6.無視された遺族感情〜あの大惨事はエンターテイメントではない
1912年のタイタニック号の沈没は1500人以上の人命を奪った大惨事である。その中には数知
れぬ思いがあり、それはわずか3時間足らずの映画でとても表現できるものではない。「あの
壮大なドラマをキャメロン監督が見事に再現した」という評価はよくきかれたが、それは単な
る思いあがりに過ぎない。この世のあらゆる対象は(ことに歴史の事象は)、解釈・理解という
観点において本来果て無きものであるものであるにもかかわらず、ひとたび固定的に表現して
しまうとその事象には概念上の枠が生じるため、決してその映像以上のものにはなり得ず、
ときにそれは解釈の妨害とさえなり得る。メディアの影響力を論じ始めれば限がないのでここ
では避けるが、こと歴史上の事件などの映像化には大きな責任が伴うものである。この映画の
中での恋愛の描き方がそうであったように、あらゆる死までをもが綺麗ごとにされてしまった
といえる。たとえば、最近えひめ丸の沈没事件があったが、あのえひめ丸の沈没事件をを舞台
に、たまたま乗船していた特定の二人が織り成す“哀しくも切ない二人の愛”などを映画化し
たら、きっと誰もが不愉快極まりないだろう。『タイタニック』とて、やっていることはこれ
とまったく同じなのである。またもっと言えば、死が随分あっさりと「非ドラマチック」に描か
れてしまった気がするのである。「ドラマ」という言葉はあまり使いたくないが‐あえて使う
なら‐、タイタニック号の沈没はもはや1世紀前の事象である。しかし事象が沈んだとはいえ、
その記憶(=ドラマ)がそう簡単に沈むはずはなかった。しかし結局、映画『タイタニック』が
用いた安易なドラマ再現手法によって、それぞれが心にとどめ、想像を繰り広げるべきタイタ
ニック号事件のドラマ、そしておよそ1500人の死への果てしなき正視までもが、ついに真の
意味で深海へと沈んでいったのである。[2001年4月3日一部改訂]
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/7673/long_titanic.html