CASSHERN〜キャシャーンがやらねば誰がやる その5

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526粉川哲夫
ttp://anarchy.k2.tku.ac.jp/japanese/cinema/notes/index.html

◆紀里谷監督がうやうやしい態度で挨拶し、「いま出来上がった
ばかり」であることを強調。編集しおわったデジタルをそのまま
見せるには、イマジカは便利。その意気ごみがたしかに最初には
感じられた。いいぞ、という感じ。1920年代のロシアアヴァンギャルドや
表現主義のポスターのデザインや、映画『メトロポリス』風の絵柄も
うまく使われているように見える映像。しかし、次第に、どこか、
ハリウッドのメイジャーな作品で使われた特殊映像のソフトを購入して
自分のパソコンにインストールし、一人でオタク的に作ったような
感じがしてくる。むろん、たくさん(そうそうたる)役者が出ているし、
一人では出来ない映画だが、そう見えるのはなぜか?
(中略)
◆善玉・悪玉(その最高峰に大滝秀治演じる将軍がいる――彼が
会議のとき酸素を吸っているのはありがちな発想だが、自己中的で
いい)の区別がはっきりし、そのあいだを揺れ動く東博士、
キャシャーン。よくわからない存在は、母ミドリと特別出演の
三橋達也が演じる『赤ひげ』的な医者。キャシャーンの恋人のルナ
(麻生久美子――あいかわらずの髪型)が多少の未来的希望を
託された存在。しかし、問題は、こういうキャラクターの奥行きの
なさではなくて、映画の基調が『ロード・オブ・ザ・リング』的な
戦争シーンだということ。これは、ゲーム指向から来るのだろうか?
ばーんばーんばーん。耳を弄する爆発の音といかにもの音楽。
このへん、もう少しなんとかならんか? これじゃ、いつまでたっても、
戦争は終らない。まず映画で戦争をやめること。こういう言い方を
するのは、単に平和主義の観点からではなく、いまや闘いも、
通常は見ることも聞くことも難しい「ナノ」や「ミクロ」のレベルで
起こる時代になっているという現状認識からだ。
(イマジカ第1試写室)