10才の母甘利春菜コドモのコドモ

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41名無シネマ@上映中
赤ちゃんは成人女性のようには産めない。春菜の場合はいくら安産で来ても、未熟児になる。2500g以下の新
生児でさえ小児科医の治療が必要となるのだ。小児科的な治療は子供たちにはできない。素人の手には負えなくなるのだ。本当の現実では、このような
古い小屋では冬の能代市では子供だけでは出産させるのも子育ても無理だ。子供も赤ちゃんも凍死してしまうのだ。このような映画を日本中の多くの小
学生が多く見て本当の世界と錯覚した場合が怖い。おばあちゃんは春菜に「人の体はうまいことできているもんじ
ゃよ赤ちゃんを産めない体に赤ちゃんはできんよ」というおばあちゃんの言葉にも無理がある。小学生に友情を教えるならスポコン映画のほうがいいま
た子育ては明らかに無理がある。同い年の5年生の身無子が困って春菜の小屋に住み5年1組の学級の子供達に世話をしてもらう話なら、ある程度、無
理なくドラマは作れるがたとえ5年生の同級生の身無子の世話でも冬の能代市では極寒地獄となり無理なのだ。まして赤ん坊の世話は果てしなく無理だ
。ジェンダーフリーやフェミニストたちは早期性教育こそが性を正常化させると主張するが今の日本は性教育は大失敗して大変な状態だ。性教育の大失
敗に加えて「コドモのコドモ」は映画なので「14才の母」とは比べ物にならない過激な性描写に自然になっている場面は多くある。「コドモのコドモ
」は分析すればするほど。小学生の純真な心を破壊して人格破壊をおこさせ性の対象を中学生から小学生におろさせてしまい小学生の性を晒してしまう
怖い映画だ。「コドモのコドモ」は「14才の母」のように「親子で性について考えてみませんか」は通じない。多くの保守系の学校が大半を占めてい
て大きな反発が起きる恐れもある。また「命、友情、子供の成長」はこのような形では伝わらない。危険なばかげたゲームをやる子供達の姿は映らない
。「命の大切さ」なら動物物語「マリと子犬の物語」のほうがはるかによい。友情や子供の成長を見るなら「巨人の星」や「アタックNO1」のスポコン映
画のほうがはるかに小学生には伝わる。「コドモのコドモ」は完全な駄目作品になっている。リアル高校生からリアル中学生今度はリアル小学生へと性
のハードルを下げようとしている