ターザン山本のシネマイッキ塾

35名無シネマ@上映中
アチャーである。日記にも書いたが、今週の土曜日にやる“シネマイッキ塾”の課題映画は「告発のとき」である。

 上映中、9割以上、私は寝てしまったのだった。これにより、私はダチキン先生と同じく、この映画を2回見るハメになった。

 いやあ、もう一度見に行くとなると大変だ。最後のシーン、15分ぐらいは急に目が覚めて見てしまう。アチャー、この映画の結論がそこにみんな出ていたのだ。

 私は映画を見ないで映画の“答え”だけ盗み見したことになる。はっきり言って、これはまずいよ。サスペンスとスリラーが魅力の映画の結論(答え)だけをみてしまったのだ。

 これは明らかに反則である。映画のラストシーンしか見ていないのは、映画ファンにあるまじき行為。映画の神さまから天罰を食らいそうだ。

 それを見た限りでは、この映画は「ノーカントリー」と同じだった。アメリカ社会に救いなしである。特に、古き良き時代を生きてきたオールド世代、親父世代にとっては、もうそこにあるのは無力感だけだ。

 その代表がトミー・リー・ジョーンズというわけである。この俳優には古き良き時代のアメリカがいっぱい、その頭と身体の中につまっているのだろうか?

 その視点に立って今のアメリカ社会と若き世代に目をとめると、もうこの親父には絶望しかない。そうしてトミー・リー・ジョーンズは額にしわを寄せた表情をみせる。

 そういえば「ノーカントリー」にもトミー・リー・ジョーンズは出演していた。

 あ~あ、救いのないアメリカなんてどうでもいいよ。よその国、イラクに戦争を仕掛けていくアメリカは、それこそが大国のエゴイズム。正義とヒーローを気取ったお仕着せのエゴイズムしかない。こんな映画をまた見に行かなければならないとは、ホントにアチャーだ。