけ避けで性的用語は遠回りして教えていた。事実ドラマではセックス、ペニス、コンドームという言葉はでき来ない。しかしコン
ドームは避妊に大切なことは智志の虐めの場面でコンドームくんの絵を描かれ、虐めっ子の言葉からはっきりと伝わった。「コドモのコドモ」はさそう
あきらさんはこれは漫画の世界である感覚で描いており、漫画をそのまま映画化してもSFや「狼少年ケン」の世界になり、まったく討論にもならないし
「命の大切 クラスの団結力」を伝えるには逆効果になってしまうのだ。良く研究されていた「14才の母」でさえ脚本が弱すぎるとまだ避難が続いて
いる。「コドモのコドモ」は「14才の母」と違い映画自体が非現実的で致命的な無理な設定もあり大きな非難が出るのは確実だが作品の非難よりも性
の対象が今度は小学生に移り