マルホランドドライブ

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181名無シネマ@上映中
しばらくぶりです。>>68-72 = >>55 です。>>163 も私です。
この流れ、このタイミングなら、
少なくとも >>166 氏には以下の内容に納得してもらえるんじゃないかな、
と思うのでブルーボックス・ブルーキーについての自論を書きます。
ちょっと長いです。

デイヴィッド・リンチの映画では、
イレイザー・ヘッドにせよ、ブルー・ベルベットにせよ、
ちょっとした穴から何かの内部へ入り込み、その中でストーリーが展開されて、
そして同じ穴から出てくることで終わる、という表現上の形式が用いられています。

イレイザー・ヘッドではそれが地面の水溜りの底の穴であったし、
ブルー・ヴェルヴェットではそれがジェフリーの耳の穴だったと思います。

つまり、イレイザー・ヘッドでは水溜りの底にある穴を通して、
地球の奥深く入って行った所(そこから地球の反対側へ突き出て
そのまま宇宙の彼方まで行き着いているような感じですが)でストーリーが展開するのに対し、
ブルー・ヴェルヴェットでは、ジェフリーの耳から彼の脳の中へ入ったところで
ストーリーが展開するわけです。どちらもそういう意味では

ストーリーの外部 >> 穴 >> ストーリーの内部 >> 穴 >> ストーリーの外部

という構造を持っていて、その意味でリンチ作品のファンタジー空間は「閉じて」います。
182181:2006/07/23(日) 21:33:06 ID:qJUIFhDg
続きです。

しかしマルホランド・ドライブでは、この「穴」がどのような形で表現されているかというと、
>>166 さんが >>179 でご指摘のように、ブルー・ボックスがそれなんじゃないかと思うんですね。
私の考えでは、イレイザー・ヘッドの穴やブルー・ヴェルヴェットでのジェフリーの耳穴のように、
この箱の中は、クラブ・シレンシオにいた青髪のあの女の頭の中につながっているはずです。
彼女の髪と金属製の箱がそれぞれ似た感じのブルーであることは、偶然ではないと思うのです。

こう考えるとマルホランド・ドライブは、他の作品とは著しく異なるストーリー構造を持っていることがわかります。すなわち

ストーリーの内部 >> 穴 >> ストーリーの外部 >> 穴 >> ストーリーの内部

となっており、ストーリーの外部に出ることは一瞬しかない
(たしかカメラは二度続けてブルー・ボックスを通過したと思いますが、
その間だけがストーリーの外部ということになる
、、、でもちょっと記憶が定かじゃないです)。

他の作品が、穴へ入ってそこから出てくる、というループを完結させることで
「閉じて」いるのに対し、まったく逆にオープンエンドになっています。
我々はそのポッカリと開いた計り知れない深さを持つ「内部」のただ中で、
そのまま放置されます。
183181:2006/07/23(日) 21:34:11 ID:qJUIFhDg
続きです。

ブルー・ボックスを、だから何かの象徴として読むことも可能かもしれませんが、
私は、たんに文字通りの意味での「パンドラの箱」という概念を実体化して見せたもの、
と捉えることで十分なんじゃないかと思います。

すなわち、あの青い箱の名前こそが「パンドラの箱」なのです。
もちろんパンドラの箱とは、解決不能な矛盾をその内部に閉じ込めているもの、
の総称であり代名詞です(つまりその換喩的表現です)。

ちなみに「夢と現実の二部構成」派の人たちは、その前半と後半の分岐点を、
やはりブルー・ボックス開放の前後に見るのでしょうか?

「同一人物の二面性」派である私の場合、この分岐点は、ベティがオーディションを受けた時、
すなわち、競演男優が彼女の尻に手を回すのを躊躇した際、ベティ自らが彼の手を自分の尻に押し付けて演技を続けた時を境に、
ストーリーの前半と後半というようなものがあるように思えます。

このタイミングこそが、彼女が自分を性的存在として「使った」最初のタイミングである、という意味でです。

しかしもちろんこの時点においては、俳優としての彼女の社会的存在と、
女性という名の生物学的存在とは、まだ幸福な関係を持っているように見えます。
184181:2006/07/23(日) 21:36:16 ID:qJUIFhDg
以下は余談です。

あのブルー・ボックスは何かがおかしいです。
まず目に見える物質のレベルで考えると、
鋳造による造形と電解着色によるアルミニウムのカタマリであり、
そこに二等辺三角形の形状を持った鍵穴が開けられています。

つまりこの鍵穴は、ブルー・ボックスに対して静的(固定的)なはずなのに、
劇中でリタはそこに、二等辺三角形型の断面を持った鍵を差し込んで「回し」ます。

ブルーボックスは画面上では明らかに金属であるように見えるのに、
まるで液体か軟体のように、その鍵穴にぴったりと差し込まれた鍵はぐるりと回されます。

どう考えてもあり得ないです。
185名無シネマ@上映中:2006/07/23(日) 21:53:42 ID:Zkl2Jg5P
冒頭のクラッシュしたリムジンから這い出るシーンはそれ(穴)に当たらないのかね?

なんかたった一つの答えをリンチが隠し持ってるとはオレには思えないんだけどね。
楽しい反面、不毛な気もするんだな、こういうの。
186181:2006/07/23(日) 22:05:42 ID:qJUIFhDg
皆さんは、例えば、ウィンキーズのあの男のエピソードなどは、
一体どのように位置付けておられるのでしょうか?
私は、彼のエピソードというのは本質的にストーリーそのものには関与しないだろう、
と考えています。
ただし観客がストーリーを理解するのになくてはならないガイドのようなものかな、とは思います。
本で言うと本文じゃなくて欄外の注釈のような。
デイヴィッド・リンチの映画って、そういうのが多くありませんか?

>>185
それにはまったく同意します >>なんかたった一つの答えをリンチが隠し持ってるとはオレには思えない

ただ、そもそも「夢と現実」派の解釈があまりにもまかり通りすぎていて、
それが何かまるでこの映画の真理であるかのようになりつつあるのが個人的にはまったく納得できないので、
強力なオルタナティブとして「同一人物の二面性」論?をぶつけてみたかったのです。

そうすれば「夢と現実」派の意見も相対化されるので、>>166 さんがおっしゃるような意味で、
さまざまな解釈が並存しやすく(共存というより並存)なるのではないかな、と思うのです。

ちなみに私は『イヴの総て』というクラシックの名作を、まだ見たことがありません。