ロード・オブ・ザ・リング/指輪物語 第127章

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16名無シネマ@上映中
実は、私自身は、今の日本社会における自分のことを、この若い猿ジーラに喩えている。
読者は何を奇妙なことを言っているのか、と思うだろう。しかし私は、今では本気でこのことを信じている。
すなわち、「日本は『猿の惑星』である」と。そして私は、「日本が猿の惑星である」ということに気づいてしまった若い猿なのである。
私の人年の悲劇は、20年ほど前のある日に、アメリカ人の友人からそれとなく、このことを教えられた時から始まった。
私はそのとき、この真実と共に、難儀な人生を生きていかなければならないと悟った。

「日本は猿の惑星である」と私が書いて、それに反感を覚えない日本人はいないだろう。
この私の発言は、日本の知識・言論業界では今のところほとんど無視されている。
私白身も、自分のこの仮説(ハイポセティカル・セオリー)が、活字となって日本社会に流布されるなどとは、
かつて信じられなかった。どうやら、時代の方が私に接近して来たようだ。
普通、人間は自分にとって耳障りな考えには耳を傾けないものである。それはそれで、仕方がない。

ほとんどの日本人は、自分たちが欧米社会と肩を並べている、立派な先進国に暮らしていると思い込んでいる。
しかし、彼ら欧米近代社会の方はちっともそんなことは思っていない。
それは、向こうで暮らしてしばらくすれば分かることだ。技術(テクノロジー)の類は、
今やおそらく日本の方が上かもしれない。それは、日本の理科系の科学技術ザル、いや失礼、
科学技術者(エンジニアあるいはテクニシャン)たちが
ズバ抜けた応用科学(applied science アプライド・サイエンス)の能力を持っており、
工業製品においてはすべてを欧米から泥棒して、さらにそれらを改良して最良の製品にしたからである。
しかし、それだけのことである。日本は近代(モダン)でもなければ民主政体(デモクラシー)でもない。
「猿の惑星」である。