■てめーら!!シンドラーのリストを見たか!ゴルァ■

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179名無シネマ@上映中
>>178
言葉を返すようだが、黒澤が「シンドラー」を誉めたのは不思議でも
なんでもないと思う。
俺個人は「シンドラー」をスピの最高傑作だと思っているが、
それはイデオロギー的なものとは無関係にそう思うのだ。
「シンドラー」は人間にとって根元的な「本能としての暴力」を
キッチリと描いている。

何度見てもゾッとするのは、たとえばユダヤ人を使って
収容所の舎屋を建設しているシーン。ここでドイツ兵の現場監督に、
大学で建築を勉強したというインテリのユダヤ女が
「この建て方では強度が出ない」と正しい意見を述べる。
すると次の瞬間、ドイツ兵は無表情にユダヤのインテリ女を射殺する。
短いシークェンスだが、撮影方法といい、射殺のタイミングといい、
まさに天才にしか撮れないカットだと思う。

ここで問題なのは、たしかにこのドイツ兵の行為は極悪非道だし、
「正しいことを言って殺された」ユダヤ女は哀れなのだが、
同時にこのカットには、「うるさいハエ」をパチンと潰すような
「生理的快感」が伴っていることだ。

「シンドラーのリスト」の優れた点は、確かにプロットレベルでは
お涙頂戴の美談物語なのだが、演出とか具体的描写のレベルで
ヒューマニズムとは正反対の「暴力の快楽」が満ちあふれているところ。
(もちろん「この車を売ればもっと救えた」といってシンドラーが
泣き崩れるような「お涙頂戴」シーンもあるけど。まあ、あれは
一般の観客が最低限、安心して見られるためのアリバイだと俺は思うが)

この「暴力の快感」は実は全盛期の黒澤映画にもたくさんあって、
その際たる例が「椿三十郎」のラストの居合い斬りだろう。
長くなったが(笑)、「シンドラー」を撮り終えたスピルバーグが
黒澤にこの映画を見てもらいたがったのはこういう意味からだろうし、
黒澤もそのことを理解したと。俺はそう解釈している。