ロード・オブ・ザ・リング/指輪物語 第127章

このエントリーをはてなブックマークに追加
13名無シネマ@上映中
映画『猿の惑星』は、日本文化論として重要である。一言でいえば、日本国あるいは日本社会こそが、
この映画で描かれた「猿の惑星」そのものではないのか、というのが私の理解である。

この映画の原題はPlanet of the Apes(プラネット・オブ・ジ・エイプス)である。
この原題の中の(エイプ)というのは、高等猿類という意味である。類人猿といってもよい。
エイプは四種類いるとされる、ゴリラとオランウータンとチンパンジーとバブーン(ヒヒ)である。
高等猿類は、モンキー monkey (下等猿類)と違って人類に近いとされる。
欧米の学問では、このエイプがマン(ホモ・サピエンス)に進化したとされるのであって、モンキーが進化したのではない。

アメリカの宇宙船がある惑星に不時着し、乗っていた三人の宇宙飛行士テイラー
ドッジ、ランドンは、猿(エイプ)の支配する世界に放り出される。そこでは、
人間(人類)は下等動物扱いされていた。船長のテイラーを演じていたのは、チャールトン・ヘストンである。
チャールトン・ヘストンは、昔からハリウッドの映画界では、数少ない保守派の映画俳優として知られる。
映画『十戒』 The Ten Commandments (1956)のモーゼ役のイメージが、欧米社会で今でも強烈だからである。

三人は、狼たちによる人間狩りに巻き込まれる。ドッジは殺され、ランドンは捕らえられた挙げ句、
脳手術により植物人間にされてしまう。テイラー船長は、捕まった後査問会にかけられ、
処分されそうになる。ところが、若いチンパンジーの動物学者シーラ博士夫妻に助けられて、
テイラーとジーラたちは、謎に満ちた禁断地区へと赴く。そして、
海岸の洞窟の中の地層を調べることによって、ジーラたちは、
自分たち猿が最も進化した作物であるとの信念が揺らぎ始める。
そこには、人類の文明の痕跡があったのだ。
14名無シネマ@上映中:04/03/15 19:43 ID:v77D8I8m
しかし、追い掛けてきた長老猿ザイアスは、猿が人類から進化したものとは認めない。そして、
この若くて優秀な「疑う」ことを知っているジーラや、真実を追及し続けるテイラーたちに向かって言う。
「その男の言うことを信じるな」「あまり真実を探らない方が自分の身のためだ」しかしテイラーは、
恋人のノヴァとともに馬で海岸沿いを突き進む。そして、二人がやがて見たものは、
海岸線に斜めに埋もれて横たわる自由の女神像であった。テイラーは、
「ああ、お前達はついにやってしまったのか」と呻き声を上げる。
テイラーが見たものは、核戦争で破滅した地球の、二千年後の姿だったのである。

私がこの映画に見たものは、「猿の惑星」に投影されたこの「日本」という社会であった。
あの長老猿ザイアスは、今でいえば科学技術庁長官兼最高裁判所長官のような猿である。
この老ザルは真実を知っていたのだ。だから、若い猿のジーラに、
「なぜ猿が人問から進化したのかを探ってはならない。真実を見るな」と言ったのである。