【唖然・呆然】宮崎吾朗(ゴロー)のゲド戦記15【原作者激怒】
3 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 00:32:01 ID:pURzIBnj
http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html 2005年8月、スタジオジブリの鈴木敏夫氏が宮崎駿氏と一緒に、私と私の息子(Earthseaの著作権を持つトラストを管理している)と話しに来ました。
ハヤオ氏はフィルム・メイキングからはリタイアしようと思っていること、そして、その家族とスタジオはハヤオ
氏の息子、ゴロー―今まで全く一度も映画を作ったことのない―にこの映画を作らせたい、という説明をされまし
た。私たちは、とてもがっかりし、不安になりましたが、こう説得されました―勿論絶対に[indeed assured]、
この企画は常にハヤオ氏の認定のもとにすすめます―。この了解によって、私たちは合意をしました。
それから、映画の企画はものすごい速さで進んでいきました。私たちはすぐに、ハヤオ氏は映画のどの
部分にも全く関わっていないのだと気付きました。
私は太平洋を越えた両サイドでのこの映画作りに怒りと失望が伴ってしまったことを残念に思います。
[I am sorry that ― 申し訳ない、残念、悲しい ― 一致する日本語がみつからない。 ]
私は、ハヤオ氏はリタイアなんて全然しておらず、今は別の映画を作っているところだと聞きました。
これは私の失望に追い討ちをかけました。私は、そんなことは知りたくなかった。
ゴロー・ミヤザキさんは、私が帰ろうとした際に聞いてきました。「映画は気に入りましたか」
これは簡単に答えられる質問ではありません、この状況では。
「はい。これは私の本ではないです。あなたの映画です。いい映画です」
そのほとんどは綺麗でした。しかし、この急いで作られたアニメーションからは、多くの陰影がカットされていました。
「トトロ」の微細な正確さや「千と千尋の神隠し」の力強く輝かしい豊かな細部はありません。
イメージは効果的でしたが、大抵はありきたりです。
そのほとんどには興奮させられました。この興奮は主に暴力からくるもので、
この本の精神からは全く間違っていると私が考えたほどです。
そのほとんどには、思うに、矛盾がありました。これは、自分の小説と同じ名前をもちながら、
全く違う気質や生い立ちや運命を持つ登場人物が、ややこしく演じる全く別のストーリーを見ていながら、
自分の本のストーリーを見つけてたどろうとしたせいもあるでしょう。
4 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 00:33:55 ID:pURzIBnj
鈴木「立て、鬼ごっこは終わりだ。終点が社長室とは上出来じゃないか」
シータ「これが社長室ですって?ここはお墓よ、あなたとあたしの。
宮崎駿が滅びたのにジブリだけ生きてるなんて滑稽だわ。
あなたに五郎は渡さない。あなたはここから出る事も出来ずに私と死ぬの。
今はジブリが何故滅びたのか、あたしよくわかる。
どんなに恐ろしいマスコミをつかっても沢山のかわいそうなアニメーターを操っても
宮崎駿から離れては生きられないのよっ」
鈴木「黙れ!ジブリは滅びぬ。何度でも蘇るさ!ジブリのコンテンツこそ、人類の夢だからだ。
次は耳だ ひざまづけ!命乞いをしろ!駿から五郎を取り戻せ」
鈴木「君は宮崎駿を父親か何かだとカンチガイしてはいないかね?
かつて駿はそのおそるべき画力で東映にあり、
業界中を支配したアニメの帝王だったのだ!
そんなものがまだ信州の山奥に彷徨っているとしたら
ジブリの経営にとってどれほど危険な事か・・・君にもわかるだろう?
吾朗「・・・・・・。」
鈴木「私に協力して欲しい。
駿のやる気を引き出させる言葉か何かを君は知っているはずだ。」
吾朗「(ゲド・・・ゲド戦記・・・)」
パロマ=ジブリにならなければいいが。
まず退場しなければならないのは、
無能な同族経営者と志の低いお追従者。
しかし罪のない従業員と天才は無傷で守らなあかんというのが難しいところ。
ところで吾郎君はホンマにアホでしたね。もすこしまともだと信じたかった。
鱸Pは、物語の理解も視野も狭いとしか言いようがない。
どういう歳のとりかたをしたんだ?
「子供たちに無限の善意を」というジブリの志はどこにいった?
これではまるで詐欺だろう?
そんな志って最初はあったの?2ちゃんみてるとなにがほんとかわからん
原作者は1巻と2巻の空白期を描いた話を映画にすることを薦めたんでしょ。
そうすれば映画が正史扱いになれたのにねえ。
…ってとんでもなくひどい出来だったら、それが正史扱いになるのはまずいか。
パヤオが制作に関わってると信じてたからでしょ。薦めたのは。
結局、映画作りが制作には素人なプロデューサーとド素人監督・・・正史どころか黒歴史w
>7
原作を理解してりゃかけるはずだぞ。
2巻以降に空白期になにをしてたかは回想や会話のなかに出てくる。
私が描いていない部分を、自由に描いていいよ。
と原作者が提案するなんてすごいことだよ。
駿に監督やらせたくていけなかったんだな、グイン女史。
その提案を受ければよかったのに。
それを蹴って息子に適当な映画つくらせるなんて、駿は
本当はゲドのファンじゃないんだろうと思う。
女史は、本心では
これぞと思った人に自分の作品を映像化してほしかったんだと思うよ。
それがハヤオだった。
可愛そうにごろーのゲドが興行収入が高いっていっても
嬉しくないだろうな。
あの映画見て、原作もこうだって思ってる人のが多いもの。
12 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 12:08:29 ID:ahNsH3mK
ゴローちゃん、グインおばあちゃんに酷いことしたよね(´・ω・`)
早くごめんなさいしなきゃね(´・ω・`)
女史、かわいそうに。
自分が生きてる間に自分が見込んだ人物に
納得できる映像を見せてもらいたかったのだな。
ハヤオは今の映画やめて、ゲドを作ればいいのに。
いろんなアイデアをもらってるんだから
それくらいしてもばちは当たらないぞ。
14 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 12:14:19 ID:p4Fwvw46
「長編を作る体力がない」と言ったつもりだったのが
「映画を作る体力がない」という風にノイズが入って伝わったんだろうな
>>1 おもったんだが博物館じゃなくて
名称的には美術館だよね?
なんで博物館?
結局長編作ってるんだから同じこと
17 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 12:33:50 ID:enPVMXHb
この映画ってパヤオが20年前にババぁに断られた腹いせじゃないのか?w
18 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 12:35:09 ID:p4Fwvw46
体力面と
「今までの作品を作る中で自分なりに「ゲド」を咀嚼してしまった
自分が今作る意味があるか」
って部分もあったろうけどな
駿氏が現在作ってる長編の情報ってどこにあるの?
岡田斗司夫の話によると
駿が映画化を申し込む→失礼な態度で断られる→駿が賞を取る→グイン、掌を返して映画化を申し込む
の流れらしいが、別の話によると、
駿が映画化を申し込む→断られる→グインが実際駿の作ったアニメを見て気に入る→その話を聞きつけた鱸が再び映画化を申し込む
→OKが出る
上のパターンならどっちもどっちの印象は拭えないが、下のパターンなら・・・
いや岡田の話も下のパターンとほぼ同じだろ
文脈でみれば
「失礼な態度」については面白おかしく誇張して見せてるだけだろ。
「申し込んだ」「断った」等の事実以外の脚色部分は信用に値しない
岡田は日本アニメの海外における影響力を過大評価させる方向で
誇張表現をするから信用しない方がいい
これはネタでもなんでもなくて、岡田本人が公言してたこと
ゲドの荒涼感・寂寥感は駿なきあとのジブリそのものだなあと感じた。
ゲドは母を訪ねて三千里の劇場版に似ていたと思うのは俺だけだろうか
あの安っぽい絵というかジブリらしくない浮いた雰囲気
OVAみたいだった
宮崎・高幡の抜けた後の名作アニメみたいだね。演出・作画が形骸化してる。
>>20 下のパターンではないよ。
上のパターンでもないけれど。
岡田の暴露の方は、トークショーの中でのことだからオモシロオカシク誇張しすぎ。
>>21 下のパターンじゃ鈴木のほうから原作者にコンタクト取ったみたいじゃん。
そうじゃなくて
二十数年前宮崎が映画化させてくれとお願いする
宮崎のこと、日本のアニメの事は全く知らなかったル=グウィンはアニメといえば大嫌いなディズニーしか思い浮かばず断る
しかし、数年前となりのトトロを観て気に入り、昔アニメ映画化を申し込んできた日本のアニメ作家と同じ人物であることに気がつく。
千と千尋も観て気に入り、日本の翻訳者の女性が宮崎駿と知りあいであることが判明
翻訳者を通じてまだゲドを映画化する気があるかどうかを聞いて欲しいと依頼
ってのが流れだ。
■ルグィンとハヤオの見解の相違まとめ@
>自分の作ってきた作品は『ナウシカ』から『ハウル』に至るまですべて『ゲド戦記』の影響を受けている
>作品を細部まで理解しているし、映画化するなら世界に自分をおいて他に誰もいないだろう
>この話が20年以上前にあったなら、自分はすぐにでも飛びついていたと思う。
>だが、自分はもう歳だ。●
>そんな時、息子とそのスタッフがやりたいと言い出した。
>彼らが新しい魅力を引き出してくれるなら、それもいいかも知れない。
●の部分を「引退」と捕らえたのだろうが、ハヤオとしては「大作を作るのは無理」という感覚だと思う
余談までにハヤオは近年「冒険活劇は自分のような年寄りではなく若い世代こそが作るべき」と発言していた。
特に彼のような身体的躍動感を作品にフィードバックする作家の場合、本人の体力の低下は、
そのまま作品内のキャラクターに反映されるわけで、この見解は結して間違っていないだろう。
■ルグィンとハヤオの見解の相違まとめA
駿>息子がやるであろうスクリプトには自分が全責任を持つ。読んで駄目だったら、すぐにやめさせる。●
ルグィン(鈴木訳)>全責任を持つというのは、つまりこの映画のプロデューサーをやるんですか?
駿>冗談じゃない!親子で一本の映画に名前を並べるなんてみっともないことはできない!
テオ(息子)>今夜は一緒に食事もしますし、大事な話は後でしませんか?
>いったん話し合い終了
駿>(別れ際ゴローの描いたイラストを持って)「これは間違ってますよね?」と持論を力説
>食事会
テオ→ルグィン>大切なお話があるんじゃないの?
ルグィン>吾朗さんにすべてを預けます○
駿>号泣
駿は●部分の宣言を、ルグィンによる○発言で無効化されたと感じたのではないだろうか?
なにしろ「吾郎さんに"すべて"おまかせします」だ。
しかも、その前に自分が吾郎よりいかに優れているかルグィンにプレゼンまでしている。
それに対して「ゴローにすべてを」と言われたら「あなたじゃなくて吾郎を選びます」と言われたととってもおかしくない。
(ただ、余程の駿ファンじゃないと、自分は出来ないのにプレゼンする駿の姿は意味不明だろうけど…)
結局、惚れた女が息子を選んだ形になった以上、駿は何一つゲドの制作に手を出せなくなってしまった。
ルグィンは、どうやら「息子が付いてくるけど駿のプロポーズを受けよう」という風に捉えていたようだが…。
>ルグィン>吾朗さんにすべてを預けます○
それ、英語ではどう言ったんだろうね?
このニュースソースは鈴木Pのインタビューだから、鈴木の理解の仕方。
ル=グウィン側の意図は違ったかもしれんぞ。
31 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 17:17:30 ID:ahNsH3mK
>>28-29 それじゃ分かんないよ。
結局
グイン女史を日本語と英語の微妙なニュアンスの違いで騙して、
ゲド戦記の映像化権利を手に入れ、劣化オリジナルの企画に漕ぎ着けた。
ストーリーその他に途中ダメだしされたら大事だから、原作者には敢えて一般上演開始後に見せた。
文句を言われたら「口約束」を良いことに原作者の勘違いもあると、工作員がパヤオ、ゴローを擁護中。
てことでおk
>>31 そこまで曲解してるとどっちが工作員なんだか。
まぁ、ル=グウィンの言ってることは真実だろうが、
鈴木・宮崎サイドとル=グウィンの間に入った通訳ってのが居るだろ。
鈴木が英語話せて通訳したんなら
>グイン女史を日本語と英語の微妙なニュアンスの違いで騙して、
これができるけれど。
>>29 >駿は●部分の宣言を、ルグィンによる○発言で無効化されたと感じたのではないだろうか?
>なにしろ「吾郎さんに"すべて"おまかせします」だ。
興行的プロジェクトとして鈴木Pが止めれない状態に既にしてた感じだし、止めるなら作者から。
止めれない場合でも「どうしても駿で」と言わせてゴローに作らせる暴挙だけは止めたかったんじゃないかな?
しかし、ルグィンの口から出たのが「吾郎さんに"すべて"おまかせします」。そら泣くわねぇ。
ピックルも原作者がいってることを
工作とはいえないよな〜。
>>32 鈴木Pはヤマ師的な人間だからねぇ。
インタも良く内容吟味したら言葉にかなり矛盾や論理の穴あるよ。
交渉気時に意識的に微妙な言葉のやりとりで誤魔化すのは得意でしょ。
36 :
名無シネマ@上映中:2006/08/15(火) 18:12:37 ID:sRm3o1vJ
うーん、ループになるけど問題は
1.交渉時に駿がスクリプトをチェックする云々と言ったあたりが
本当にちゃんとル=グウィンと鱸たちとの間で確認されていたのか。
2.そもそもル=グウィンはゴローに「すべて」任せると言ったのか。
と、言うあたりだよねえ。このあたり鱸としても当然言いくるめようと
した部分があるだろうし逆に駿をだまくらかそうとル=グウィンが
言ってもいないのに「すべて任せる」と言ったことにしたのか。
このあたりは明確にしないと駿の名誉にも関わるからねえ。
原作者が映画を批判することで、
原作の本質を聞けたのは良かった。
そこに感動
>>35 1については、
鈴木Pが「こちらとしてもシナリオを宮崎駿に読ませる約束をしていた」と言っているから、
契約といえるほど強いものかはともかく、約束したという認識はあるのだろ。
ハヤオは約束を破ることに悩みはあったようだ。
一方、鈴木の言葉からは罪悪感はみじんも感じられない。
----------
ttp://www.ghibli.jp/20special/000457.html 日本に帰ってきてから、宮さんは「あんなこと、言わなきゃよかった。」なんて言いだしました。
それはスクリプトのことなんです。こちらとしてもシナリオを宮崎駿に読ませる約束をしていたし、彼も原作者の前で責任を持つと言った。
でも、息子が作る作品といっても、他の監督が作る映画に変わりはないでしょう。自分だったらこうするという思いは絶対に出てくる。作家というのは大なり小なり、他人が作るものには納得できない人が多いんです。
そのことでは悩んでいましたね。結局、シナリオのチェックはしなかったんです。
鈴木Pの頭にあるのは、
パヤオとジブリを切り離す事だけなんじゃないの?とすら思えてしまう。
ジブリ内部の政治をどうやろうとかまわんが、
そのための道具に「ゲド戦記」を使うな。
なんか全体的に証言が少しずつ噛み合わないんだよなぁ…。
ところでハヤオ&ゴローがルグィンに送った「感動的な手紙」とやらを読みたいなぁ。
それこそ完全に「プライベートな発言」だから、絶対に無理だろうけど。
>>41 ×感動的な手紙
○感傷的な手紙
情に訴えて許してもらおうとしたんだなという揶揄を感じる
パヤオも自分が年で映画化ムリでも
誰か他のプロを推薦すべきだったんだよな。
勝手にど素人の息子で映画化進めてました、て詐欺だろ
気になったので調べた
「感動的な手紙」 : a moving letter
moving: 悲しさ、もしくわ同情の深い感情を引き起こす (oxford 英英)
>>38 それおかしいよな。
鈴木はプロデューサーなんだから
見ない、関わりたくないっていう宮崎駿をル=グウィンとの約束を盾に無理矢理にでもチェックさせなきゃ。
んで、チェックしなかったとしても、
その事実を公にすべきじゃなかったと思うんだが。
ネットや色んなメディアで親子の対立で煽って宣伝活動してたのが徒になったな。
アホとしか言いようがない。
>>45 ワロスwwww
悲しい意味での感動ってことかwww
>>46 その通り。
鈴木Pはル=グウィンから債務不履行で訴訟される可能性を考えていないのだろうか。
少なくとも日本法の解釈なら、たとえ契約書に明記していなくても、スクリプトチェックは契約事項と判断される可能性は大いにある。
鈴木Pは自分に不利な事実を自白した上、ご丁寧に雑誌インタビュー記事(公刊物)という証拠まで作ったわけ。
鱸Pは、吾郎君の製作途中で宮崎駿がダメだししながら出て来ざるえなくなり、
ゲド戦記製作を結局息子から引き継ぐと、ふんだんじゃなかろうか?
だから「シュナの旅」を接ぎ木するだなんて、どう考えても凡人には理解できないストーリーも
宮崎駿のアドバイスだから受け入れた、と言えないか?
話がぐじゃぐじゃになっても後は駿が何とかしてくれる、というわけ。
ところが鱸Pのたてた公開スケジュールや宣伝戦略が、
もはや宮崎駿をもってしてもいかんともしがたい状態にあり、
結局手出しも口を挟むことも出来なかった、というのが実情ではないだろうか。
こう考えると、どこかで読んだが、吾郎君は被害者の一人かも知れない。
客観的に見て、もともとこんな大任が務まるような経歴じゃないでしょう。
おだてられてその気になった本人の軽薄さはもちろん問題だけれども。
(ホンマにル=グィンとの試写会とその後の会食での吾郎君と鱸pはむごいね。
彼らはもともと創造者としてル=グィンと対等に会話するレベルではないんだもの。
どうしようもない雰囲気から場を取り繕うために、逆立ちしてみせたんだって?
誰かそれは嘘だって言ってくれよ orz)
コミックボンボンで連載しているデルトラクエストみたいに
作者が逐一チェックしてれば良かったのかも
>>46 自分で「全責任を持つ」って言っておいて「見ない、関わりたくないって」って言ってるヤツ
の方がよっぽどドアホウだろw
宮崎駿もなんともみっともないジジイになっちまったもんだ
ttp://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html コレ読んできた。なんていうか、アヒャって感じだよな。予想通り。
丁寧な文体だし、ゴローちゃんの映画を社交辞令的に褒めてる部分もあるけれども、
本質的には「失望した。ハヤオちゃんの嘘つき。ゴローちゃんは私の本を理解してない。
同じ名前の登場人物が出るだけで、映画と本は全く別のお話。暴力で解決するお話は大嫌いよ。」ってことでしょ。
丁寧な文体から失望と怒りが滲み出てる。
特にここ。女史の怒り方は半端じゃない。著作に込めたはずの政治思想的な信条をことごとく踏みにじられて怒っている。
>The darkness within us can't be done away with by swinging a magic sword.
>But in the film, evil has been comfortably externalized in a villain,
>the wizard Kumo/Cob, who can simply be killed, thus solving all problems.
>In modern fantasy (literary or governmental), killing people is the usual solution to the so-called war between good and evil.
>My books are not conceived in terms of such a war, and offer no simple answers to simplistic questions.
53 :
52のつづき:2006/08/16(水) 00:45:00 ID:46AFSPHY
引用部分の翻訳 :
私達が内面に持つ影は、魔法の剣の一振りで解決できるようなものではありません。
しかし映画では、敵役の魔法使いKumo/Cobとして安易に悪を外在化し、敵役Kumo/Cobを殺すことによって全ての問題を解決しています。
(訳注 : 原作のような自己の内面の問題を解決するためには、自分を殺すような安易な解決策はありえない。)
近代のファンタジー(それが文学的なものであれ、あるいは政治的なものであれ)に於いて、いわゆる善と悪との戦争を解決する方法は殺戮です。
私の本は善と悪との戦争などというものを描いていませんし、過度に単純化された問題(訳注 : 善と悪との戦争のこと)
に対して単純な解決策(訳注 : 殺戮のこと)を提示するものでもありません。
----翻訳終わり
他にも、本の登場人物の多くが有色人種であるのに、映画の登場人物は白色人種にしか見えない。
日本人にはあれが有色人種に見えるらしいが、私の目には日焼けの差程度にしか見えない。ということが皮肉混じりに書いてある。
これも政治思想的な信条から英雄ゲドを有色人種に設定したことを全く理解していないじゃないか、という怒り。
54 :
名無し映画:2006/08/16(水) 00:58:26 ID:g+WgFERe
ゲド戦記の公式サイトにある監督日誌が1週間更新されていないのけど、どうして?原作者のコメントが出てどんなコメントが出るのか気になっているのだが‥。
吾郎監督は今どうしてるのかな?盆休み?それとも、雲隠れ中なのか?どなたかご存知の方いらっしゃいませんか。
55 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 01:03:29 ID:13trlf7o
宮崎吾郎はいろいろやりすぎだよ。脚本から絵コンテまでやってる監督はむしろ例外なのに。
評判の「時をかける少女」だって脚本は監督の細田が書いてないし、押井守は話を作れるのに
「パトレイバー」の脚本は伊藤和典に任せている。
昔のCMにこんな台詞があったな
「一度にたくさんのことをしようとしてはいけないよ、君は天才ではないのだから」
天才と同じことをするのが監督の仕事ではなかったのに・・・。
>>55 同感。
一番の無駄は監督日誌だったと思う。
あれがなければもっと作品を掘り下げる時間もできただろうし、
おそらく余計な心労も少なかっただろうに…。
あと、マスメディアへの露出もゼロで良かったんじゃないの。
同じことを何度も聞かれてうんざりって感じのイヤイヤ感丸出しじゃん。
鈴ピーどうしてゴローのキャラを見極めないの?
ゴローのインタビュー、鈴ピーは見ないのかな。出すだけ出して
>>57 監督日誌書かなければ、吾朗はいよいよ仕事なくなるじゃん。
たとえ時間があろうが無かろうが、何も持ってない人間からは
何も生み出されないと思うよ。
まぁ、それを言ったら、そもそも監督を引き受けた事自体間違いだし。
どうして美術館建設のときみたく、駿監督と周囲との橋渡し役として働かなかったんだ?
引き受けた振りをしたとしても、監督としてはダメダメっぷりを発揮して
駿監督の出る幕を作れば良かったのに…。
実は鈴ピーがゴローに期待してたのはそれだったかもしれないよね?
何言ってんだよwパヤオ以外の監督が欲しいからゴローにやらせたんだろがw
橋渡しなんてさせてどうすんだよw
61 :
名無しさん:2006/08/16(水) 01:41:36 ID:xzZOIACp
>>54 盆休みだろ。
鈴木は役員だから出てると思うが。
心配しなくても、近いうちに何らかのコメントは出すよ。
最近の鈴木の仕事を観察してればわかると思うが、
来るべきハヤオ崩御に向けて鈴木は今必死でジブリのブランディング強化を行ってる。
インビテーションのインタビュー無検閲版再掲載とかな。
ようするに「ジブリ=フェア」のイメージを固めるために動いてる。
そこに今回の批判文だ。こんなもんを放置したらイメージはどん底まで落ちる。
もはや、何かしらの声明を出すしかない。
以上は俺の想像。で、ここからは俺の妄想だが、
たぶん鈴木はかなり詳細に渡るルグィン&ジブリ会見の内容を提示してくると思う。
まさに以前のインタビューの会見場面の空白部分を埋めたものだ。
多少の印象操作はするだろうが、文言に関しては実際の言葉に忠実だろう。
ルグィンも見れるわけだし。
鈴木は山師だから、ジブリにとって都合の悪い部分も出してくるだろう。
正直さを訴えて一発逆転を狙うわけだ。
普通なら公開終了後に出すだろうが、奴は思い切って公開中に出してきそうだ。
意外と明後日とかに出してくるかもしれないな。
俺妄想乙。
君の妄想するような鈴木であることを願おう。
>>60 新人監督が欲しいからこそ、ゴローと駿監督でゲド作って
駿監督⇔ゴロー⇔新人監督っていう受け入れ態勢の基礎を
固めたかったのかもしれないじゃん
64 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 01:53:09 ID:7Q6B5Nr3
叩かれてるほど悪くないぞ
しかし影と一体になる感動シーンを際立たせて挿入してほしかった
>>65 ゴローが映画制作でクッション役かってたって話は見たときないけど…
当たり前だろw
70 :
名無し映画:2006/08/16(水) 02:21:28 ID:g+WgFERe
>>61 返答感謝です。ただ、私は鈴木Pのコメントは基本的には聞きたくないな。映画のプロデューサーっておもてに出て来ることはないってのが普通でしょ。
けど、今回のゲド戦記では鈴木Pは表に多く出てきたじゃないですか。NHKの「プロフェッショナル」とかいう番組にゲド戦記公開前に鈴木Pがゲストとして特集されてて、公開前の映画の宣伝みたいな番組をNHKでやっていいの?って思いました。
読う売新聞や日テレがゲド戦記をよいしょするのはわかるけど、NHKまでが取り上げてたからなぁ。そういう意味でマスコミ全般もジブリを持ち上げていたなと思うな。でもアカデミー賞を取っちゃうと仕方がないのかな。
細田が逃げ出した件じゃないの?
パヤオと「切る」ことだよ。
事前でも事後でも、パヤオに繋がったら元の木阿弥。
「切る」ために起用したゴローが「橋渡し」なんて冗談も良いところだ。
>>70 プロデューサーが表に出るのは珍しくもないと思うけど
74 :
名無しさん:2006/08/16(水) 02:28:53 ID:xzZOIACp
>何度も失敗
実は魔女も最初はハヤオじゃないし、
望月森田はジブリメイン客層=ハヤオファン的におよびでないし
唯一の成功例の近ちゃんは鬼籍に入っちゃうし、
細田はご存知のとおり。
あと、近藤勝也なんかもハヤオから演出やれよって言われても逃げ回ってたはず。
たぶん水面下レベルではもっと沢山あるんだろうね。
十分「何度も失敗」だな。
これでジブリの価値が一気に暴落したよなぁ、でもまぁ別にいいか
>>72 切るつもりがあったなら、ル・グィン氏訪問時に
わざわざ駿監督を連れてったりしなかったと思うな。
そんなことより、今テレビでスゲーCMやってたぞ(今更か?)!
何かもう自分がなにやってるか分からなくなってるんだろうなw
>>74 ゴローのクッション役についての話だったんだけどね…
その失敗なら何度も見たよw
82 :
名無し映画:2006/08/16(水) 02:39:05 ID:g+WgFERe
>>73 まあそうですね。でも大体、作品の監督や役者の名前は覚えても、プロデューサーまで覚える事は少ないからな。
まあ基本的に私が今回の鈴木Pに食傷気味なだけなんですけどね。
http://blog.livedoor.jp/tsubuanco/archives/50741416.html 「ゲド戦記」 5点(100点満点中)
(前略)
全ての登場人物のほとんどの台詞が説明と説教で構成されている
(中略)
上述の様に説明と説教ばかりで埋め尽くされている割には、
物語の根幹に関わる重要な説明はほとんどなく、
結局どういう世界のどういう話なのかはよくわからないため、
余計に説教のみを押し付けられているようにしか
感じない印象を強めてしまっている。
(中略)
さすが素人としか言い様のない、
凡庸でつまらない構図が延々と続き、見ていて少しも楽しめない。
「これをここからこう見るのか!」と、
カットごとに驚きを与えられていた宮崎駿作品とは大違いだ。
(中略)
結論:宮崎駿の天才ぶりを再確認できるというだけの、単なる駄作。
デビルマンのようなネタ的楽しみも全く無く、存在価値は無い。
こんな愚かな商業主義の塊でしかない悪作を、
これ以上作らせてはいけない。もうジブリは潰れるべきだ。
岡田の話が本当なら全部ハヤオのワガママのせいだな
問題の原因のひとつに、原作者が日本人の事を知らないという事があったと思う
肌の色(人種差別)に関して、日本人がどういう見方をしているかも知らない様だし
外国では、家族>仕事だけど 日本じゃ、仕事>家族だったりする事とかも
だから、宮崎親子が仲が悪いなんて知らなかったのではなかろうか
あんなに子供を喜ばせる映画が作れる人は、
当然自分の子供も可愛がっていて仲が良いはずと勘違いしたのではなかろうか…
作品でしか、宮崎駿氏を知らなかった故の悲劇?
86 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 03:58:59 ID:HgZgAGdj
岡田ってV6の方かと思ったらオタキングとかいうあいつか。
ガイナ追い出された無能が吾郎をどうこう言う資格あるのか?w
87 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 04:06:25 ID:voxpgiPG
駿監督がやらんからってこんなことなら宮崎吾朗じゃなくていっそ高畑監督でやっていれば・・
言葉に込めた実質の差かな。
ル=グウィンさんは言葉に重きを置く、約束を契約に近い感覚でとらえ、
一方駿や鈴木Pはその場の「つなぎ」みたいに軽く発した・・・っていうか
日本語の嘘つきは、すねるような軽いニュアンスも含むけど、英語のlier
は裏切り者に近い、糾弾のような意味が込められる。
グウィンさんは裏切られ感が強いんだろうね。
鈴木Pの逆立ちのくだりにはすごい軽蔑を込めてるなとオモタ。
グインと宮崎の対談では翻訳が上手く言ってなかった感じはプンプンするな。
特にリタイヤのところとかは完全に誤解だろう。
すぐ前に映画賞関連で話題になったばかりなのに引退とかありえないし。
いや、ハヤヲはもののけ姫以降、映画を作るたびに
これが最後だと言っているでしょう。
ハヤオは病気みたいなもんだよ
91 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 05:17:52 ID:EMfYmQb0
なにをどう擁護しようが、宮崎パヤオが自分が責任を持ってシナリオチェックする。
駄目ならストップするとグィン女史の前で断言してるからな。
その後涙ぐんでみせたり、やってることは地盤継がせたい下衆い田舎の政治家となんも
かわらん。鈴木、パヤオ、吾郎、全員から腐臭しかせんよ。死んでしまえばいい。
とりあえず海外で公開したら原作ファンから総スカンだろう。
原作者が認めない物をファンが認めるはずが無い。
LOTRが何故成功したか。
原作に極めて忠実に、原作そのものの映像を作り上げたからだ。
トールキンがあれを見たら泣いて喜んだだろう。多くのファンと同じように。
ハリー・ポッターも原作者がキャスティングにまで口出しするなど、密接に関わってチェックしている。
少しでも意に反すような事があれば製作を認めないくらいの姿勢で臨んでいる。
それくらいのの忠実さが求められる訳だ。
鈴木とゴローはそんな事はお構いもなく、詐欺のようなストーリープロットをでっち上げて勝手に作ってしまった。
これを驕りと言わずして何と言うか。
最早ジブリは二度と著名な作品に関わる事はできないだろう。
93 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 07:04:50 ID:Jkkb/7vd
俺さ、ゲド戦記大好きだったんだよ…3巻までなw
んでネットの評判が悪いのは知ってたんだけどさ
一応ジブリだし、最低限のクオリティはあるだろうと思ってたんだよ
何あのジブリモドキ orz
彩色とか絵柄はジブリだけど中身なし
しかもテーマとか…つーか原作無視?無視なの?
>>92 >LOTRが何故成功したか。
原作に極めて忠実に、原作そのものの映像を作り上げたからだ
違うね。
映画作品としてよく出来てたから成功したんだろ。
原作に「極めて忠実」にやりゃ成功するってもんじゃない。
当たり前だろ。
原作読んでないのが丸分かりだな
原作はあんなラブストーリーじゃないw
97 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 09:08:38 ID:13trlf7o
>>96 アニメで大ヒットさせるには絶対に恋愛の要素が必要なんだよね。
宮崎駿作品では必ずどこかに恋愛の要素がある。子供向けの「トトロ」でも明らかにカンタはサツキ
に一目惚れ。「ナウシカ」が唯一の例外かもしれない。アスベルはナウシカ好きみたいだけどナウシカ
は男としてはどうとも思ってなかったフシがあるから・・・。
まぁそれはともかく特に最近の超ウルトラヒット3作「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」
「ハウルの動く城」は特にはっきりと恋愛が中心に据えられるようになっている。
男はともかく女の子を劇場に呼ぶためには恋愛の要素が必要不可欠なんだよね。
「ブレイブストーリー」があれだけ宣伝したのにハズレたのは恋愛の要素がなかった
ことも大きいんじゃないのかな。
98 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 09:12:41 ID:22lVI3Jf
映画を見て来た、多々言われている事もそうだが
細かい所もかなりひっかかる部分があった
O一国の王を殺したのに一切追っ手とかでてこない
Oアレンは王子、ゲドは大賢人とお互いかなりメジャーな存在なのに
初めて会ったときのリアクションがなさすぎる
O人嫌いのはずのテルーをテナーが街に連れて行って人狩りにあっている
Oアレンが奪った王の剣は王族の持ち物でかなり高価なはずなのに
うさぎに「古臭い」というだけで無価値な物とされる
Oアレンの住んでいた城>ホートタウン>テナーの家>クモの館の距離感が
あちこち旅している筈なのにほとんど無いように感じる
Oクモの手下でアクティブな兵士はウサギと他2名だけしかいないのは
住んでる館の規模からすると明らかに少なすぎる、また歩哨すらおらず
あっさりテルーが捕らわれたアレンに合いに行ける
O竜であるはずのテルーが人としての過去(幼い頃に親に酷い仕打ちをうけて
捨てられた)を持っている、なら竜としてはどう生まれ育ったのか?少女が変身して
いきなり成熟した竜なのはなぜか?全く竜である伏線が無いのはなぜか?
等々おかしいところを上げるとキリが無い
99 :
名無シネマ@上映中:2006/08/16(水) 09:14:49 ID:22lVI3Jf
新人監督というのは得てして説明過多になって展開がタルくなるのだが
吾郎は逆で必要なはずの説明すらない、登場する物全てを2時間で描くのは無理なので
当然省略されてしかるべきだし、そうした方がスタイリッシュな爽快感が出ていいのだが
大事なのはどんなに省略しても監督の頭の中では、出てくるビスの1本まで一貫して説明が
ついてなければならないということ、押井の場合は虚構と現実、駿の場合は大樹とその枝
という世界観を元に全てが位置づけられている、この感覚は監督としての個性を生み
必須なものなのだが吾郎はこれが甘いというレベルではなく全くもって欠落している
これは致命的で「監督音痴」とでも言うしかない
今回原作の縛りがあるからちぐはぐな物語になっているとする向きもあるが
これは言い訳にならず、監督とは己の世界観に沿って原作とかけ離れない程度に
その要素の取捨選択ができるから監督なのであり、だからこそその結果について全責任を負わなければならない
吾郎はどう見てもそんな世界観など始めから持っておらず、与えられた物をただ並べたに過ぎない
そのため映画にすらなっていないのだが、そのあまりの酷さにまわりまわって斬新などと
評価する者がいるのはもう笑うしかない。
>>97 だってブレイブストーリーってRPGだから、底が浅くて・・・
だからじゃないの?