でけた!
長いから、三分割で。ちなみにこのレビュー自体は
映画の公開前に書かれたもので、エンディングへの
不満や意見は、極力ぼかして書いてある。
日本語が下手なのは、俺の責任なんで、変な言い回し
があっても、エバートに突っ込まないように。
あと、正直前半はストーリーの解説で退屈だったけど、
前文頑張って訳してみた。後半がキモです、ねんのため。
ロジャー エバート:「ラスト サムライ」レビュー
その1:
エド ズウィックの「ラストサムライ」は二人の戦士の物語である、彼らは
文化は隔たりがあるが、価値観を共有できる同士である。
戦闘シーンは感動的で華麗だ、が、しかし、これはどちらが勝つか、という話
ではなく、生をかけて何を証明できるのか、という物語だ。
これは、美しくデザインされ、知的に書かれ、説得力のある演出をされた、
じつに考えさせる歴史絵巻だ。しかし、この作品のもつ説得力は愚かにも
エンディングによって、その本来の意味を弱められてしまっている。
トムクルーズと渡辺謙は、くたびれた南北戦争の経験者と誇り高い
サムライとして競演する。
クルーズはかつての戦争の英雄で、無為に酒を浴びる、人生に
何の価値も見出せない、ネイサン オルグレンを演ずる。
彼は、国の近代化を望むも、サムライの反対に直面してる
日本の天皇に、軍備を供給しようというアメリカ人に雇われることとなる。
勝元の役柄は複雑だ。彼は天皇の軍隊と戦ってはいるのだが、もし天皇
が命じた、とあらば喜んでその言葉に殉じ、命を彼に捧げる伝統に
生きている。しかし、日本はこの時代、伝統を捨て西洋のコピーすること
に夢中になっており、また西洋側もそれはいい金ずるになると考えて
いた時代だった。レミントン社はこの巨大な武器契約の準備を薦めていて、
アメリカ大使館はその濡れ手に泡の貿易協定の推進者だった。
その2:
そんな煮えたぎる釜にオルグレンは冷笑的に飛び込んだ。
彼は、サムライというのは単なる好戦的な野蛮人だと聞かされていたが、
しかし、そのサムライと戦う為だという近代化された軍隊は
アメリカ人アドバイザーの手による、なんとも訓練不足状態だった。
そんな軍隊を率いた結果、彼は捉えられ、死に直面する、、、が勝元の
一言に救われる。勝元は彼を捕虜として彼の息子の村へと連れて帰る。
ここから、この「ラストサムライ」は単なるアクション映画と違った展開をみせる。
勝元、都合よく英語が話せる、はオルグレンに、彼を生かしておくのは、
敵が何者か知りたいからだ、言う。オルグレンは当初、会話を拒絶する。が、
次第に、長い雨がちの冬を捕虜として過ごすうちに、彼はだんだんと
戦いや戦士についての哲学的な会話を交わすようになる。
いくつかの会話はソクラテス哲学のようだ。
勝元「人は運命を変えられると思うか?」
オルグレン「人は運命を知るその時まで、ただやれることをやるんだよ。」
オルグレンにとってこの村での生活は清涼剤であった。南北戦争での
悪夢にとりつかれていた彼は「ここに来てはじめて、ぐっすりと眠ることが
出来た。」と告白する。彼は、彼が殺した侍の妻、タカの家に泊まることに
なる。タカは勝元に不平を漏らすが、オルグレンの前では笑み装う。
オルグレン「俺は彼女の旦那を殺した。」
勝元「あれは立派な死に様だった。」
その3:
勝元は侍らしい死の規範を守ることに人生を捧げている。
オルグレンは彼の心は軍から離れて侍に惹かれていることを発見する、ただしそれは
本能的なものであって、思想に元ずくものではない。彼は勝元を信頼し、尊敬し、
彼に尊敬して欲しいと思うようになる。映画は軍隊についての普遍的な真理を描き出す、
それは男達を突き動かすのは戦友への信頼であって、戦いの理由そのものではない、ということだ。
「ラスト サムライ」は西洋人のヒーローは常に他の文化より優れている、という従来の図式を打ち破っている。
映画は「アラビアのロレンス」や「ダンス ウイズ ウルブス」のような、西洋人が彼らの事を尊重すること
を学ぶ、というタイプの話と比べられている。しかし、この映画はそれを一歩推し進めて、明らかに
勝元の伝統社会はアメリカが持ち込んだ近代より素晴らしいもので、勝元が先生でオルグレンは生徒、
だと言っているのだ。そして、映画は美しくその伝統的な過去の日本を再現している。
このプロダクションデザインと衣装は本当に素晴らしい。
渡辺は深みがあり、印象は強烈だ。彼は三船敏郎以来の世界的スターになる可能性がある。
クルーズはすでにスターであるから、彼の演じるキャラクターではなく、彼の
イメージで否定的な先入観を持たれてしまうだろう。しかし、ここではそれは良い方に働いている。
なぜなら、「トップガン」の自信家のパイロットと「七月四日に生まれて」の反戦活動家までの要素
が、オルグレンにはあるからだ。この配役は映画の隠されたメッセージ、アメリカ兵の再教育物語、
とともに映画を際立たせている。
脇役陣も素晴らしい。小雪は惹かれつつも抑制された未亡人を静かに演ずる。
トニーゴールドウィンはアメリカ傭兵を高慢に恐ろしく演ずる。
ティモシースポールはミュージシャンでなく英国人通訳。
中村七之助は苦悩する、純で、たとえ反乱軍の討伐案に賛成しようとも、勝元の生き方に憧れる、
若き天皇を演ずる。「私は、彼らが望むことをやっている限りは、現人神なんだよ。」
などと、歴代の日本の天皇がそんな弱気だったか、は疑わしい言葉を漏らす。
その4:
監督は、その他の戦争映画でも、人間の忠義は政治思想なんかより重いのだ、と描いてきたエド ズウィック。
ここで彼は、オルグレンにあの有名なカスター将軍の最後の戦いについてそれを非難させる。
「奴は自分の伝説に酔った殺人者で、彼の兵隊はそれを信じたために死んでしまった。」
そのとうり。
でも勝元も死ぬと分かっている戦いに皆を引き込んでいった。
オルグレンは勝元の最後の戦いを、一体どう感じるのだろう?
彼の仲間は価値観を共有し、「良い死に様」を探し求めいたのか?
そういう描写はあったか?
”信じることに命を捧げる”のと
”信じたもののために命を奪われる”
ことの違いはなんなのか?
この映画はこの問いかけが、いかに深いものなのかを描く。
もしも、「ラストサムライ」のエンディングが、それまでのトーンと方向性を
見失わなかったら、映画はこの感情に忠実でありえたろう。
しかし、このエンディングはハリウッドが要求する類のレベルで、映画から
空気が抜けていくのが分かる。
アートフィルムというのはその必然的に導かれる結末まで、観客がついて来てくれると信用する。
ハリウッドエンディングは観客は映画の終わりには、ウスノロの泣き虫
に成り果てているので、ロリポップをあげなきゃいけない、と考える。
「ラストサムライ」は偉大な映画たりえた、最後で足を滑らせて、素晴らしいエンディングを台無しにしなければ。
もし、DVDで別エンディングをつけるのなら、そこで何を見せるべきか私には明らかだ。
エド ズウィックにだって、きっと、分かってるはずだ。
四部作になってしまった。
しばらく書き込みはせんから、許しておくれ。
ちなみに。
”信じることに命を捧げる”のと
”信じたもののために命を奪われる”
ことの違いはなんなのか?
ここは原文では
”dying for what you believe in”
”dying because of what you believe in”
なっていて、この映画の本質を突いてると、思った。
で、最後の出撃シーンで侍達の顔をみているうちに、
彼らは”dying for what you believe in”なんだ、と泣けてきたんだよね。
エバートがTVで言ってた彼の希望バージョンのエンディングでは、
オルグレンはカスター将軍とではなく、勝元と死ぬことで、大きな問いかけを
残したまま、映画が終れる、と。で、帝国軍人が天皇に説明する
シーンを入れれば、自然に彼らの命が無駄にならなかったことが
きちんと描けたはず、だと。まったく惜しいことした、とズウィックの前で
ぶちまけてた。