ターザン山本のシネマイッキ塾

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36名無シネマ@上映中
映画「クライマーズ・ハイ」を見た。1985年の日航機墜落事故を描いた話。地元の地方の新聞社が舞台である。

 その新聞社のワンマン部長から突然この現場の総指揮、全権をまかされた男が主人公である。

 そこから彼の死闘、デスマッチが始まる。まず上司とはお互いの立場上プライドと嫉妬がからんだ激しいやりとり。

 そして部下との感情的対立や広告部や販売部との衝突などである。男はみずからの新聞記者魂を爆発させて独走していく。けわしい絶壁の岩登りにいどむ人間のことをクライマーズ・ハイという。

 彼の場合は当然、新聞記者として特ダネを取ろうというスクープ・ハイにおちいる。精神がハイになるのはいずれもそこに必ず自己陶酔という名のヒロイズムがある。

 まさしくこの主人公がそうだった。正義感と使命感に酔っている。それを支えているのが仕事人としての徹底した妥協なきプロ意識である。

 そこで私が注目したのは絶対的権力を見せつけるワンマン社長と彼の力関係だ。社長は車椅子生活、秘書の女性に平気でセクハラをする助べえ親父。

 ある時、紙面の件で社長に直訴すると簡単に無視され、挫折感を味わうシーンがあった。私が彼ならその瞬間、車椅子の社長に向かって「ふざけるな!」と叫んでドロップキックをぶっ放す。

 あの手の社長はできる社員をそうやってわざと試そうとしているからだ。遊んでいるのだ。彼を大抜擢したこと自体がもう社長の退屈な遊び心である。要はそれで面白がっているのだ。

 「敵は本能寺にあり」を言うなら「敵はワンマン社長にあり」である。局長や先輩記者とは一歩も信念を曲げなかった男が、なぜ社長には自分を曲げてしまったのかである。 

 私からするとあの主人公は負け犬だ。敗北者である。社長? 関係ないよ。現場が社長に負けならジャーナリスト、新聞記者は終わりなのだ。絶対に現場は権力に勝たなければならないのだ。