三島独特の表現の中でサド侯爵という人間が生き生きと描写され(ワインを花にやる
エピソードなど、何と鮮やかな筆遣いではないですか)、最後に女達の会話を通して
「天国の裏階段を登っていった」サドという解釈まで発展するスケールの大きさに
感心します。「SADEMANIA〜サド公爵を愛する全ての人に〜」(ディスカッションが深い)
http://www.jah.ne.jp/~piza/COMPOSITIONS.html 名作「仮面の告白」の中で真実の告白をしているのを読むと、彼も父親の書斎で
この全集のルネサンスの巻を開き、イタリアの画家ギト・レーニの描いた美青年の
肉体に矢が刺さって血が流れている「聖セバスチャンの殉教」という絵を見て、
めくるめく思いをして精通した(…)と書いています。彼が12歳の時かな?
http://www.kk-video.co.jp/comments/fujiihyoron/fujii084.html 週刊現代「『花と蛇』もうひとつの物語」のラストシーンは「屋上」。。
バタイユ(今ごろ読んでるw)の著作によればエロティシズムの発生は
「洞窟の竪穴=地下室」。。「死んでもいい」「夜がまた来る」「GONIN2」の
地上または地下室からの無茶苦茶な「縦移動(上昇)」には石井監督のこだわり、
哲学を感じる。。単に「めまい」とかのヒッチコックシンドロームかな?
(「コレクター」とか「羊たちの沈黙」、地下室とこの手の映画の関わりも思い返すと
深いものがあるよね。。)
団鬼六「美少年」読みました。哀しい話ですね。
日本舞踊宗家御曹司が「道成寺」清姫(きよひめ)の舞台衣装で追いすがる
シーンが美しく、七十歳間近の作家が死を目前にした山田と風呂に入る際の
諦観と四十年前の「若さ」のコントラストが鮮やかで映画的。
盆暮れのTVスペシャルで映像化するのがよろしいかと思われ。。
>>169 文学板の三島スレで質問あげてみました。
「ぼくもピンときませんねぇ。三島は、作家=文体と考えるひとですから、
団鬼六のような文体を「熱心に推薦」することはないのではないか。」
との返答が現時点であり。何か出てこないかな。。
美しい星」の作者という極めて通俗的な面も持つ三島には、ポルノと
いう垣根など無かったでしょう。三島が団を推薦することに違和感は
全く覚えないのですが、「いったいどのような」感想を述べているのか、
そこが興味が湧きます。。
「使い込んだ文具に類する作家の手くせ」「暴走するようなライブ感」というのは、
団作品を読むと膝を打ちたくなる表現です。「性」に関する文学、映像作品については
疎んじられる傾向がありますが、いかに「技量」が必要か、理解されてない気がします。。
振り返って見ると石井監督の作品は「読者に持続した緊張与える」ことに徹してきたような
気がします。映画『花と蛇』について言えば、ガチガチの石井リスペクト野郎の目からは、
随分と役者を立てた「ライブ感」を重んじた描写と感じられるのですが…。団ファンには
納得出来ないのでしょうが…。。
階段の夢についてですが、フロイトがすでに夢判断で、性交の象徴であると述べています。
登ることと飛び降りることが、性的興奮の高まりと解消に対応していると考えてください。
(…)登って行くと部屋がある、というのは、産道から子宮に至る女性(母親)身体の象徴
でもあります(…)
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkx9970/dream/dream74.htm 『階段』 過去・現在・未来を結ぶものを表す。背景に表れる夢は運命に逆らえないという
気持ち。あるがままを受け入れようとする気持ちを投影。(…)上っても上っても上りきれ
ない階段の夢は性的欲望に自らブレーキをかけていることを示す。
『屋根・屋上』 開放的な気分や自信を表す。今までの生活が変わる予感。精神的な弱さを
持っている人が強くなれる予感。
『地下室』 卑しい欲望を表す。あるいは堕落・恐怖。心の奥底に押し込められた自分の
性格の暗い一面を表す。あるいは人に知られたくない感情や欲望。幼い頃の苦い思い出。
解決しなければならない問題を抱えているときに見る事もあります。
http://hw.sakura.ne.jp/~yumi/dream/
夫の仕事上のトラブルのために凌辱の限りを尽くされる女性の話。
主人公を演じる杉本彩の鍛え上げられた、それでいて決して筋肉質ではない肉体が
惜しげもなく曝され、それにぼかしが一切ないのは別な意味で驚きがある。
ストーリーは原作であるSM小説の王道をベースにしているだけに、令夫人であるとか、
女ボディガードであるとか、通常使われないような滑稽な表現が含まれているが、それ
も含めてSM小説という世界であり、人の欲望の吐露であるとすれば、敬意と誠意を持って
描かれていると言える。また会員制クラブでの凌辱は基本的にSMの部類に入るものだが、
均整の取れた杉本彩の肉体とカメラワーク、そして音楽がその映像をハイレベルなものに
昇華させている。決して熱さや痛さを観ているものに感じさせるのではなく、それは
あたかもSMという文化を後世に伝える記録フィルムのように感じられる。ポルノグラフィと
AV(アダルトビデオ)に差があるのだとすれば、これは紛れもなくポルノグラフィと呼ばれる
べきものであり、それだけの説得力を映像は持っている。
http://www.ptp.co.jp/mypage.php3?ptp_user_id=4153
十九世紀末のヨーロッパにフェリシアン・ロプスというベルギーの画家がいた。
そのフローベール原作の『聖アントニウスの誘惑』への挿画は、磔刑に処せられた
キリストの瀕死の身体を悪魔が取り外し、代わって豊満な乳房もみずみずしい若い
女性の艶やかな全裸が、十字架にはりつけされているというものだった。(…)
淫らな薄笑いさえ浮かべた若い女性の頭上には<EROS エロス>の銘が示され、
一頭の豚が十字架の足元に立って彼女の姿を見上げていた。光景を幻視する聖アント
ニウスは、両手で頭を押さえ激しい戦慄に襲われていた。女性が裸姿で十字架にかけ
られている西洋の美術は珍しいものである。十字架はキリストが受難を経て人類の救済を
象徴する場所であるから、女性がましてや全裸の女が磔にされる姿というのは冒涜的で
あるに違いない。事実、この挿画から受ける印象は<エロス>の銘の通り、淫蕩そのもの
である。だが、性のエネルギーは宗教的心情よりも深いところにあることを、この絵は
よく示していることは確かである。
http://tbrain.hp.infoseek.co.jp/ring/001/001.htm (緊縛についてブレイクの言葉まで引用し徹底解説)
>>381さん、情報ありがとうございます。
『花と蛇』ヒットしてよかった、よかった。。
自作自演とのお言葉と引用の反復、ご苦労さまでした。自作自演じゃないけどね。
随分と色んな人に助けられながら、石井隆という作家の仕掛けに僅かながら接近
できたような気がしています。
こういう方法を用いないと複雑で多層な思惑が隠された『花と蛇』を自分なりに
解釈出来なかったんだよね。ホント身勝手な馬鹿で誤ります。ごめんな。
どんどん引用をコピーして行数を増やしてもらっていいですよ。というのも、こう
いったSMに関しての凄まじい知識が石井隆の『花と蛇』の「見えない実質」だと
思っているから…。DVDを鑑賞して「夢落ち」に疑問をもって、そして団鬼六は
じめ官能小説へ興味を持った人が、この掲示板を見てくれた時、あっ、そういう
裏があったの…もしかしたら、まだパズルは解けてないかも、という感じで見直し
てくれるだけで、私はもう満足。。
リルケさん、381さん、前スレの653さん、その他の助けてくれた人。
どうもありがとうございました。引用コピー攻撃で、間もなくこの掲示板は沈没
だね。なんか寂しい気がしますが、仕方ないね。そういう世界だもんね。
そんなおセンチなことを書いても、1はこのスレに粘着するのだった…なんてw。。
ホント、サンキューね。。いつ消えちゃうかわからないので、お礼を言っておき
ます。どうもありがとう。。面白かった。。
SMシーンとか色々言われているけど、(…)一番グッと来たのは、一番最初のベッドから
起きて下着姿のまま体操しているシーンかな。SMシーンは、なんか袋とじとかで見慣れた
せいか、イマイチ新鮮味がなかったです。ところで「花と蛇」は要するに監禁SM系の
性的ファンタジーを体現した映画なんだけど、(…)例えば美女をもっとも美しいコン
ディションでお客の前に出そうと思ったら、いい食事と適度な運動はもちろん、ヘアメイク
に定期的なエステも必要ですな。流行の服やジュエリーも買い与えて、精神的に満足させ
ないと、コンディションは維持できないと思う。地下室に手足縛って放り込んで込んで入れば、
どんな美女でも24時間で商品価値ががた減りになる。(…)「花と蛇」で足りないのは、
そういう意味では「生簀」の発想ですな。
http://ns.media-juggler.co.jp/~tak/dronpa/akindo/
この作品は杉本の代表作として残るだろう。(…)私としては杉本よりも、その「マレビト」
っぷりが突き抜けてる石橋蓮司、凄みの入った遠藤憲一という大好きな俳優のほうに目が
行ってしまった。(…)文句も言ったが、映画としては本当に良くできている。ポルノと
しては機能しないが。祝祭空間と現実空間は紙一重だということ、我々だって誰が仮面を
かぶっているかわからずに社会を生きているではないか、すべてはファンタジー・悪夢なのだ。
それを純愛のディスクールの中に描き出すとは、さすが石井隆!! キューブリックの『アイズ・
ワイド・シャット』との比較論など面白そう。あと、現行の映倫コードに明らかに引っかかる
カットがラスト近くにあったが、あれは見落とし? それともお目こぼし? とにかく、
日本映画からボカシなどという無粋なものがなくなる日を夢見て。
http://aurora.bird.to/karan/elena/html/
『花と蛇』といえば、誘拐された会社社長の美人妻が、犯人たちから陵辱の限りを
尽くされるという話ですが、今回は21世紀のリメイク作品らしく、現代の調教器具や
倒錯系ファッションが登場。作品の紹介キャプションで、イリルガートルとか医療系の
用語が登場、なんだかディープな世界を漂わせています。
オフィシャルサイトのスティル写真では、杉本さんが穴の開いた猿ぐつわみたいな
皮バンドで口の周囲を覆われています。これはどうやら強制離尿剤を飲まされ(…ている)
感じです。この手のマスクは調べてみると、Mouth Gagと呼ばれているようです。(…)
なお、冒頭のシーンで杉本さんがはめているMouth Gagは、Bite Gag(Bit Gag)など
とも呼ばれるもので、和風に呼称するなら犬轡(いぬぐつわ)です。
http://blog.digitiminimi.com/kobakoba/
原作のあらすじ
http://tbrain.hp.infoseek.co.jp/ring/001/001.htmを読むと、
調教のディテールがほとんど霧散し、そこを鬼六ファンが責めるのだけれど、大きな
流れはちゃんと押えているように思う。
「財界の大立者」の「絶世の美女静子夫人は、」「拉致されてしまう。夫人は一糸も
許されない全裸姿にされ、囚われの身であり奴隷である身分を自覚させられるために縄で
縛り上げられる。このときから、夫人の全裸緊縛姿の生活が始まる。」「運転手の見ている
前で強制的な排尿をやらされる」「そこへ救出の女探偵があらわれ、ふたりは屋敷からの脱出を
はかるが失敗に終わる。全裸にされた夫人と女探偵は、」「緊縛され、塩水をやかん一杯飲まさ
れると立ったまま放尿させられる。」「夫人と女探偵は緊縛姿のまま、女同士の愛撫を強要される。」
映画『花と蛇』は原作者へ敬意をもって石井監督が挑んだ作品であり、石井監督なりに視覚化した
部分として「原作の最後」が描かれていないか。そこから「逆転した過去」を映像化していることが
「パターン化した映画の破壊」へと進んではいないか。
「今は精神病院に入院している元の夫が危篤という知らせが入り、静子夫人は屋敷から必死の逃亡をはかる。
しかし、運転手に発見され、永遠の地獄へ連れ戻されていくのだった」
http://tbrain.hp.infoseek.co.jp/ring/001/001.htm
この作品への印象を語ったものに多く見られたのが「曖昧さ」だったよね…。
(743)最初から最後まで、全然リアリティないんですが...(876)こんな単調なもの
(891)何だか訳は知らないけど、(95)それぞれバラバラになってしまっているようで、
(39)なんか絵空事なんだよね。(17)ぼやけてしまった(18)居心地の悪さを感じた。
(69)根本的に演出意図がヘンじゃないか?不条理な気分だよ。
つまりは(90)妄想と現実の交錯(193)すべてはファンタジー・悪夢なのだ。
こういった反応は「間違っていなかった」んだよね。
(71)夢を楽しむためには、目がさめない程度に辻褄が合っていれば良いのである。
(…)「花と蛇」はそういった夢の世界であり、いつまでも決して完結しない物語で
あってくれれば良いのだ。
…それでは、その生贄になった側の「最後」はどうなるのかな?
(68)ヒロインに感情移入することも、ヒロインの人間性を追及することもできなかった。
(68)徹底的に突き放した目線で作られている。
「人間性」が失われた杉本彩に感情移入は「元々」できないのは当然の帰結。。
(28)鬼六小説で柱くくりつけは頻出するが、十字架は記憶に無い。宗教的意味合い
(「死」「犠牲」につながる)なんか無論なかろう。(27)磔刑に宗教的な意味合いは
無いと思う。
…どう見たって宗教画の磔刑のシーンが導入されたのはなぜ?この『花と蛇』は男側の
妄想の上に立つ「現実」ではなく、静子の「記憶、精神」の上に構築された物語だから
じゃないか。静子の救いを求める気持ちが十字架へと結晶化した。「地獄」という暗闇に
立つ十字架、そこで「天」を見上げあえいでいる翼をもがれた「天使」こそ杉本彩じゃないのか。
未向の磔にされた十字架は「右」。キリストと共に磔にされ、恨みの断末魔を上げて
「地獄に落ちた」者として知られている。ここまで石井監督が計算しているとすれば、
(83)の表現のように「冷水を浴び」たような怖さがあるよ。。
ラストカットの杉本彩の視線に何を見るのか。(38)男が「一つになれた」「モノにした」
と思い上がった次の瞬間に、手の届かないところに去っていく女の、拒絶とも受容とも
判別しかねる、しかし、なぜか、この上なく美しく感じられる、そんな視線です。
…「生」を越境するだけが「手の届かないところ」じゃない。
杉本彩に石井監督が渡らせたものは何か、そこまで追い詰めた「地獄」の十数日間「花と蛇」を
映画化するということは「何を描くことで」完成すると考えたのか。。
石井隆という人はホント、傑出した「映画人」だと自分は思うのだが…。。
探偵事務所の所長の寺島進のリポートによれば、田代老人は95歳。その年齢から性的
能力を軽んじた野村宏伸が杉本彩の「一時的な」借用に応じてしまう、というのが映画の話。
『花と蛇』は[老人]石橋蓮司の杉本彩=静子への執拗な「眼差し」で成立っている…。
ちなみに2003年に95歳ということは明治41年1908年生れということになるね。
その頃生まれた人を調べると、映画、美術関係者では次のような方々が…。鬼籍に入られた
方も多く、95歳という年齢の「重さ」をかんじるなぁ。。田代老人の凄絶な執念、意志を
感じちゃう…。。
[1908年に生まれた人々]伴淳三郎、長谷川一夫、バルテュス、マキノ雅弘、デビッド=リーン、
ヘルベルト=フォン=カラヤン、ジェームズ=スチュワート、東山魁夷 、中村伸郎
[1909年に生まれた人々]ホセ=フェラー、佐分利信、淀川長治、太宰治、マルセル=カルネ 、
エリア=カザン、上原謙、埴谷雄高、松本清張
[1910年に生まれた人々]デビッド=ニーブン、黒澤明、田中友幸、双葉十三郎、
[1911年に生まれた人々]ジョン=スタージェス、森一生、岡本太郎、本多猪四郎
ニーノ=ロータ
http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data00/year/birth_1908.htm でも、なんで95歳もの老人なんだ?
どうして62歳の石橋蓮司では駄目なんだ?
(82)黒幕の田代一平(石橋蓮司)を卑しい成り上がり者の街金融の社長ではなく、
遠山家以上の権力を持つ大物にしているところにも鬼六的世界との訣別が示されていた
ように思う。 …ホントに「訣別」するつもりだったのかな?
田代一平(50才)実業家。森田組のスポンサー。
「花と蛇」の連載開始 「花と蛇」は当初奇ク昭和37年8・9月合併号、同11月号
および12月号に3回にわたって掲載された。その後翌38年7月号から正式に連載が
開始され、昭和39年9月号で前編が終了した。そして1号置いた同11月号から続編の
連載が開始され、実に昭和46年11月号まで前編15回、続編78回の実に合計93回、
足掛け11年にわたる長期連載となった。
第一日(昭和三十七年九月二十日)静子夫人、六本木の山崎探偵事務所へ向かう。
同日十七時二十分 静子夫人は日本橋三越前で四人のズベ公に誘拐される。
http://tanbi.kir.jp/hanasekai/Hana_chara.html(既出「花と蛇」の世界 必読)
昭和37年に50歳であった田代一平が現在まで生きていたら、2003年には91歳になる。
昭和37年に静子を拉致した者の一人、田代一平にとって、20日以上に渡るその「静子との日々」
は至福の時ではなかったか。彼らがどのようにして散っていったのか、どのように生きていったのか、
「千代は完全に狂われてしまったようだ」が、他の者たちはどうだったのかな。。
未完の長編『花と蛇』を映画化するにあたり、「昭和37年の監禁事件の当事者たちが現在生きていたら」
ということに想像を巡らすことは作劇上「当然」の経緯ではなかったか。。
(204)延々と続くそれが、「鬼六」じゃないの?
もしも昭和37年の小説世界の「延長」として「田代一平という老人」が造形されて
いるとすれば、(杉本彩の実年齢こそ小説の静子とは差が開いてしまっているが、そこはネw)
異様に設定上「浮いた」彼の年齢も「物語の核心」となって輝いてこないか。
石井作品の中にも老人は登場するが、95歳という異常なものは目にしたことがない。。
しかし、40年以上に渡って「愛した女を慕い続ける男」であれば、
それは石井監督の描くファム・ファタールの世界じゃないか、
実にすんなりと納得出来はしないか。
延々と続くそれが、「花と蛇」であれば、未完の作品であれば尚更、このような
『映画』に結実させるのが石井監督の胸に秘めた使命であり、
先輩鬼六への自分なりの恩返しではなかったか。。
石井監督のインタビューもSM描写への質問に偏り、東映ビデオの戦術もあってか、
何の後ろ盾のないカタリンでしかない。全ておまえの『妄想』だよ、と言われてしまえば
それまでだが、そのように見て取れば石橋蓮司の眼差し、無謀な歩み、死に物狂いの性交、
遠藤憲一を息も絶え絶えで止めようとする腕の動き、それらは皆、涙に濡れて見えてはこないか。
ゴジラを呑み込むビオランテのようにのたうち回り、「精神」の境界と「生命」の境界を
越えようとする男と女の極限の愛が、「血みどろの愛」が見えてはこないか。
杉本彩の『見えない愛』とはこのことではなかったか。。。
やはり『花と蛇』という看板は「借り物どころではない」のではないか。。
あまりの底無しの仕掛けに、自分は少々怖くなってきました。。
[ 夢オチじゃない。 ]
「いろんな映画的仕掛けは巡らしましたが、夢オチじゃない。夢ではなく、
過去が現実になっていて、一か所だけ現実が顔を出す。今回の映画は、
言葉で物語るドラマを極力廃した点、そして時間軸を無視した点でも
敢えて映画の文法から逸脱してみた。(…)たとえ文法から外れていても、
それを気付かせないで見終えるくらいのアメージングな世界。
映画少年だった僕の体験から言えば、映画の嘘として、それは有効だと思うし。」
石井隆監督インタビュー キネマ旬報3月下旬号 インタビュアー北川れい子氏
常連の石井組が出ていないというのは、
「団鬼六の世界」を確立したいと願った石井監督の「配慮」だと思われ。
「東京GP」の特集記事がBURSTに載ってましたが、そこでの裏話
では「(…)最初は、プロの役者を絶対に呼ばないって話しだったのに、
(…)「誰々が警察に連れていかれました」とかいって、(…)「ハイ、ハイ」って
鶴見クンとか伊藤クンに電話して、(…)無理言って出演してもらったけど(…)」
との石井監督のインタビューがあります。声がかかれば、出てやろうじゃん、
っていう「石井監督への絆の強さ」がにじみ出る話ですよね。
石井色を排除しても団鬼六のファンを念頭に入れた「リアル」なドラマを創ろうとしたと
想像しますが、どうでしょ。
また、伊藤洋三郎をスピンオフで残すことで東京GPで確立した「異次元性」を保とうと
した、ということと、なんといっても捨て身の「杉本彩」をコントラスト強め、
クッキリと浮き上がらせる「思い」が感じられるのですが。
だってさ、竹中直人や、余貴美子、根津甚八、椎名桔平とか 片岡礼子や鶴見辰吾、
彼らがカメオしちゃったら、杉本彩を食いかねないじゃん。
「自己陶酔の知障は氏ね」ってのはお仲間から頂戴した言葉でな、
好きで名乗ったんじゃねえよ。
「なんか映画に全く関係ないスレになってるな。
そろそろ軌道修正したほうがいいんじゃないかな」とか
「ションベンだの、変態連中の集まるスレはここですか・・。」
なんて書かれてやがって、団と石井両先生に面目ないだろ。ホント申し訳ないよ、俺は。
映画版にふさわしい「映画」の話題に修正し、団文学のファン層を
厚く、広くしちゃろう、ぐらい思わないのかよ。
小沼勝の「名前」がせいぜいじゃんか。「古都曼荼羅」や「責める!」には
及ばないとか、目からウロコのSM論で「初心者」を折伏してみろよ。
この映画は団先生を盛り上げ、新たな読者層を開拓するためのプロジェクトだろ。
足引っ張ってばかりでどうすんのよ。
ってことで、色々レクチャー受けようと思ったけど、もうこのスレ来ないし、開かんので、
さよならな。親切にありがとな。
「花と蛇」はな、俺らの金を吸い尽くそうと企画された「偽」SM映画だ。
批評されて引き回すのは俺らの役目だ。最期の死に水をとってやるよ。
マンセー野郎は誰も賞賛せんしな。相手になってやるから、どこがどう良いのか、
書き込んでみさらせ。え、屁理屈だらけのお偉い映画版の住民さんよ。
原作の持つ底無しのイリュージョンの片鱗すらあらへん。
もう直ぐ終了ぜ。石井信者のハゲ、ダンマリ決めてウツムイテ歩けや。
出ていけ、なんて軽く言うなよ。映画「花と蛇」がSM映画と宣伝し続けた以上、
俺らを無視してのスレはインチキだからな。もっとも映画が映画だからな。
マンセー野郎もインチキがお似合いだ。
こんなのSMとは言わん。誰も誉めん、誰も批評書かんから、まともな映画とは言えん。
「何ものでもない、得体の知れんもの」を作りやがった、ということだ。
SM映画とは言えんから「SM版」で論ずるのは間違い。だからここで書き込んでいる。
おまえの意見を言えや。
石井ファンの諸君、よく切れないで書き込んだな。皆、エライ!
石井監督の次回作着手も間もなくであろうから、その時には、
SMのカタレンを抜きにして語りたいものじゃのう。
「花と蛇2」では元の木阿弥であろうがのう。
映画板のノーマルなみなさん、愚劣なSMマニアが映画板を荒らして、
誠に申し訳ありませんでした。
途中、彼らに擬態して「遊んで」しまいました際に呼び捨てなどしましたが、
石井監督、杉本彩さんには心底頭をたれ、その意気に対し感涙を惜しみません。
失礼しました。今後ともインパクトのある作品を作っていってください。
尚これ以降の書き込みは致しません。多分、バカが文章コピペするでしょうが。
ああ、めでたく終わりだな。楽しかった。
おまえらには感服した。スレタイに名前ないから「監督の話題も駄目」ときたか。
目からウロコのSM論で「初心者」を折伏してみろよって言ってやったのに、
最後の最後まで浣腸の話だもんな。俺は本当に「SMの魂」に触れてみたかったんだぜ。
そうやって話を向けてやったろ。「アイズ」と「花と蛇」の比較論ぐらいしろよ。
俺はカタリンだが、おまえらカタレンじゃん。
俺はこのスレ、最初から嫌いだったのよ。安河内氏、安川氏の話も出ない、
石井ファンの話題修正の声や心情無視して、下劣な落書き続けやがって。噴飯もんだぜ。
確かに「最低な奴」なんだと思うよ、自分でも…。
前スレの「短気で、自分本位なバカ」な発言は本当に恥ずかしい。。ごめんなさい。
重ねてお詫びします。短気は性分で、ホント損だね。反省してます。
「粘着気質」も否定出来ないし、救いようのない馬鹿野郎だね、まったく…。
215−218については気持ちは変わらないし、嘘はないよ。
イザベル・アジャーニと同じ土俵にのったのじゃないか、との感慨もさらに
深くなるばかり。。219以下は穴があったら入りたい気持ちだけどね…。
このスレ「引用に次ぐ引用」で、皆あきれていると思うけど、「つまらない」
「面白くない」といったレベルでなく、「突き詰めた批評」を抽出してみると、
見比べて見て面白くないかい?目線の違いでこんなに陰影が変わるのか、と
不思議に思えたがなぁ。ちょっと茶々入れてくれる人がいて、そこから深読みを
進めて思いのほか視界がひらけたり、目障りだったと思うけど、「自分本位」では
とても役に立ちました。
鬼六読者も見てるかもしれない、そう思えばこそ団の著作も読み進めてきたし、
さらには上にひも解いてきたSMの解説ページものめり込んで見てきた。それが映画
『花と蛇』という鉱山を掘り進めるためには、もの凄く有効だったと思う。。
このスレを立てなければ自分こそ単なる石井マンセーで終わっていた。。
「死んでもいい」や「ヌードの夜」には及ばないとか、「黒の天使」の方がいい、
なんていう単純な感想にとどまってしまったろうな。。
日本中に「怒り」を撒き散らした迷惑スレだったと思うけど、上で「妄想」した
以上の「作家石井隆」のめぐらした「仕掛け」がまだまだ隠れていると想われるので、
いっしょに探してくれませんか。。
図書館に出向き見てまいりました。(新潮社全集と研究書十数冊があり、団鬼六は随想
の類いまで一冊もない有り様。)もっとも1頁ごと目線を走らす時間もなく、見逃しが
ないとは限りません。。
全集昭和30年代批評、手紙、研究書の中には三島=団のラインは見当たりません。バタ
イユ、サド、澁澤への連結のみ。ただ一冊、板坂剛氏「真説 謎の原郷 三島由起夫」
夏目書房 1998年8月20日初版の中に「三島は『花と蛇』について語っていない」という
書かれ方が。
「まさに日本の文化のことごとくは「花と蛇」に集約されるのである。
(…)絶賛していた(…)『家畜人ヤプー』と同時期に同じ雑誌に掲載されていた『花と
蛇』にも眼を通していたとして、いやらしいまでに学術的な『家畜人ヤプー』に注目しな
がら、下品に徹した『花と蛇』を無視したところも三島らしいと言えば三島らしいが、
(…)何も感じなかったのだろうか。あるいは感じていて眼をそむけていたのか。(…)」
FRIDAY6月4日号「杉本彩エロスで恋人同士に大流行中!SMの快楽」
『花と蛇』に関しては基本4点セットの写真(刺青磔、全裸ワルツ、花魁宙吊り、
バレリーナピエロと宙吊り)のみで、文中でも特に触れられず。。
表現者たちは日々精進しているようです。わたしのような凡人には想像する事すら困難で
す。女優の杉本綾は映画「花と蛇」の中で本物のSMプレイを実践している。超過激な体当
たりの演技をしている。すべて吹き替え無しの本物志向で。彼女の言葉をかりれば「裸は
わたしの戦闘服」だそうだ。表現者としてどんな些細なことにも妥協を許さない姿勢は
さすが女優である。その昔、自分の健康な歯をすべて抜いて総入れ歯にした女優がいました。
その人の名は田中絹代といいました。たかが一本の映画の為にそこまでするのかと驚かされ
ました。きっと、表現するということはそこまでの覚悟がないと本物にはならないものなのですね。
http://www.geocities.jp/jtcjp962/diary/diary04.htm
もうのっけからサービス満点な感じである。(…)誘拐されてからがこの映画の本番である。
(…)ここがもう一歩なのだ。彼女の転落にいたる企みはしっかり描かれているが、調教が
わたしにはもの足りない。本職の「縛り」は美しいし、静子を演じる杉本彩はエロい声を出す
のだけれど、いつ終わるとも知れない退屈な感じがほしかった。(…)SMショーの司会(伊藤
洋三郎)は看護婦だったりバレリーナだったり、いちいち女装して出てくるのであった。この
司会の人がもうたまらなくいい。静子を言葉責めにして観客を楽しませる。こういういかがわ
しい人になりたい。
すっかりでき上がった静子を、歩くこともままならぬ田代が抱くことでこの長い誘拐事件は
終わる。静子はすっかりでき上がったおかげで建物から出ることができたのだが、それ以後も
夢と覚醒の別がつかないままだ。ビルの屋上で旦那と踊りはじめたところで、これだから
俗っぽい映画は困る、なんて意地の悪い感想を漏らしたものだった。ところがところが。
もう、彼女は夢の世界で踊り続けるしかないのだと知った。
あと、マネージャー兼ボディガードの京子(未向(みさき))がまたいい。これがまたかわいいの。
この京子たんが実は静子のことが好きだったっていうのはどういうことかー。
(…)ホンマ、ええモンを観た。
http://www11.big.or.jp/~azumasan/urapage/diary/2004/03.shtml
遠藤憲一ってさ、最近まで誤解してたんだけど根は真面目な役者さんみたいだね。
(『花と蛇』の参考にしようかと)小沼 勝監督の「女はバス停で服を着替えた」を
観たんだよね。。(ホントは題名に吊られてさ観ちゃったんだけどさw)
実際は町おこし映画でさ、なんかスゴク地味な話なわけね。
そこで黙々と真っ白になりながら蕎麦打ちする姿がさ、「落ち着いた」感じでね、
「キレやすい」馬鹿な自分には勉強になっちゃいました。。
劇団フジ、無名塾を経て今に至るか…。1961年生まれ、183cm?
小柄に見えるね。。
今ごろ…また怒られるのかな?(長いしw)
「オルガスムスを描かない」でフィードアウトでつなぐ手法は石井輝男監督の『徳川女
刑罰史(1968)』の後半で多用されていました。官能小説のテーゼを無視したカット割に
不満と疑問が噴出し、それでは「鬼六『花と蛇』の看板を借りた」と言いたくもなりま
すよね。。でも、自分としては「吹雪舞う中の空中開脚緊縛花魁」「緋牡丹刺青荒縄縛り」
ですぐに連想しちゃったのは『東映』であり『新東宝』だったんですよね。。『東映』の
後ろに『ビデオ』は付きますが、『東映』の看板を背負った作品を作る以上、石井監督は
「にっかつカラー」ではなく「東映カラー」について想いを巡らしたりしたんじゃないか。。
(144)はその辺りを感じて<SM映画も東映が作るとこうなるのか>と唸っちゃっている
ようで、相当の邦画通なんじゃないかな。。
(4)で653さんが「日活ロマンポルノのSMモノなどは、(…)近年はほとんどその血脈は
途絶えてしまった」と書かれてますが、「拷問、緊縛もの」という「血脈」は「完全に」断た
れてます。(「暴論」かもしれませんが、サド、マゾッホからの血筋は邦画において絶えた状
態です。)そのような「空白」の若い世代は『花と蛇』を観て「訳わからん」状態になってし
まうか、「すげー斬新」ととるか分裂しちゃった気がするのです。。前スレでリポートあった
ように劇場に詰めかけた50代、60代の世代は『花と蛇』をどのように受け止めたか、聞いてみ
たいな。。「現代」「ポスト」「アサヒ芸能」を「宣伝」の媒体に選んだ「理由」も合わせて
考えてみれば、いくら議論を重ねても正体は?めない「ある世代のための映画」なのかもしれ
ませんね。。
「(92)近年稀に見る企画と宣伝のうまくいった日本映画。」「(133)パブリシティーが
十分に行き渡れば、成人映画もまだまだ稼げる。」…PRの乱れ撃ちについては(58)(59)
にも書き込みましたが、(204)「大量のメディア露出の仕方は、見る人間の嗜好によっては、
サギ」同然のスレスレ(というか上手というか…)ではありましたね。。。角川映画、荒戸
「ツィゴイネルワイゼン」以来の久々のヒットかと…。
業界の詳しい人いたら教えて欲しーい。写真集、映画関連グラビアは「広告」なの?「記事」
なの?その場合、どのくらいお金を出すものなの?社団法人 日本雑誌広告協会が発行してい
る「2000年 雑誌広告掲載料金表」によれば、記事中1P(モノクロでも)少年ジャンプ
1,400,000円 少年マガジン900,000円とのこと。
http://deroguro.main.jp/new/omake/omake5/05.html [袋とじ8P]みたいなのが主流の『花と蛇』のPR、いったいどのくらいお金をかけたのかな。
「持ちつもたれつ」で無料なんてことはあるのかな?
違うよ。映画『花と蛇』について「深く」知りたい、考えたいだけだよ。。
242さんも何か書き込んでよ。。お願いします。。貴方も『花と蛇』について何か
言い足りない、訳のわからないものを感じているからsage進行のここに立ち寄って
いるわけでしょう?どこまで掘れるかわかりませんが、いっしょにやろうよぉ。
「闘争アクションとしてのSM」って好い言い回し。。「花と蛇」出演の打診後杉本彩から
石井隆の逆指名があって、そこで「間」が空いたのは「闘争アクションとしてのSM」が石井監督
の「持ち味」だと製作サイドで気がつけばこそでしょうね。以前、劇画の話を持ち出して叱られち
ゃった経緯があるので、なかなか書き込めませんでしたが、『花と蛇』のビジョンは劇画『黒の天
使』の中盤に重なる部分が多い。。松竹でのシリーズは頓挫したが、石井監督の中で熟成を重ねた
ビジョンが『花と蛇』で「有機的に結合された」ことは石井ファンならピンと来るはず。。
「これこそ杉本彩の本来のヒロイン像」は偶然の産物ではないと思われ。。
映画作家の執念、踏ん張りって凄まじいね。
アサヒ芸能 6.3号 松坂慶子今度は「熟女ハードSM」!
『花と蛇2』脚本段階で話せない。もうちょっと待ってくれ。(松田仁プロデューサー)
URL貼るとき、頭の「h」を省いてサーバー負荷を下げるという約束事を
知らんのか?
T162p、B93(60-Fcup)、W59、H90p。S23p。
血液型A型。5才から劇団に入り、TV、舞台、ミュージカルと地道な活動を続け、
人気Vシネマ「くの一シリーズ」で主演デビュー。パーフェクトな肉体と実力を
兼ね備えた新女優!!趣味:サックス、ビリヤード、釣り 特技:モダンバレエ、
ジャズ、ダンス、日舞、タップ、声楽、パントマイム、殺陣、シャンソン
写真を撮影したのが彼氏とあって、実生活が浮き彫りとなっております。
少しずつ撮る側も撮られる側も大胆になっていくのが解ります。
全てポラロイド写真ってのもイイ感じです。
そしてぼかしが入っているような写真もあります。あ〜淫靡な香りがする。
未向写真集 LOVE POLA MISAKI 愛の記録 Photographs by ♂(恋人) ぶんか社
http://www.atc.ne.jp/seikindo/pic/lovepola.htm (おまけ)
私は、杉本彩の活躍と成功を素直に喜べます。
ずっと、彼女の活躍が気になっていました。
それは数年前の話です。
http://yabou.blog.ocn.ne.jp/yabou/2004/05/_.html 二人とも苦労人よのう。。
「「闘争アクションとしてのSM」=劇画『黒の天使』。。
この作品はやっぱり面白い。女殺し屋の群像劇の中にほとばしる冷たい暴力は、
濃厚な時代の匂いを越えて突き刺さるパワーがある。そこにはラブ&ピースなんて
主張は入る透き間も無い。
http://www.textlife.net/TEXT/kurono.htm 「どうまさったんですか その声 入っていいですか」
「失礼します!! ああ!先生!?」(倶楽部・黒天使)
「今こんなビデオが米国の金持ちの間で出回っているのよ」
「メイド・イン・ジャパン ショーグンポルノと言ってね………
一本5万ドル ただのポルノじゃないわけ…… それが……」
「人間がただの肉になって行くのを散々見てるあんたも顔を背けたわね
あらゆる快楽に飽きた金持ち達が 今一番欲しがっているポルノがこれ」
「女なかせのあんた(緊縛師)なら 傷一つ残さずに吐かせるんだろ?」
「もう6階位上がっているのに 出口がないよ この階段!」
「だから言ったろ?その黒幕はね 箱根の山奥の広大な地で 核戦争にも
生き伸びれるだけの地下壕と私設の軍隊に護られて余興に殺人ポルノを楽しん
でるんだとサ」「目的が果たせたとしてもよ その箱根の山奥からどうやって
脱出するのよ…」「見なよ光りだ!いよいよ出口らしいよ」
「ここが箱根の山奥?」「東京のド真ン中じゃないか!」
(ブラック・ストリッパー)
やがて、操られることに飽きた魔世は、最後のエクスタシーを求めるかのように
「黒天使」の背後にある巨大組織に牙を剥く。迫り来る暗殺者たちと闘いながら、
傷だらけの天使は修羅場の彼方に走り去る。
http://www.comicpark.net/okuda040326.asp 御殿場、箱根方面にある廃墟へとたどり着くクライマックス。そこは元「映画スタジオ」。。
「このSM文学の金字塔に、生意気だけど俗に言われる“石井ワールド”をどう有機的に
コラボレートさせるか、半端じゃなく慎重になったのは事実です。」
『映画秘宝』4月号石井監督インタビュー
「魔夜」の容貌とキャラクター、相棒の「絵夢」の無垢で体育系のイメージは、杉本彩と
未向そのままなんだ。。入手出来たら読んでみて。(上の「ブラックストリッパー」は
「まんだらけ出版」のほうには載ってません。古い方を探してね。)
この会話から「夢」の領域をどこまでサカノボッテ広げるのか、
静子が出ていない部分を除いて、もしも全てのシーンが
そうであるなら、そしてその「夢」の意味と、それが生まれた
「描かれていない部分」を想像すれば、この映画に盛り込まれた
石井監督の「意思と作意」に唖然とします。。スッキリもします
。。よね。
傑作と言えるかは受け手の資質によって断層があり微妙ながら、
「とんでもない意欲作、実験作」ではあります。。よね。
コメンタリーでは「告白」してないんですか?
『天使のはらわた 名美』
(…)名美は看護婦の美也を取材した。彼女は強姦されたときの恐怖で気がふれ、
精神病院に入院(…)当時の恐怖が甦り名美に襲いかかった。(…)名美はその
ショックで、自分が強姦されるという被害妄想に陥り、狂乱状態となって(…)
村木の姿が、犯そうとする男に見え、名美は凶器で、力いっぱい村木を突き刺した……。
『沙耶のいる透視図』
(…)沙耶の方から橋口に電話をしてきた。又も強引に抱こうとするが、沙耶は
不感症だからダメだと告げる。(…)沙耶は橋口に、以前分裂症で入院していた
病院で神崎の母親と会い、神崎と知り合ったことを告げる。(…)
『ちぎれた愛の殺人』
(…)村木の浮気騒ぎでショックを受け狂気に走ってしまった名美に対して、
村木は女たちを殺し続けることで償っていたのだ。(…)名美は巨大な換気扇
に首をからまれ、村木もまた自ら死を選ぶように陽子に刺されていった。
(キネ旬データベースより)
原作は団鬼六の代表作。その後、本人とフォロワーたちによって数限りないバリエー
ションが書かれることになるその原型の物語であるが、(…)本作が「団鬼六の映画
化」としては決定的に欠落させているのは「最後までヒロインが性的快感に屈しない」
というその一点である。(…)もちろん石井隆は、夫とのメロドラマ的再会のために
そうしているのだが、そこに決定的な計算ミスがある。(…)「妻を第三者に差し出
す夫の心情」をすべて台詞で言わせてしまうのもヒドい。あれじゃ演出家失格だ。あと
石井組はいつもそうだが録音技師が下手クソ。台詞が明瞭でない場面がいくつもある。
…と、いろいろ文句はあるのだがこれだけの虚構を、ともにもかくにも観客に信じさせ
たのだから立派なものだろう。映画が終わって地下の映画館の暗闇から歌舞伎町のネオ
ン街に出ても、まだ夢から醒めていないような……夢の続きを観ているような感覚がし
ばらく続いたのは、映画に力がある証拠。(…)きっと今ごろ、Vシネ女優あたりを主
演に持ってきて予算を縮小した続篇をパート5ぐらいまで企画してるんだろうけど、
どーせなら予算を倍増して高岡早紀を口説き落とすぐらいの気骨を見せてほしいものである。
(…)
http://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/archive2004b.html 漫画にしたり映画にしちゃ絶対いかんものもあるね。曰く『家畜人ヤプー』、曰く『花と蛇』。
杉本彩が体当たり演技なのはいいけど、石井隆のフィルターを通したら、あの手の世界全体が
惨めっぽく思えてしまったのは私だけか...。今日日淫靡な世界を描くのは極端に難しい。
http://www1.ezbbs.net/18/aurora/
杉本彩が、「花と蛇」をやるというのを聞いて、彼女は、この種の映画には向いていな
いというのが、最初に思ったことだった。若いころ、谷ナオミ主演の日活映画を見てSM
に興味を持ち、団鬼六の「花と蛇」を読んだ。正直、最後まで読みきれなかった。繰り
返し繰り返しの凛辱シーンの連続に耐え切れなくなってしまったのだ。想像するに、SM
は、主従を強要する過程に快感があり、主従関係の「完成」は、快感の喪失につながる。
私が、その小説を最後まで読みきれなかったのは、このことと関係があるように思う。
(…)谷ナオミの豊満な肉体の縛りと比較して、杉本は向かないとの判断は、このメイ
キングを見て変わった。上述の「強要する過程」が容易でないほど、快感が増すわけで、
SM的でない彼女のほうが、より適役となる可能性があるかもしれないと思ったからだ。
それは、彼女の女優生命を掛けた気迫からも感じられた。
http://www.discas.net/nifty/d/s?ap=c_goods_detail&goods_id=081844209 あの鬼才石井隆は何処へいっちまったんだろう。早速、団鬼六原作の「花と蛇」(東映
ビデオ)を見た。女もやくざも男も描けてない。これじゃ〜まるで漫画だよ。せめて女
ぐらいちゃんと描いて貰いたい。原作にこだわる必要は全くないけどやくざ描くんでも
現代のやくざをちゃんと描いて貰いたかったな。画面はどっかでみたハリウッド的シチュ
エーション入れちゃっているけど内容はまったく漫画だよ。(…)とうのたった杉本綾の
裸と放尿シーンなんて誰も見たくもないわな。石橋蓮司演じるよぼよぼじじいの浅ましい
フィクサーぶり。石井隆の脚本もなっちゃないよ。衰えたもんだ、つくづく歳を取るとい
うことは罪深いもんだ。まあ、期待したおれっちが悪いんだけどね。
http://roji.seesaa.net/article/215657.html
誰かのコメントで「陵辱される杉本彩の顔は聖母マリアのよう」というのがあったが、
その通り。あきらめから生まれる底なしの慈愛を感じさせ、杉本彩は絵のように美し
い。SMシーンはエロティックだが悪趣味ではなく、映画史に残したいほどの映像。
しかし他の部分に余計なものが多い。過激さに真っ向勝負した杉本彩の美と心に監督が
翻弄され、SMシーンににパワーを使い果たしてしまった感じ。ヤクザはお約束のよう
に下品。緊縛師は無言の方がいい。観客は人形で良かった。殺しは不要。アクションも
いらない。セレブの奥さまならネグリジェはシルクを着るべき。非現実場面はすごくい
いのに、現実場面では中流階級の主婦みたいに描かれてしまう。そんなところに映画と
しての貧乏くささを感じる。高級で上品で洗練されているからこそエロティック。現実
か妄想かという映画なのだから、全編を徹底的にそぎ落とし、抽象化し無機質に描き出
していたら、花魁、刺青、麻縄といった日本独自の文化を背景に、格調高い映画として
世界に通用したと思う。惜しい。最後のタイトルロールの裸で踊るシーンは媚びがあって
イヤだ。僕が感動したと書いたのは、杉本彩の心意気と美しさに、です。
http://www.tsutaya.co.jp/item/com/cp_use00000001.zhtml?pdid=10034301&catcd=1 >>297の上段の批評には『「花と蛇」と題されていても結局、本作は名美と村木の
メロドラマとして構築されている。』という言い切りがあって、バッサリとそこ
までシンプルに指摘されちゃうとガツンと一発ですw。
1963年に書かれたもう一つの傑作は、フェリーニ監督の『8 1/2』のための音楽です。
空想と現実を巧みに混在させたフェリーニ芸術の極致とも言うべきこの映画には、感嘆
に値する瞬間が満載されています。その多くは画面と一緒でないと効果が発揮されない
ものも多く、ロータがいかにフェリーニの映画言語を知り尽くしていたかが分かります
(…)その中ではやはり、ラスト・シーンの陽気かつメランコリックな不思議な行進曲
を挙げるべきでしょう。映画全体の総括とも言うべきこのシーンは、この音楽があるか
らこそ意味を持ってくるのです。フェリーニとロータの共同作業は、ここに一つの頂点
を迎えた観があります。(…)この最後のシークェンスは、撮影時にはチェコの作曲家
フチークの「剣奴の行進曲」が使われていました。ロータの音楽はサーカス・バンドの
行進曲のようですが、「桟橋を渡って」と名付けられており、フェリーニは「意気揚々
としているが、憂愁を帯びている」と評しています。
http://www.tcat.ne.jp/~eden/FC/rota.htm(ニーノ・ロータのファンページ。充実)
フチークおじさんの顔
http://www.aa.e-mansion.com/~knedlik/Skladatel/Ceska/fghij/Fucik.html
映画「花と蛇」を観てみた。(…)なんじゃこりゃ!? まるで「ブレードランナー」
か「地獄の黙示録」だぞ、おい。こういう作品をエロいとかエロくないとか真面目に
論評するのもどうかと思う。ま、でも10年前のボンデージブーム以降、いわゆるSM物は
盛り下がってるわけだし、こういう映像美とシュールさでハードな責めをコーティング
するという方向性は今までとは違った新しいファン層を獲得していくには正しいかと思う。
(…)バットマンがカラフルでポップなヒーローから闇の騎士へと変貌したように、「雑
学」を「トリビア」、「金持ち」を「セレブ」と呼びかえるようなロジックが必要なのだ。
http://homepage2.nifty.com/keokeo/bancho.html ほとんどR指定と思いますが、SMの何たるかがかいま見れて、私はすごーく面白か
ったです。様々なSMシーンで、1番凄みがあって、美しかったのは花魁姿をさせら
れて縛り上げられた姿と、花の刺青をされて縛られている姿ですね。杉本彩の抜群の
プロポーションは、どのシーンを見ても美しいのですが、赤い長襦袢の花魁姿はぞく
っとするほど妖しかったです。この写真のごとく赤の襦袢の持つ色気でしょうかね。
(…)人間の営みって、必ずいつも何か、真理が潜んでいるのだと思うのですが、S
Mもきっとそうなのでしょうね。
http://blog.melma.com/00109335/ 緊急レポート番外篇/DVD「花と蛇」特典映像
石橋蓮司が登場、老人の妄執を見事に演じますが、その後に疲れた……と本音が出ま
す。続くインタビューもなかなか興味深い発言が出ますが、それは観てのお楽しみと
致します。
http://www12.ocn.ne.jp/~nacky/tokuten.html (え〜、なになに、教えてよ。。)