タバコはオナニーである

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665milk
で、話をずらしてすいませんでした。
最近のNixさんと1さんのやりとりは読みました。
とりあえず「違い」と「相違点」の違いは1の回答を待つとして、
その前のNixさんの質問があまり効果的ではないないと思う。
煙草がコミュニケーションの手段として使われるうんぬんは、
煙草は人前で吸っても下品ではないという常識があるからだ。
もし、煙草がオナニーほどとはいわぬものの、少々下品な行為であるという常識が定着していたなら、
煙草がコミュニケーションの手段として使われる事はなかっただろう。

結果、
煙草とオナニーの共通点は
・基本的に自分だけに快感をもたらす。
・場合によって、他者に著しく迷惑をもたらす。
という事になるが、
こうも簡単にこの二つが共通点として証明されたら苦労はない。
もうほとんど「煙草=オナニー」だ。
つまり僕は後者の「場合によって、他者に著しく迷惑をもたらす」に反論したい思う。

この定義は非常に曖昧だ。「どの場合によるのか」「どれほど著しい迷惑なのか」が不透明である。
煙草の場合は、「嫌煙者や子供が近くにいる場合」、「強い嫌悪感を与える、なお全ての人に身体的害を与える」
オナニーの場合、「ほとんどの人に」、「とても強い嫌悪感を与える、身体的害は無し」

このスレの論点が見えてきただろうか。
>>1の様な非現実的な事を考えるとき、ある程度常識を思考から排除しなければならない。
たとえば法律がいい例だ。オナニーは猥褻物陳列罪だからダメ!ではいっこうに話は進まない。
Nixさんの「コミュニケーションの手段」の疑問も、「煙草は下品ではない」という常識を外すと、意味を持たない。
ここがとても難しいところだと思う。
つまり、僕は「歩きオナニー」は「ほとんどの人に」「とても強い嫌悪感を与える」と書いたが、
これも同様、常識を外して考え、双方の迷惑度を多角的に比較しなければならない。
これが、二番目の共通点に対しての僕の姿勢だ。

そこで僕の意見だが、
「歩きオナニー」の場合、色々考えた末、なぜ「人前でオナニーする事が下品なのか」という疑問に辿り着く。
そこで、「人前でオナニーをする」事が下品、と言うよりむしろ「人前でモノを出す」事が最初の下品だ。
では煙草の場合はどうなのだろうか?
人前でモノを出す事と人前で煙草を出す事を比較する事ができるのだろうか。
人前でモノを出すことは既に迷惑だ。煙草の場合、非喫煙者が煙草を持っていても、何ら迷惑になりうる可能性はない。
そもそも快感を得る行為が、人に迷惑をかける、という論争ではなかったのか。モノを出すだけでは快楽行為とは言えない。
それとも「人前でモノを出す事は迷惑」という常識を疑わねばならぬのか。
もし煙草はオナニーぐらい卑しいという常識があれば、煙草を出すだけで、敬遠されたかもしれない。
しかし、その常識を確立させるには、先に述べた「二番目の共通点」が証明されるべきである。
ここで話は一周回ったが、
僕の意見は、煙草を見せただけで卑しいとされるような常識は過去に創り得なかった、とする。
なぜなら今まで人類の歴史の中で、人にあまり見せるべきでない所持品で、
性器を上回るものは無いと思うからである。
性器隠す事こそ、もっとも古く、一番最後に疑うべき常識である。
なぜ、いつ、どのようにして、人は性器を見られるのを嫌がるようになったのだろう。
この疑問が、間接的だが、絶対に、1の論を証明するために、明らかにされるべきだと思う。

長くなってすいませんでした。