>>537 侵略と奴隷獲得の先兵だった宣教師がなんで「平等」を説けるんだ。
日本がスペインの侵略を免れたのは、遠かったことと
ちょうど戦国時代で軍事力が強かったからだろう。
スペインに近くて弱い南米はひどいことになった。
ジャマイカには原住民のアラワク族が100万人住んでいたが
スペイン人によって絶滅させられた。
現在、ジャマイカ人と言われて我々が想像するのは黒人である。
彼らはアフリカから奴隷として連れてこられた子孫だ。
今の人種構成は黒人91% 混血7.3% その他 1.7%。
虐殺を逃れた人々がキューバに渡って、原住民に危険を知らせた。
彼らは金を奪うために人を殺すと。それならと住民はすべての黄金を捨てたが、
スペイン人はやはり皆殺しだけはしていった。
現在は、白人25%、黒人15%、白人と黒人の混血59%、中国人1%。
中国人も労働力としてキューバに連れてこられた子孫だ。
さすがに宣教師の中にも、そのひどさを訴える者がいた。
スペインの征服者に同行していたラス・カサス神父だ。彼の書いた
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)には
読んでいて気分が悪くなるほど残虐描写が続く。
メキシコで、スペイン人が犬を連れて狩りにいったが獲物はなかった。
腹を減らした犬を不憫に思った披は、インディオの母が抱いていた赤ん坊を
取り上げて、その手足を切って犬に食べさせた。
黄金のありかを白状させるためにローストチキンのように火で何日もあぶった。
スペイン人の上官がそのうめき声がうるさいからと
部下に命じてインディオに猿轡をさせた。
672 :
671:04/02/16 04:01 ID:dlr0tEo0
だが、ラス・カサスのこうした告発は無視された。
またラス・カサス自身も、インディオを救いたいあまりに
「アフリカ黒人の方が、体が丈夫で、苦役に向いている」と報告してしまう。
これをきっかけとして、アフリカからアメリカへ、黒人奴隷の移送が始まる。
船倉に棚のような何段ものベッドを作り、そこに黒人たちをぎゅうぎゅうに押し詰め
鎖で固定する。食事も与えず、糞尿も垂れ流し。当然、病気が発生するが、
治療などせず、病人はどんどん海に投げ捨てていったという。
(アメリカの黒人がスポーツに強いのは、
これでも生き残った強い遺伝子だからだという話もある。)
こうしたことに宣教師たちは
「異教を信じるより、キリスト教国で奴隷になった方が天国へ行ける」
という態度だった。
ある族長は供出した金の量が足りなかったために焼き殺されたが、
その処刑前に宣教師からヰリスト教への改宗を迫られた。
「改宗すれば天国にいく。そうでなければ地獄に落ちる」
族長は聞いた。「あんたらキリスト教徒はどっちにいくんだ」
「我々は天国に行く。正しい人はすべて天国に召される」
「それならキリスト教徒たちには二度と会いたくない。地獄にしてくれ」
日本も他人事ではなかった。現にフィリピンはスペインに征服された。
1521年、マゼランが世界一周探検の途上、マクタン島に上陸して
スペインの領土であることを宣言する。
さっそく住民数百人にキリスト教の洗礼を受けさせている。
その後、数度に渡ってスペイン軍が来襲し、フィリピンは占領される。
フィリピンという名は、スペインのフェリペ皇太子にちなみ名付けられた。
ただしイスラム教徒だったモロ族はその後も抵抗を続けた。
モロ族は現在もフィリピンからの独立を目指して闘争中である。
673 :
671:04/02/16 04:03 ID:dlr0tEo0
1876年(明治9年)、リトルビッグホーンでカスターの率いる騎兵隊が
インディアンに包囲されて全滅した。
同じ年、アルゼンチンでは北部と南部に追い詰められていたインディオに対し、
「国家近代化作戦」が実施された。要するにインディオ皆殺し作戦だ。
指揮官のロカ将軍は、この功績でアルゼンチン大統領となった。
こうした民族浄化作戦で、アルゼンチンは先住民も混血もほとんどいない国となった。
現在のアルゼンチンの人種構成は白人(スペイン・イタリア系)97%、先住民=3%。
(アルゼンチンがスペインから独立したのは1810年)
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ちなみにこうした歴史を知らないと、↓こんな会話になる。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/other/column/2001/ZZZ25CTI4OC.html ――例えば、サッカーのアルゼンチン代表メンバーの顔ぶれなんかを見てみると、
どうしてもヨーロッパ系の選手が主流になっていますが、
これはどうしてなんでょうかねぇ?
お隣のブラジルでは、あんなに人種間の混血が進んでいるのに
半田 どうなんでしょうかね?
先住民の血を引くという意味では、例えばマラドーナであれ、
メディナベージョ(元アルゼンチン代表)であれ、ある程度はイメージできますよね。
だけどそういう人って、町を歩いていてもほとんど見かけなかったと思います。
――あちらでは、アフリカ系の黒人は住んでいないんですか?
半田 アフロっぽい人には出会わなかったですし、インディオというか、
先住民系の顔もあまり見なかったです。
ブラジルでは、極端な混血政策を取っていたでしょう。
でもアルゼンチンって、それほど交じり合うことはなかったみたいですよ。
ブラジルの混血政策も確かにすごいけれど、全然混血されていないまま、
ずっとヨーロッパ人の血が今日まで続いているというのも驚くべきことですよね。