マルホランドドライブ

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1). ベティ ---> ダイアン(ナオミ・ワッツ)と、
2). リタ ---> カミラ(ローラ・エレナ・へリング)とは、

 お な じ 人 間( 女 性 の )異 な る 面 の 表 象

です。

これを理解するには、かつてルイス・ブニュエルが
『欲望のあいまいな対象』において、
家政婦コンチータの貞淑な面と淫らな面とを、
それぞれ違う女優に演じ分けさせた(=二人一役)ことを
思い出すだけで十分でしょう。

『マルホランド・ドライブ』においては、
一人の女性の中の対立しあうそれぞれの面に対して
いちいち名前がつけられているので少々混乱を生じやすいかもしれないですが、
ベティ/リタ(前半)の組においても、
ダイアン/カミラ(後半)の組においても、
それぞれの組が、
その時点における主人公の分裂した面同士の「力関係(もしくは分裂の均衡状態)」を
表している、、、と考えてみるのです。
6955:2006/06/22(木) 23:48:26 ID:eeiqPE4M
それはどのような分裂でしょか?、、、例えば、、、ですけれど、例えば僕は、

「社会人(=職業としての女優)」VS「自然人(=生物としての女性)」

というような、対立しつつも、一人の同じ女性の中で並存しうる、
かつ、互いに対立しうる属性同士の対というものを考えます。

前半のベティ/リタの対立する組においては、
主人公の女性は、たんに、まだ希望に満ちた、才能のある、無名の、女優の卵、、、
に過ぎません。
田舎者だし、その意味では、彼女は少女でもあります。
この状態において、彼女は、自らの性(sex)を抑圧している、、、というわけではないにせよ、
とにかくまだ「おんな」ではない。

しかしながら、彼女が仕事(=芝居の役)を得るためには、
彼女の「職業的な能力」よりも、彼女のsexが、威力を発揮する、、、
というのが、後半のダイアン/カミラの対立する組です。
この状態において、「女優=職業人」であるはずの勢力はいかにも弱弱しく、
代わりに、彼女の生物学的属性、、、おんなというsexは、最大限に「露出」しています。
7055:2006/06/22(木) 23:52:27 ID:eeiqPE4M
この反転の途中に挟まれる、両者の勢力同士による同性愛的な表現は、
少女がおんなに目覚めるプロセス、すなわち、人間(少女)が生物(女)へと移行するプロセスそのものでしょう。

彼女は自分の中の生物(おんな)に気付く。
彼女はそれをいとおしむ。
彼女はそれと中睦まじくなる。
しかしながら、しまいには彼女はそれに彼女自らを乗っ取られる、、、

かくして、彼女が女優(=性を超えた社会人としての存在であり、
彼女の意思そのものでもあるところの希望的状態)であり続けることはもはや不可能となります。
彼女はたんに「おんな」を売り物にしただけの、
ハリウッドにいくらでもいる、特にどうということのない、
有名人の取り巻きの一人にすぎなくなります。
「監督」はもはや、彼女の「才能(=職業的な能力)」などには目もくれず、
彼女の「sex(=生物学的な能力)」だけに惹かれています。

あの、お互いにお互いを愛し合った中睦まじい状態
(=思春期の、少女でもありつつ女でもありうる、一人の人間でいられたあの状態)は、
もう取り戻せないのか?
どうしてもはや自らを愛することができないのか?
彼女は、そのような「自分自身の中に潜む魔物」=「おんな」を憎みはじめます。
そいつが私の邪魔をする。
それさえなければ、私は幸せな均衡を保てたのに。


、、、と、これだけ書いておけば、みなさんもあとはもう分かるでしょう。
7155:2006/06/22(木) 23:54:03 ID:eeiqPE4M
具体的な映像的ヒントをあげておきたいと思います。

留守番電話のメッセージの声の主を訪ねて行って、
彼女「ら」は、そこに死体を発見します。
その恐怖で声にならない声を抑えつつ部屋から表に飛び出してきた「二人」は、
まるで互いの肉体が溶け合うような、あるいは別の言い方をすれば、
互いが相手の中から生み出されてくるような、
映像的表現が施されていたはずです。

また、このときに、最初、間違えてベルを鳴らして出てきた愛想の悪い女は、
彼女「ら」を、二人連れの女性として認識した、、、という表現がどこかにあったでしょうか?---ないはずです。
編集上のトリックで我々はそう思わされますが、そんな部分は一つもありません。

おばさんのアパートの部屋にやってきたミセス・レノワ(=ココ)には、
彼女(=ベティ)がリタの姿でいる瞬間を一瞬だけ目撃されます。
それでも、ココが二人を「同時に」見ることはありません!

ただ唯一、祈祷師のおばさんだけが、ほんの一瞬だけですが、
彼女「ら」を、二人同時に見るのです。
というか、このおばさんだけが、
ベティの背後に潜むおんな(=リタ)の存在に気付くのです。
7255:2006/06/22(木) 23:56:01 ID:eeiqPE4M
「監督」と彼女の失敗した出会い、、、のシーンもまた大変重要です。
彼ら二人は、一瞬にして、互いに惹かれ合います。
この瞬間に二人のまなざしの交錯に流れているものは何でしょうか?
たんなる情熱的な恋愛感情(=生物額的なもの)でしょうか?
それよりもむしろ、それこそ、"This is the girl !!" と言うべき
職業的確信によるものなのではないでしょうか?

しかしこの出会いは失敗に終わります。妨害される。
というよりも、監督の「不能」によって阻害されるのです。
闇の世界のエージェントなど何処にもいません。
彼はたんに「不能」なのです。

、、、まぁこのくらいにしておきましょう。

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