■今はもう国民を象徴するような映画は存在しない -
ジャン=リュック・ゴダール
今日は、コンペ外から出品されたジャン=リュック・ゴダールの
『我らの音楽』会見模様からお伝えします。
「まずは会見の冒頭で、『私以上に重要な発言をする人に』という
ゴダールの言葉によってバトンタッチされたのは、初日のレポートで
触れた労働争議に関係しフリーの映画・演劇組合の代表者が15分位かけて
声明文を読み上げました。
この論争はまだまだ続いているらしく、先週末にもある映画館に居座った
フリーの映画・演劇人を退去させようとやってきた警察官が、ついに
彼らに暴行をはたらき、大きなスキャンダルとして報道されていました。
さて、本題のゴダールの会見の方ですが、まずは外国人記者に対して
「カンヌでは全ての作品が字幕つきで観客の目に触れる。あなたたちは
私の作品の字幕を読んだのであって、見たわけじゃないのです。
あなたが持つ文化や言語から考えたわけじゃない。つまり
(ひとつの作品の)約5,6パーセントしか見てないのです。
それでも興味があったら質問をどうぞ」
と幾分か取材陣を挑発するかように始まりました。
『我らの音楽』は、1996年の『フォー・エヴァー・モーツァルト』
に続いて、サラエボを舞台とした作品ですが、この点について問われると、
「サラエボ、ミラクル、それは人生であって、人生はミラクルじゃない。」
と同じくサラエボを舞台にしたエミール・クストリッツァの
『人生は奇跡だ!』に対する皮肉から始め、「私が『フォー・エヴァー・
モーツァルト』を撮ったとき、完全に満足することが出来なかった」、
だから「トルストイの言葉にならえば、私がサラエボを選んだのでは
ありません、サラエボが私を選んだのです」と箴言めいた答え。