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(6;;( > ) < 順調です
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過去5年間の成績
age Year Team W-L ERA IP SO BB
33 2001 BOS 13-10 4.50 198.0 220 096
34 2002 LAD 16-06 3.39 220.1 193 101
35 2003 LAD 16-13 3.09 218.1 177 098
36 2004 LAD 04-11 8.25 084.0 054 042
37 2005 TBD 05-08 7.24 100.2 059 051
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11yrs:123勝109敗 ERA:4.21 IP:1972 SO:1915
・野茂英雄ニュース@Yahoo!スポーツ トピックス
http://sports.yahoo.co.jp/fc/nomo_hideo/?1116289213 ・Hideo Nomo News and Notes@Yahoo! Sports: MLB
http://sports.yahoo.com/mlbpa/players/5375/news ・野茂オフィシャルサイト@BALLPLAYERS.JP
http://www.ballplayers.jp/nomo/ 野茂スレ過去スレ及びリンク集は
>>2-3辺り・次スレは950ぐらい
2 :
名無シネマ@上映中:2006/03/29(水) 10:55:14 ID:oBp6JoCC
衰え激しいな
..野茂英雄.
この前ドジャー時代..
私たちにおいて
無条件チャンホよりできなくてチャンホよりもっと失点をしなければならなかった投手.. 老母.
1イニング 10失点を一彼の姿を通快でした..
彼が色々チームで放出されて, マイナー契約まで提案されるさげすみを経験する姿を楽
しんで(?) 香ばしがった..
笑わない彼の姿は生意気だったし
ただ日本人でチャンホ以前にあまりにもセンセーションしたという理由だけで幾多の異意憎さを
受けた投手.. 野茂英雄.
チャンホがずっと平坦大道を走って年俸 1420万ドルの投手になる間老母は正反対の茨の
道を歩いた投手.
新しいチーム, 球場, 環境に適応するのがいくら難しいことだと今年シーズンテキサスの
チャンホを見て今更感じて,
その多いチームを転転して通った老母の挫折と苦情を一部分でも感じることができた.
初盤に悲恨成績不振.. そしてカメラを意識しない態度..
何よりスーパースターIchiroおかげさまに去年まで老母がどのチーム人与えるよく分からなかったと
言っていたって言う日本ファンたち.
新しいチーム, 年に反比例して落ちていく球威, 故国ファンたちの外面の中で彼は常にひとりだった.
マスコミでも.. ロッカールームでも.. マウンドでも..
彼のインタビューを見れば彼の生の中心には常に野球がある.
ビッグリーグ最低年俸を甘受してからも選抜に走ることができるチームを尋ねた選手..
自分に名誉回復の機会を与えた監督のために少ない年俸を甘受してチームを移した選手.
確かに彼において野球は人生の全部ではないか?
お金とミョングイェヨックではない, スターをもっての派手ではない, 世界最高の舞台である
メジャーリーグで自分の夢を遂げて行くために彼は功を投げる.
エリートコースを踏んで来たスターと違い
逆境と峠を乗り越えたスターのそれはもっと貴く見える.
4戦5機宜洪秀煥がそうだったし, サッカーシューズさえ四肢出来なかった酷い貧乏を
乗り越えたペレもそうだった.
癌を踏んで再起したアンドレスガーラ(GALA)ラーガが偉く見えたし, そして老母Hideoがそうだ.
Ichiroはもうスーパースターになったし, Ishiiはスターになって行っている.
彼のアジアンシーズン最多勝記録はパク・チャンホによって割れた.
しかし確かに後代には老母Hideo彼を忘れないだろう.
誰が何と言っても彼は確かにノブアだけ見えたビッグリーグの門を開いた先駆者だから.
Ichiro MVP? Ishiiの前半期 11勝?
忘れない.
二選手をけなすのではないが
老母がいたからIchiroが容易だったし, Ishiiがあり得た.
マウンドの上での彼はさびしい.
しかし決して敗れることを恐れない.
この前のオンヒトブルフォークボールも, 重たい直球もないが
彼には常にセロウンゴッに挑戦する勇気と夢が充満するからだ.
老母は今日も自分の夢を向けて球を投げる.
26才1994年 野茂はダン野村を伴って契約交渉のため前田球団社長と現れる 。
「野村君」と前田球団社長。 「こんなところでなにをしているのかね」
「契約交渉に来たんです」とダン。前田の顔色がみるみる赤くなる。
「君を部屋に入れるわけにはいかん」と前田の語気が荒くなった。
「出て行きたまえ」そういってダンをドアの外へ押し出そうとする。「それなら-」と 野茂はすかさ
ず、くるりときびすを返す。「僕も出て行きます」
「いや、君はいかん、待て」 と前田。
「君は残りなさい、ウチの大事な選手なんだから」前田は肩に手をかけて制止する。
野茂はその手を乱暴に払いのけてドアに向かった。しかしダンは席を外すことに同意し 野茂に、
部屋に残って1人で交渉するように説得した。交渉のポイントはすでに2人で 打ち合わせしてある。
ダンが外で待っている間、野茂はまず複数年契約を持ち出した。 案の定、前田は即座に拒否。
君はまだ若すぎる、と。言い争いの後、野茂は怒った口調で 「それならば引退します」と宣言し交渉の
席を立った。
2回目の交渉、 「複数年契約を飲んでくれるならサインしてもいいがダメなら近鉄と縁を切る。」と野茂
前田は頑として聞かない。「入団して10年以内の選手は複数年契約はできない」
前田は考え直せ、と命じた。しかし、野茂はまったく動じない。会談はとうとう険悪な雰囲気に なり、感情的
になった前田ははったりをかましたつもりか怒って野茂に命じた。 任意引退の書類に今すぐこの場でサイン
しろ。そして下のコーヒーショップで待っていた ダンを証人として呼び入れた。
前田はダンに近鉄の内情を訴えた。複数年契約するゆとりはない。ウチは今 財政的に苦しい、と。
「そんなに金がないなら、なぜ球団を抱えているんですか?」とダン。
「だったらチームをどこかへ売ってしまえばいいじゃありませんか?」
「チームを売る?」前田は声を荒げる。「そんなのあんたの知ったことか!」
「そのとおり」とダンが応戦する。「そちらが財政的に苦しいかどうかなんか、こちらの 知ったことじゃありません。
きっと商売が下手なんですよ。だから会社の経営苦しくなるんだ。 しかし、そのしわ寄せを選手に押し付けないで
ください。選手達は100%の力を振り絞って いるんです。グラウンドで全力で戦っているんです。客集めは彼らの
仕事ではありません。 あなた方の仕事じゃありませんか。それができないというなら、これは大問題です」
会話はさらに刺々しくなり結局、野茂は任意引退に書類にサインをした。 前田は2月1日の次の会合までこの話を
誰にも漏らさないように口止めした。おそらく野茂が 考え直して頭を下げてくるとでも思ったのだろう。ところが2日
後前田はパ・リーグ事務局 を訪れた際、野茂が任意引退をとった旨を打ち明けた。すると、どういうわけか ニュース
はまたたく間にマスコミに伝わった。しかし野茂とダンは黙っていると約束した 以上、事実を否定せざるを得なかった。
すっかり手を組んだ野茂とダンはその後、 2・3週間、近鉄首脳陣と何度か非公式の会合をもち、自分達の方針を明ら
かに していった。“日本で任意引退選手になったからには、アメリカでプレーしようと思っている。それが可能なことは
金井・マレー両コミッショナーの手紙のやりとりで十分に立証されている” これを聞いた近鉄首脳陣はあせった。こんな
べらぼうな話を容認してしまったら、他の オーナーから何と思われることか。
「アメリカに行く許可が欲しいかね?」ある会合で近鉄のフロントの1人が、被害を
なんとか最小限に食い止めようと提案した。「なんなら、我々が手続きをとってあげよう」
野茂から強硬に権利を主張されているわりにはやけに親切だ。おそらくそのほうが 彼らの顔が
立つからだろう。しかしダンは容赦ない。「アメリカでプレーするのにあなたがたの 許可など必要
ありません」 結局、近鉄の残された道は太っ腹を装うことだけだった。 フロントは記者会見を開き、
野茂が大リーグ行きを表明しているのでドジャースや ジャイアンツなどのチームと交渉できるように、
わがチームとの契約を解除することに した、と発表する。近鉄や日本に本気で別れを告げると判明
してから、ドジャースと 契約するまで、野茂はごうごうたる非難の渦に巻き込まれた。スポーツ紙は特に
過激で「恩知らず」 「トラブルメーカー」「裏切り者」だのと散々扱き下ろした。 リーグの首脳や ファンから
も非難が殺到した。野茂の父親さえ息子の軽挙妄動に腹を立てて アメリカ行きを断念するように説得する
しまつだ。ダンはダンで彼が後に語ったことに よると母親のサチヨから電話がかかって来て野茂をアメリカ
へ行かせては行けない と説得されたという。「お国のためにも、野村家の名誉のためにも絶対行かせちゃダメ」
「これから大変なことになるが大丈夫か」とダンは野茂にそう言った。 すると野茂は
ダンの肩を叩いて答えた。「もちろんですよ。ダンさん。大丈夫。僕達は正しいことを
やっているんです。」ドジャースと契約しアメリカで早々とトレーニングを始めた野茂を
日本のマスコミは さっそく追い掛け回し、どんな発言もどんな挙動も逃がすまいと目の
色を変えた。あらゆる瞬間を ビデオにおさめ衛星を通じて祖国へ急送。彼らのあまり
の厚かましさにたまりかね、野茂は地面に 境界線を引いた。「お願いですから、この線
から入ってこないでください。入ってきたら絶対口を聞きませんよ」 そう警告した。これも
たいした脅しにはならなかった。もともと無口な野茂はいずれにせよマスコミに 多くは語ら
ない。それでもNHKのクルーがあえて境界線を越えたとき、野茂は本気で彼らをボイコットした。
まる3年間も。誰もが野茂の失敗を望んでいるようだった。西武のコーチはさげすむようには吐
き捨てた 「彼がフォークを投げる時はバットを振らなければいいのさ」「コントロールが悪いからね。
いずれ向こうで 壁にぶち当たるよ」ところが野茂が勝ち始めた。最初の12試合で6勝し防御率2.05
奪三振109完封2 オールスターでは 先発投手に選ばれ2回を無失点。観客動員数は4%アップして
1試合平均38310人 わずか3ヶ月で 野茂マニアは南カリフォルニアを蔓延した。ドジャースのギフト
ショップは野茂のドジャース・ジャケットやTシャツ スウェットシャツなどを売りまくった。製造が追いつか
ないほどに売れ行きだ。野茂マニアは遠い祖国にも伝播した。 野茂が登板する試合はすべてライブ
で放送され今まで散々悪口を言っていた連中も急に健忘症になったのか と思うほどの手のひら返し。
野茂の勇士は連日スポーツ紙の一面をにぎわした。老いも若きも、野茂の 投げっぷりを見ようと太平
洋を越えた。その数があまりにも多いので、ドジャース経営陣は日本人客向けに 球場内に和食レスト
ラン・チェーンをオープンしたほどだ。
あらためて野茂の凄さにエールを送ろう
開幕前に野茂英雄に目標を訊くと決まって「1年間ローテーションを守り通すこと」
と返ってくる。ありふれた目標に聞こえるが、米国では登板が飛ぶことがなく、
中4日で投げ続けることが超一流の先発投手の条件とされる。
年間162試合という過酷な条件下で行われるとあって、1年活躍しただけで、
故障で消えていった選手は山ほどいる。その中で野茂は11年間先発の座を
守り抜いてきた。121勝には2度のノーヒットノーランも含まれる。かつて1年目で
MVPに選ばれたイチローに国民栄誉賞が検討されたとき、エクスポズにいた吉井
(現オリックス)にコメントを求めたが「イチローにあげるんやったら野茂が先やろ。
米国では1年すごい活躍をした選手より何年も活躍してきた選手の方がはるかに
尊敬されるのに」と激高された。
「ライアーライアー」という映画で、父親役のジム・キャリーが別居している子供に
野球道具をプレゼントするシーンがある。子供は「やったぁ、野球ができる。
ボクはノモね、パパはカンセコだよ」と大はしゃぎする。映画が製作された当時、
LAを本拠地にするドジャースに所属していたとはいえ、ハリウッド映画の
セリフになるとは、彼の名がいかに米国社会に浸透していたか分かる。
今季の野茂は苦戦続き。26日の結果次第でローテ落ちの可能性もあったが、
日米通算199勝目を挙げ、逆境での強さを見せてくれた。今ではイチローが映画に
出てきても、松井秀に国民栄誉賞が与えられても驚かないが、
それでも野茂のキャリアには及ばない。後に続く日本人選手のためにも、
まだまだ第一線に踏みとどまっていてもらいたい。
http://www.sanspo.com/top/am200505/am0529.html
「トラ・トラ・トラ!」
サンフランシスコからシンシナティへ移動する飛行機の中で、トレーナーのスタン・ジョンストンお勧めの
「トラ・トラ・トラ!」を観ました。彼は「パール・ハーバー」も観たらしいですが、こちらを勧めてくれました。
あまり映画とかは観ないんですが、昔の映画やからイマイチかなと思っていたら、なかなか面白かった。
戦争映画なので日米それぞれ今では常識外れの発言が多く、日本人が訳の分からないことを言った時は
私が中指を立て、アメリカ人の時はスタンが中指を立て、しかしお互いまともなことを言うと2人で拍手を
しながら楽しく観ました。やはり戦争は喜んでるやつより悲しんでる人の方が圧倒的に多く、NYの悲劇の
時と同じく良くないことだとまた実感しました。やられたらやり返す、奇襲をかける、相手を倒す為に作戦を
立てるというのはスポーツで充分だし、世界大戦もスポーツで充分。
それと前にも書いたとおり、私は戦争には反対だが、戦争で戦った勇気ある人達には敬意を払う。
死ぬかも知れないと分かっていて毎日訓練するなどということは、自分には絶対出来ない。普段あんまり
歴史に触れることがないが、あらためてそれを感じた。誰もが歴史を持っていて、その人の歴史を知ると、
自分にはない、自分には出来ないものがあるはずだし、そのことに対しては尊敬心を持たなくてはいけな
いと思う。親もそうだし、そういう人が周りには沢山いるはずだ。昔は私も調子に乗っていたので全く気に
しなかったが、私も含め、今の時代には忘れられていることじゃないかと、この映画を観て思った。
12 :
名無シネマ@上映中:2006/04/02(日) 03:32:59 ID:2/lc2lhZ
13 :
名無シネマ@上映中:2006/04/02(日) 03:57:24 ID:yBqEQGg2
スタンにスタンガン突き付けられた
14 :
名無シネマ@上映中:2006/04/05(水) 01:15:20 ID:C9rM3XnO
スタン・ザ・ガン
15 :
名無シネマ@上映中:2006/04/06(木) 20:17:10 ID:gtKKRwuj
マイナー開幕投手age
16 :
名無シネマ@上映中:2006/04/09(日) 16:29:36 ID:A7cLVb1E
17 :
名無シネマ@上映中:2006/04/12(水) 19:17:12 ID:e7z1Sanj
18 :
名無シネマ@上映中:
野茂さん。ガッカリさせるなw