10才の母甘利春菜コドモのコドモ

このエントリーをはてなブックマークに追加
20名無シネマ@上映中
春菜、ブタマン、ミツオも生田目医師が生まれる時にとり出していた。ここで病院に向かう朋子が登場して場面は変わる春
菜は遊んで帰りに朋子と入れ替わるミツオは母と自分たちが作ったカレーを食べるが面白いカレーになってた。生田目医師は飲み屋で肛門科医師と話を
しているがウーロン茶である「難しいお産がこのところ続きいつ何が起きるかわからない今日も一人の出血の多い患者がいる」ケータイに電話がかかり
生田目医師は飛んで帰る。春菜はGジャン忘れ病院で朋子と会ったことを話すと秋美は朋子は中絶の病院は生田目病院に決めたことに気付く。春菜も中
絶手術をミツオのお父さんが行うことに驚く。生田目医師は出血の多い患者を無事出産させ落ち着くが春菜はGジャッジを取りに行った時に生田 目医師
の手からGジャッジを渡され子供を取り上げる手と途中で子供の命を断つ二つの手であることに気づく。出産シーンは「14才の母」のように妊婦の苦
しみも「コドモのコドモ」は見せていない。産婦人科医は出産だけでなく中絶手術もできることは「14才の母」のほうが鮮明に描かれている。朋子は
中絶の道をあっさりと選び「14才の母」のような「産むか産まないか」の葛藤もない。これは後で春菜の出産のインパクトを上げるための演出としか
思えない。友だちの中絶に12万円もお金貸す秋美もおかしいが、これはありうることだ。この高いお金を貸すことが、秋美と朋子からどういう友情が
生まれるのかも描かれていない。朋子は中絶を終えると役目を終えたように物語から姿を消してしまうのだ。ここではいくらか出産の危険リスクが出て
いるが「14才の母」のような具体性がない。小学校5年生の出産は帝王切開でもかなり危険だ。「14才の母」以上に厳しい出産になるのが本当だ。
能代市の冬は厳しい極寒地獄となり。出産不可能である。しかし春菜は子供たちの手だけで普通に安産してしまい子供だけでしばらく子育て不可能な能
代市の冬の小屋の中で子育てと世界でもケースがないことをドラマ化している。多くの設定の無理は非難が出ても弁解できない。漫画で止めていればい
いが映画化したので急激に「14才の母」以上の問題になった。話はSFとなり討論にもならない。マイナス6度C以下、体感温度マイナス20度しかの
能代市の冬で暖房施設もなく