イノセンス-INNOCENCE- 53体目

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142名無シネマ@上映中
自分が自分であるために必要なものは他人とは違う顔や体だけではなく今まで生きてきた記憶が必要だ。
自分を取りまく環境や他者、自分がアクセスできる情報、それら全てが思いでの外部記憶装置であり
自分自身という意識を生み出す。
消費エネルギーの制御、生活水準の向上、行動範囲と報収集力の高速化と拡大
しかし、経済的繁栄で得た力には対価としてそれなりの労働が必要となる。
真っ当な人間は人生の中で殆どの時間を会社で費やし記憶のほとんどが仕事の物である。
腕も脚も記憶も、その体の全てを労働力とその情報としてして費やす。
それを取ったら何が残るか?
会社の部品化された、まるで生きた人形の様な個人・・・・・・・・・私は本当に人間と言えるのだろうか?
143名無シネマ@上映中:2005/07/07(木) 23:56:49 ID:pLen0teQ BE:7852043-##
生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら社会や文化も膨大な記憶システムに他ならない。
都市は巨大な外部記憶装置であり私達の生産消費運動も遺伝子の表現型であり
全てが記憶システムに組み込まれ、遺伝子の様に情報を伝播し外部記憶装置を形成していく。
会社と自宅を往復するだけの平坦で退屈な日常・・・自分が簡単な仕掛けと物質に還元されてしまうのでは無いかと言う恐怖。
個体が造りあげたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型である様に人間も只の部品として存在するのでは無いかと言う恐怖。
振り返れば自宅でテレビを見てマスコミとかがもてはやす話題を学校喋ってさえいれば良かった並列化された子供時代。
私というものは存在するのだろうか?そもそも始めから私と言う物は存在しなかったのでは無いだろうか?
144名無シネマ@上映中:2005/07/07(木) 23:57:22 ID:pLen0teQ BE:9815235-##
自分が自分だなんて当然じゃあ無いかと言われても、周囲の状況によって私らしき物があると判断しているに過ぎない。
人が他人を理解すると言う事は所詮自分の経験を対象に投影して自分自身を見ているだけだ。
人と人の間には埋め様の無い断絶があり他人は決して自分の事を理解できない。
例え、脳と脳を直結しても人は其の記憶を肉体を通して実感する為に其の経験をどう感じたかまでは理解できない。
自分にとって快楽だとしても他人にとっては苦痛かもしれないし同じ物を見て感動しても其の感覚が同じだとは限らない。
ひょっとして他人は只の人形で外部の環境に刺激され、それらしい反応をしているだけなのに
私はそこに自分の姿を投影して勝手に意味解釈をして他人が存在していると思い込んでいる可能性もある。
私を取り巻く全ての現象が虚構でないと言い切れない砂を噛む様な日常。
そんな人生を生きる価値なんてあるのだろうか?

「バトー、忘れないで。貴方がネットにアクセスするとき、私は必ず貴方の傍にいる。」
絶望する訳でも無くちょっとした喜びは有ると言ったものが辛うじて生きる価値を繋いでいてくれる。