あらしのよるに(杉井ギサブロー)
◆イントロがなかなか美しく、ドラマティック(狼の群れが山羊の親子を追う)なので、この分だと、
「本篇」は腰くだけになるのではないかという予感。日本映画ではそういうことが多いからだ。案
の定、狼の声の役の中村獅童が、「・・・でやんす」という言葉を使うのが、イントロの質に比べて、
えらく安っぽく、急にトーンダウンした感じになった。とはいえ、見ているうちに、この映画の奇妙
なところに興味をおぼえ、最後まで見てしまった。
◆変な映画なのだ。一言でいうと、セックスレスの同性愛物語。ヤギ(メイ=女名だが、これは
「メイメイ小山羊」のメイ)と狼(ガブ=「ガブリ」とかぶりつくのカブ)が愛しあうようになる物語だが、
成宮寛貴と中村獅童が「このままいっしょにいられるといいね」などと言いあうので、同性愛性は
いやがうえにも高まる。それが悪いというつもりはない。かえって、食べるということとセックスと
の深い関係をはからずも解き明かしていて、面白かった。
◆この物語の狼はヤギを常食にしている。だから、両者が親しくなるということはほとんどありえ
ない。が、ありえないことが起こったとき、どうなるか?しかし、狼としては、どんなに親しくなって
も、ヤギを突然食べたくなる衝動に襲われる。相手のヤギの側からすると、突然襲われるので
はないかという不安がつねに残る。この関係は、実は、男と女、性的意識を持ちうる同性同士
が「異常接近」したり、密室に閉じ込められたりしたときに起こる感情と似ている。
◆異性なり同性なり、あるいは動物でもなんでもある対象に性欲をいだくということと、食品や
料理を見て「食べたい」ということのあいだには、密接なつながりがある。ある説では、セックス
(性交)は、食べることから派生したのだという。だから、「たべちゃいたい」という言葉で、相手
への性的意識を表現することは正しい。しつこいラブシーンのなかには、まるで相手の肉体を
食おうとしているかに見えるものもある。この映画のなかで、山越えをするメイとガブが、吹雪
に立ち往生し、雪穴で食べるものもなく、とりわけガブが飢えの極致に達したとき(とにかく常食
の「食べ物」が目の前にいるのだから)、それを察したメイが、自分を「食べて」と言う。これは、
わたしには、「セックスして」と言っているように聞こえてならなかった。